大類浩平の感想

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感慨深いAV――『145cmマイクロ秀才娘処女喪失 小春くるみ』

 『145cmマイクロ秀才娘処女喪失 小春くるみ』(2011年)というAVが感慨深かった。青春時代は勉強しかしてこなかったという真面目な27歳の女性が、会社で初恋の男性に失恋したのをきっかけに、自分を変えるために自ら応募してきたというものだ。女性が美人過ぎないし、人見知りで男性にモテてこなかった感がリアルなので、ほぼヤラセなしのドキュメンタリーだろう。これ一作しかAV出演がないし。
 冒頭で小春くるみが、どうして私は今まで処女だったのかと分析して喋っているところから始まるが、ここからもう私は掴まれた。私は頭の良い女性が好きだからである。「秀才娘」というタイトルにも偽りがない。
 社会学者の赤川学(1967-)は、ポルノとは「マスターベーションに必要な想像をかきたてるために利用される表現物」(『性への自由/性からの自由』p14)と定義する。そもそもポルノというのは、受け手をマスターベーションさせることを目的としているから、当然私はこのAVでオナニーをして射精した。しかし普通のAVに比べたら、私がペニスをいじる時間は短かった。性的興奮を催すというより、好奇心と心配が勝つシーンも多かった。例えば、いざ挿入となるとき、彼女は痛そうにしているし、おそらく全く気持ちよくなさそうだからである。苦痛を浮かべている女性を見て余計興奮する、という男は性癖が倒錯していると言っていい。私を含めた大体の男は、女性が気持ちよくなっている顔や仕草こそが好きだからである。だから、普通の男はレイプ犯罪をおこそうとは思わない。レイプ犯は、女性が苦痛で顔をゆがめていることすらも快感に思うのだ。もちろん、この小春くるみはレイプをされているわけではない。処女を捨てるために自分から応募している。なんと彼女が3Pをするシーンもあるが、これも事前に同意して行っており、本人も「一生できないだろうから貴重な体験」とか言っている。でも、やはり見ていて痛々しい感じがある。彼女が実際は気持ちよくなっていないのを、もはや制作者側も隠す気がない。だから、セックスシーンのほとんどでは、私は性的興奮というよりは処女の大人の女性はどういう反応をするのか、という興味で見た。全く退屈はしなかった。もっとも、とにかく性的興奮だけを求めている人には物足りないAVではある。あと、女性が見ても面白いとは思うが、人によっては性描写に不快を覚えるかもしれない(AVだから当たり前だが)。あと、女性AV監督による処女喪失ものとかがあるなら見たくなった。
 果たして小春くるみはこの後どうなったのだろうか。まさか、AV出演がバレたのをきっかけに職場で苛められ、生きるのが辛くなった、ということにはならないでほしい。AVに出た女性に偏見を持つことは愚かなことである。AV女優や性産業に従事する女性が男のガス抜きをするおかげで性犯罪率は下がっているので、彼女らは社会貢献をしているのである。とくに彼女には幸せになって欲しい。


●参考文献
赤川学『性への自由/性からの自由 ポルノグラフィの歴史社会学青弓社、1996年