2017年に読んだ研究書・伝記・ルポなど

10点満点。
引用文における〔〕は筆者注。


10.0 富永健一『近代化の理論 近代化における西洋と東洋』講談社学術文庫

近代化の理論 (講談社学術文庫)

近代化の理論 (講談社学術文庫)

 近代化は西洋化ではない
 社会学の泰斗、富永健一の名著で、近代化の歴史や仕組みがまとまっている。「近代化」と聞くと、日本が西洋化してしまった悲劇だと嘆く人や右翼もいるかもしれないが、近代化と西洋化とは別物である。東洋は東洋で、古代→中世→近世と文明が発展し前進していったのは明白で、著者はそういう前進を近代化と言っているのである。だから、江戸時代の日本が明治政府に移行できたのも、いきなり西洋風に近代化したのではなく、日本社会が既に独自に近代化をしていたからに他ならない。近代化を嘆く右翼は筋違いなのだ。
 また、29章のポストモダン批判は必見である。私も現代思想にかぶれていたときはポストモダンという言葉を使ってしまっていたが、ポストモダンなどまだ世界には訪れていないことがわかる。ポストモダンとはモダン(近代)が終わったことを意味するが、世界の経済状況(資本主義)・家族形態・恋愛や結婚に至るまで、近代のやり方や価値観がそのまま今も続いているのは明らかである。また、民主主義や自由などの近代的価値観は相変わらず重要であり、近代をいたずらに批判するのは無益どころか有害である。そういうのが日本浪漫派(保田與重郎)などの思想(アンチ西洋)と結び付くと、ただの右翼になる。


10.0 ノースロップ・フライ『批評の解剖』海老根宏、中村健二、出淵博、山内久明訳、叢書・ウニベルシタス

批評の解剖 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

批評の解剖 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

 文学を語るには文学を読むのが第一である
 文芸批評をしたい人には必読とされるノースロップ・フライ(1912-1991)の主著。フライは言う、「文芸批評家がまず第一になすべきことは、文学を読み、その領域を帰納的に概観し、ただその領域についての知識からのみ批評原理を形作るようにすることである。批評原理は、神学や哲学や自然科学や、あるいはこれらを組み合わせたものから出来合いの形で安直に取り入れることはできない」(p11)。つまり、いくら科学や社会学や哲学に詳しかろうが、文学を語るにはまず文学をたくさん読むしかないのである。また、フライは文学における価値判断も厳しく批判する。例えば、シェイクスピアはジョン・ウェブスター(英国の劇作家)より偉大かどうか、などと考えるのは文芸批評と何の関係もない。もちろん、純文学よりケータイ小説のほうが偉いかどうかという優劣も批評とは関係なく、ケータイ小説でも面白ければ批評に値するのである。フライの姿勢は学問をする上でもっともだと思った。その後も文学作品は喜劇・ロマンス・悲劇・アイロニーに分類され分析されるが、ここは現在のジャンル論に直接影響を与えているので重要であるし面白い。
 ただ、英語詩の分析ではウィリアム・ブレイクやT.S.エリオットの詩を英語で読めないとよく分からないだろうし、私もよく分かっていない。よく分からない箇所があるのに10点を付けても良いのかと思うが、一応つける。


9.5 吉岡栄一『文芸時評ー現状と本当は恐いその歴史』彩流社

文芸時評―現状と本当は恐いその歴史

文芸時評―現状と本当は恐いその歴史

 本音で批評しなくなったら終わり
 文芸時評の歴史をふり返ることで、「ホンネ批評」がルールだったはずの文壇が、いつのまにか「ホメ批評」や「ヨイショ批評」が中心になったさまを暴き出している。詳しく言うと、1969年に石川淳朝日新聞の時評を担当するようになってからホメ批評が中心になったという。昔は良かったというわけではないが、ムラ社会のなかでもいいものはいいと褒め、駄作は駄作としてきっちりと欠点を指摘していた明治の文壇は、ホメ批評中心の現代より健康的である。「交友関係や情実などにとらわれるようなことがあってはならず、つまり周囲の事情の如何に不拘、自分の善しと信じ、悪しと信じるところのものを遠慮なく真直ぐ言う」と宣言した佐藤春夫には非常に共感した。ホンネで批評しなくなったら終わりだろう。


9.5 小谷野敦『日本売春史ー遊行女婦からソープランドまで』新潮選書

日本売春史―遊行女婦からソープランドまで (新潮選書)

日本売春史―遊行女婦からソープランドまで (新潮選書)

 小谷野の主著
 比較文学者、小谷野敦(1962-)の主著。売春をめぐる世の言説は極端で、売春をとにかく廃止しろという人もいれば、自由な性愛は素晴らしいとして江戸の遊女を「聖なるもの」として賛美する人もいる。しかし、売春を廃止するとレイプや性犯罪が増える危険があるし、女にモテない男は一生セックスできないまま死ぬことになる(モテる男は女とすぐセックスできるので売春がなくなっても痛くも痒くもない)。一方で、江戸や吉原で働かされていた風俗嬢はかわいそうなほど過酷であり、性病で早死にする例も多く、遊女を神格化したり美化するのは酷いことなのである。小谷野は学問では価値判断は避けるべきだとしながらも、「売春は合法化し、しかるべき規制によって性病の広まりを抑えるのが現実的な方向性だと思う」とあとがきで述べている。詳細な筆致なので読みづらさを感じるかもしれないが、今でも吉原のソープランドで非合法の売春が公然と行われている現代に訴えかけるものがある。


9.5 小谷野敦『日本恋愛思想史 記紀万葉から現代まで』中公新書

 川端康成の日本と三島由紀夫の日本は全然違う
 私が本や映画の恋愛描写を語る上で参考にしている本である。日本文化における恋愛の歴史で最も重要なのは、「公家的な、男が恋することを美ととらえる感性から、むしろ古代ギリシア的な、女性蔑視的で、女に一方的に恋する事を醜いととらえる感性への転換である」(p51)という。例えば平安時代源氏物語では、光源氏など男の主人公達がひたすら女に恋をする話であるのに、近松門左衛門など近世の武家文化に書かれた作品は、色男が女に惚れられるばかりで、男は自分から恋するのは恥だと思っているのである。ここに日本の歴史の断絶がある。だから一見すると、川端康成三島由紀夫も同じ日本的な・伝統主義的な作家だと思ってしまうが、実際は、川端は公家文化・三島は武家文化の影響を受けており全然違うのである。
 また、戦後の純愛教育で、まるで人間は誰でも恋愛が出来るように教えこまれ、90年代になっても例えば宮台真司のように誰でも努力すればモテるかのように言った論客はいるが、実際そんなことはありえないという主張は切実で面白い。どんなに個人が努力してもダメなものはダメである。それと合わせて売春論も展開されるが、売春防止法が制定された当時は誰でも25歳くらいまでには結婚するということが前提だったのであり、今の時代に即していない(p210)とするのはもっともな話だと思った。
 ただ、一部の知識人の認識である「恋愛輸入品説」や「恋愛は西欧二十世紀の発明説」を小谷野が批判していく様は専門的で、一般読者には読みづらいかもしれない。


9.5 古田博司『東アジア・イデオロギーを超えて』新書館

東アジア・イデオロギーを超えて

東アジア・イデオロギーを超えて

 必読の東アジア論
 東アジア諸国が一つにまとまれないのは、中国で生まれた「中華思想」という概念(自分たちが世界の中心であるという考え)をそれぞれの国が分有しているためだと論じられる。国同士が仲良く出来ない理由は、間違っても日本だけのせいではないのだ。また、ベトナムは地理的に中国に近く文明が入ってきたので、文明が遅れているカンボジアラオスを蔑視している(p47)というのも興味深い。著者は自分の立場を左派だとしているが、しかし反日を持ち出す中国や韓国の姿勢は支持していないし、自国のナショナリズムを批判するのに他国(中・韓)のナショナリズムを批判しない日本の左派を批判するのでまともである。
 ところで北朝鮮に関する章では、金正日政権がカルト宗教のように国民を洗脳するさまが詳しく分析されるが、北朝鮮がおかしいのは当たり前なのだからそこまで詳しくしなくてもと思い退屈だった。


9.5 新井潤美『階級にとりつかれた人々 英国ミドル・クラスの生活と意見』中公新書

 階級を勉強する意義
 比較文学者である新井潤美の初の著作である。米国と違い英国は階級社会で、英国の階級にまつわる物語やギャグ・コメディは米国人にもそのままでは理解できないというのは驚いた。また、階級がアッパー・クラス(上流階級)、ミドル・クラス(中産階級)、ワーキング・クラス(労働者階級)に分かれるというのは知っていたが、とくに英国ではミドル・クラスの中でも上下に分かれており(アッパー・ミドル・クラスとロウアー・ミドル・クラス)、その階級の違いを意識することが英国作品を理解する上での助けになるということも勉強になった。いつの世でもそうだと思うが、上流階級は成り上がりが嫌いなもので、アッパー・クラスは道徳的なミドル・クラスを馬鹿にするが、ワーキング・クラスの無骨な振る舞いは賛美する。これはきっと、ワーキング・クラスほど下の階級なら自分を脅かさない、という心理が働くからだろう。アッパー・クラスの若者の間ではワーキング・クラスの言葉が流行る、ということも無関係ではない(p182)。
 読者の中には、何でわざわざ階級を勉強しなくてはいけないのかと思う人もいるかもしれない。確かに日本でも見かけの階級はなくなった。しかしその代わりに、スクールカーストなどといった階層は今の日本にも存在しており、そういう息苦しいものはどうにかした方が良いのだから、階級を勉強する意味は失われていないと言える。


9.0 小野一光『震災風俗嬢』太田出版

震災風俗嬢

震災風俗嬢

 震災に関する本の傑作
 東北地方の沿岸部では大震災の津波により壊滅的な被害を受けたが、わずか二週間くらいで復旧した風俗店もあるというから驚きで、いかに人々に性産業が必要とされているかが分かる。デリヘル嬢が半壊した家に呼ばれて、半壊した家の二階で性行為をした話などがたくさんあり衝撃的である。またユキコという子持ちの主婦は、素人時代の彼氏の命令でアナルファックをするためにアナルを拡張しており、それが風俗店の面接で武器になったと言うし、自分が風俗に勤めているのを娘が知っているとも言う。震災の現実と風俗嬢の生活の記録、双方がありのままに描き出され混じり合い、傑作である。


9.0 羽入辰郎マックス・ヴェーバーの犯罪ー『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』ミネルヴァ書房

 個人崇拝の愚かさ
 著名なドイツの社会学マックス・ヴェーバー(1864-1920)の論文『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるたくさんの矛盾や間違いを指摘し、かつヴェーバーを崇拝する学者がその間違いを認めないという姿勢も問題視する。事態は結構シリアスで、崇拝者の多い学者(この場合ヴェーバー)を若手学者が批判すると、干されたり虐められたりするという現実があるのだから酷いものである。個人崇拝をすることの愚かさや、学者とはどうあるべきか、学問にはどう望むべきかという誠実さを考えさせられる好著である。
 もっとも、著者はマックス・ヴェーバーの業績を全否定しているわけではない。


9.0 マックス・ガロ『イタリアか、死か―英雄ガリバルディの生涯』米川良夫・樋口裕一訳、中央公論社

イタリアか、死か―英雄ガリバルディの生涯

イタリアか、死か―英雄ガリバルディの生涯

 評価すべき英雄
 イタリアを統一した共和思想の英雄ジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882)の伝記であり、小説仕立てなので物語としても面白い。もっとも、ガリバルディは過激な思想を持っていた訳ではなく、ときには市民の暴動を鎮圧したこともあったが、大元の共和思想を守るためにはある程度仕方が無かったともいえる。またガリバルディは信仰を捨てた後は無信仰を貫き通していて、死ぬ間際になっても自分を火葬するようにと主張したことには感銘を受けた(キリスト教では火葬は禁忌である)。歴史にはガリバルディのように評価すべき英雄がいる、という骨太な視点は必要だろう。


9.0 窪田精『文学運動のなかでー戦後民主主義文学私記』光和堂

文学運動のなかで―戦後民主主義文学私記 (1978年)

文学運動のなかで―戦後民主主義文学私記 (1978年)

 作家達の歴史
 戦後すぐ、プロレタリア系の作家を中心にしてで来た「新日本文学会」が、時代とともに変化していく様を内側から記録したものである。窪田は日本共産党員だがイデオロギーの偏りは感じられず、民主主義とは何かというテーマを素直に扱っており非常に面白い。のちに会の実権を握った大西巨人花田清輝が横暴になり、採算の目処が立たないのに機関誌を増刷するなど内部での不和が容赦なく描かれる。また、野間宏は家に人を通すとき庶民的な部屋と豪勢な書斎とを使い分けたというが、人々の見栄やイヤらしさも垣間見えて興味深い。


9.0 小谷野敦『なぜ悪人を殺してはいけないのかー反時代的考察』新曜社

なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察

なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察

 死刑の意義
 序盤では死刑の存在意義が論じられる。「世に、まったく改悛の情を見せない凶悪犯罪者がいる以上、死刑制度は残すべきである」(p42)という著者の主張はシンプルだが、死刑廃止論者の主張を一つ一つ論破していくスタンスに裏打ちされているので説得力がある。死刑廃止論者は死刑は残酷だと言うが、終身刑を始めとして他の刑罰もみな残酷であるのだから、死刑だけやめる理由にはならないとジョン・スチュアート・ミルの言葉を引用する(p22)。欧州では死刑は廃止されているから日本も廃止すべきだ、という主張に対しては、「死刑を廃止したヨーロッパ諸国は、キリスト教国である。キリスト教ならば、「ローマ人への手紙」にある「復讐するは我にあり」つまり人が人に復讐すべきではなく、神の手に委ねるべきだという思想があり、死後、人々は神の国へ行き、最後の審判によって悪人は裁かれる、という「信仰」がある」(20p)と、そもそも文化の違いを見落としていることを指摘する。もちろんここでは、欧米がやったから日本も真似するべきだという姿勢も批判されねばならない。何でも欧米の真似をした方がいいと考える人は、では欧米が海外に植民地をもったから日本も植民地をもった方がいいと考えるのだろうか?また、死刑廃止論者は治安のいい高級住宅街に住むのではなく、「率先して、出所してきた凶悪犯罪者の近所に住んだらどうか」(p29-30)と提案するのも偽善を突いていて面白い。
 その他、共和思想や天皇制について分かりやすく語られており参考になった。


9.0 校條剛『ザ・流行作家』講談社

ザ・流行作家

ザ・流行作家

 作家の執念
 流行作家だった笹沢佐保(1930-2002)と川上宗薫(1924-1984)の生涯を、担当編集者だった校條剛の目からまとめた伝記で、二人とも生き様が破天荒で面白く、作家の執念を感じる。流行作家とは著者によれば「雑誌あるいは新聞に描いて原稿料で稼ぐ(自転車操業的)な作家」を指すが、現代では作家は書籍で稼ぐのが一般的なのでもう滅びている。笹沢佐保は時代小説や推理小説を主に書いたが、ホテルに缶詰になると10日も15日も1~2時間寝るだけでひたすら執筆するので、顔色はどす黒く目は真っ赤になり、鬼の形相になるという。また川上宗薫は官能作家で、官能小説を書くためにどんなに器量の悪い女とでも寝たというが、晩年に重い病気で入院した時、死ぬかも知れないのに女子大生を病室に呼んでセックスをしたというエピソードは衝撃的である(ただイかなかったようだ)。
 ところで、「ダメ出しをしたあとに、編集者の想像を上回る直しが出来る新人は、急速に大物になっていく」(p102)というのは核心を突いており胸が痛くなる。


8.5 高山文彦『孤児たちの城 ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』新潮社

孤児たちの城―ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人

孤児たちの城―ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人

 ユートピアの失敗を記録した貴重な文献
 どうも知識人の中には、13人の孤児を引き取ったジョセフィン・ベーカー(ダンサー、女優)のことを人道主義者・聖人のように持ち上げたい人がいるようだが、それぞれ人種の違う13人の子供を一度に城で生活させるというユートピア的な実験はこれを読めば失敗していたことが分かる。ジョセフィンは来日した時2人の子供を引き取ったが、二人とも日本人であるより片方が韓国人である方が人種の融和という理想に近づくと思ったので片方を韓国人として二十歳まで育てていたというのは恐ろしく(p43)、人権を無視している。また、ジョセフィンは同性愛的傾向のある養子のアキオにベッドで性の喜びを教えた疑惑があったり(p205)、城の子供部屋に嵌めきりの窓をとりつけて観光客に観光料をとったり(p248)、ゴリラをペットにしたが人間に危害を加えそうになったので彼女の指示で射殺したり(p186-187)と衝撃的な話題に事欠かない。ユートピアの失敗を記録した貴重な文献で壮絶だ。


8.5 ノースロップ・フライ『よい批評家ー文芸批評の平均律法』渡辺美智子訳、八潮出版社

よい批評家―文芸批評の平均率法 (1980年)

よい批評家―文芸批評の平均率法 (1980年)

 批評には多読と共感が必要
 1961年にフライが行った講義をもとにした本。第一章では、人に考えを伝えるのには正しい言葉遣いが大事であることが強調され、「語は考えの容器である。語が見つかるまで考えは完全には存在しない」(p26-27)と言い切る。第三章では、批評について大事なのは、知識の集積とその続行、つまり読書や勉強をし続けることだと説かれ、シンプルだがもっともである。またフライが良いのは、批評には共感が大事だと言うことを忘れないところである。「文学を読む大衆の代表として、作家に共感し、学識のある人を、批評家という名称で呼びたい」(p96)というところもそうだし、以下も長くなるが引用する。
 「批評の基本的姿勢は、文学作品に対して私的な感情を持ち込まない反応をすることである」(p122)。しかし、「同時にこのようなつきはなした反応は、本来批評の目的ではない。どうしても巻き込まれ、引っ張り込まれるし、意見も出てくる、理想も言いたくなる。そして習慣的想像的態度、こうだときめてかかる自分の意見というものがでてくる。そして当然のことながら、自分の意見とか理想などが巧みに表現されている文学を、われわれは好きなのである。(略)もし客観的で審美眼的反応だけをもつようにしたら、文学鑑賞を正しくしていないことになる」(p122-123)。


8.5 大塚ひかり『「ブス論」で読む源氏物語講談社+α文庫

 源氏物語は凄い
 古典エッセイストの大塚ひかりが、源氏物語の登場人物を顔や体格で分類して人間を語り尽くす異例の書だが、大塚が分類をしていって思うのは、そもそも登場人物達にさまざまな容姿を設定した紫式部がすごいということである。容姿により人間にカーストが出来るのはいつの世も同じなのであるが、そのテーマすら紫式部はきちんと抑えていたのだ。また、源氏物語にはブスな女が沢山出てくるが、源氏物語以降その傾向は見られず女は美人が多い。これは、釈迦とは長身で美しい顔をしているものだとする仏教思想が広まったことと符合するという指摘は面白かった。


8.5 大塚ひかり源氏物語 愛の渇き』KKベストセラーズ

 武士の台頭と女の地位の低下
 源氏物語が書かれた時代は母系社会から父系社会に変わる過渡期であり、武士の台頭により女の立場が弱くなっていくことが、物語の女達の悲劇的な末路と符合する、というのはなるほどと思った。そして、その父系社会的な道徳観が裏目に出た男・薫は権威主義で偽善者で一番嫌いだ(p234)という主張にも繋がるが、大塚の人間を見抜く洞察力には驚かされる。
 ただ一方で、登場人物の切り口は『「ブス論」で読む源氏物語』の方が容赦なくて面白いと思った。


8.5 小谷野敦斎藤貴男栗原裕一郎禁煙ファシズムと戦う』ベスト新書

禁煙ファシズムと戦う (ベスト新書)

禁煙ファシズムと戦う (ベスト新書)

 差別したい心理
 昨今の禁煙運動は禁煙者差別であり、特定の集団を差別したいという心理が暴走しているとして、三人の著者がそれぞれ禁煙運動の矛盾を突いていく。小谷野の言い分は明快で、この世には体に悪いものなどいくらでもあり(自動車、過重労働、酒、ファーストフードなど)、車など排気ガスをまき散らして人もはねる。「車になるべく乗るのはやめましょう」というキャンペーンなど行われないのに(車会社が日本経済の中心でメディアのスポンサーになっているからだろう)、喫煙者が狙い撃ちにされているという実態を指摘する。また「ヒステリックな嫌煙家というのは、どうも元は喫煙者だったものが多い」(p91)というが、確かに小池百合子も元喫煙者である。一方で斎藤貴男は煙草を吸わないジャーナリストである。健康のために何かを予防していくとなると、ケガの原因となるスポーツ・目を悪くする読書、人間のありとあらゆる営みを制限することができ、何のために生きているのか分からなくなると主張する。また、禁煙運動は高所得者低所得者や肉体労働者を制限する構図になっていることや、受動喫煙の害の証明が疑わしいことなどが冷静に書いてある。
 もっとも、三人の著者で共通しているのは、ファシズム的なやり方でなければ煙草がなくなることを否定している訳ではない、ということである。あくまでその禁煙運動のやり方が恐ろしいと言っているのである。ただそれにはこのストレス社会をどうにかした方がいいし、煙草に代わるストレス発散方を教えてくれと喫煙者は言うだろう。


8.5 小谷野敦禁煙ファシズムと断固戦う!』ベスト新書

禁煙ファシズムと断固戦う! (ベスト新書)

禁煙ファシズムと断固戦う! (ベスト新書)

 小谷野は保守主義とは一線を画す
 『禁煙ファシズムと戦う』の続編で、禁煙運動への鋭い反論も引き続き行われるが、小谷野が大学のキャンパスや町中で喫煙していたときのエピソードや法廷闘争の記録などが書かれており、その場に居合わせた嫌煙家や注意してくるが法的に逮捕できない警官との会話など面白いエッセイとして読める。
 ところで、著者は「煙草は文化だから守れ」という主張はダメで、「合法であるから喫煙は権利として擁護される」(p193)べきだとしている。文化だから守れということになると、遊郭も纏足も家父長制も一夫多妻制も守ることになるからだ。伝統だから守れ、というような保守主義者とは一線を画すからこそ私は小谷野が信用できるのである。


8.5 キティ・ケリー『ヒズ・ウェイ』柴田京子訳、文藝春秋

ヒズ・ウェイ

ヒズ・ウェイ

 悪事を描ききった労作
 酔って発砲し市民を怪我させる、窓ガラスに女を突き飛ばし流血させる、ファンの老人を子分に殴らせる、当時妻だった女優のミア・ファローが映画(『ローズマリーの赤ちゃん』)に出演できないように全身を殴ってあざを作る、そのくせマフィアには媚びる…。世界中にファンがいる一人のスター、フランク・シナトラが行い、ひた隠しにしてきた悪事を膨大な資料とインタビューによって容赦なく描ききった労作で、崇拝されている人物の本性を暴くことは必要であると実感させられた。もっとも、この労力をもっと尊敬できる人物に費やせば良かったのに、とも思ってしまうが。


8.5 玉井次郎『ソープランドでボーイをしていました』彩図社

ソープランドでボーイをしていました

ソープランドでボーイをしていました

 風俗の必要性
 東日本大震災で家計に窮し、妻子に隠して吉原で働くことにした著者のルポルタージュソープランドでは厳しい縦社会に耐えねばならず、休みもほとんどなく、先輩の虐めに遭うのも印象的である。だが一番印象的なのは、要介護者のお客さんを車椅子ごとプレイ部屋まで運ぶと、彼は三発抜いて喜んでいたというエピソードで、感動的ですらある。モテる男は風俗など無くても女性とセックスができるが、モテない男(障害者など特にそうだろう)にとって性欲を発散する貴重な場所なのだ。また吉原のソープランドは全て違法だが、自治体も目をつむっており、茶番のような保健所の立ち入りの様が描かれて滑稽である。
 ところで、ボーイと風俗嬢は原則交流が禁止されているので、女性の登場人物の存在感が薄いのは物足りなく思った。


8.5 新井潤美『不機嫌なメアリー・ポピンズ』平凡社新書

 勉強になる
 階級を通して英国の小説や映画を読み解いていく新井の評論集で、彼女の『階級にとりつかれた人々』を読んでから取り組むと理解が深まっていいだろう。ところで英国は、政治の政策に賛成か反対かといった世論調査をするとき、男女・世代別の他に階級別(正確には職種・収入別)で出すというのは驚いた。


8.0 新井潤美パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』岩波新書

 上流階級と結び付く体育会系
 英国民の中でパブリック・スクール(英国の私立エリート校)に在学したことのある人間の割合は非常に少ないにもかかわらず、パブリック・スクールが英国民に大きな影響を与えたことを検証する。パブリック・スクールではスポーツを重視する一方、時代遅れのラテン語の授業が長く存続するなど、実はパブリック・スクールでは学問を軽視していた。なぜかというと、元々英国のアッパー・クラス(上流階級)は女性はおろか男性にも教育の必要性を認めておらず、「シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の筋書きさえ知らない」ような、「教育の欠如」を誇っていたからである(p130)。私は体育会系は嫌いだが、体育会系は上流階級とも結び付いていることを知り腑に落ちた。他にも、学校内での虐めや体罰が語られるが、パブリック・スクールのしつけとして行われる鞭打ちは、キリスト教の苦行が元になっているなど興味深かった(p5-6)。


8.0 新井潤美『へそ曲がりの大英帝国平凡社新書

へそ曲がりの大英帝国 (平凡社新書)

へそ曲がりの大英帝国 (平凡社新書)

 階級の調和という偽善
 アッパー・クラスにとって田舎は階級社会の理想像である。典型的な村にはまず大地主(村の権力者)がいて、その周りに村の牧師・医師・学校の教師といった「知的職業者」がおり、その下に小規模の農場主や小売業者などの人々がいて、さらに労働者がいる。「村では、あらゆる階級の人々が、美しい調和の中で暮らして」おり、「それぞれの階級が自分の居場所を持っていて、それに満足しており、自分に与えられた役割をこなしている。しかし、同時に、村の住民であるという認識によって一体となり、村の運営には互いに協力しあう」(p153)。これが階級社会の理想像であるというが、自分に出過ぎたことをしてはいけない階級社会の息苦しさが伝わってくる。アッパー・クラスが郊外や都市を馬鹿にするのはこのためだが、私には都市の生活のほうが絶対に良い。ちなみに、「使用人を一人でも置くことがミドル・クラス(ロウアー・ミドルを含む)の必須条件」(p131)とあるので、使用人がいない家庭はすべて中産階級ではない。私を含めて日本人のほとんどは中産階級以下なのだ。


8.0 秋山虔源氏物語岩波新書

源氏物語 (岩波新書 青版 667)

源氏物語 (岩波新書 青版 667)

 古びていない
 源氏物語研究の第一人者である秋山虔が1968年に発表したものだが、女の階級に着目した視点が良いし、充実していて古びていない。しかし考えてみれば当たり前で、今から1000年も前の小説に対する研究が、この50年で飛躍的に進化することは考えにくい。源氏物語のことは50年前でもよく分からないのだから、今でもよく分からないのは自然なことである。源氏物語への理解を深めたい人が読む基本書。


8.0 ジョン・バーンズ『エビータ』牛島信明訳、新潮文庫

エビータ (新潮文庫)

エビータ (新潮文庫)

 手厳しい筆致だが面白い
 アルゼンチン共和国の大統領フアン・ペロンの妻エバ・ペロン(通称エビータ)の伝記で、米国人の著者の筆致は時折手厳しく彼女のことが嫌いなのではないかと思わせるが、やはりエビータが下手くそな芝居女優から大統領夫人にまで上り詰めるまでの話は面白い。また、政治で権力をふるい独裁的だったとよく批判されるが、しかしエビータは女性の地位向上のために闘い(p185)、貧民のために医療機関などを建設する(p191)など社会貢献はしている。ファシズム共産主義だったわけでもない。共和国の政治家だから擁護すると言うわけではないが、ペロン夫妻の政治の評価が待たれるところだろう。


8.0 石井光太津波の墓標』徳間書店

津波の墓標

津波の墓標

 『遺体』より断然面白い
 乳児を背負う女が火事場泥棒をしていたり、高校生が金庫をこじ開けようとしたり、被災者同士が交通事故で喧嘩したり、避難生活の鬱憤を晴らすように子供たちの虐めが酷くなったりと、人間を美化せず記録している。個人的に、仮設トイレに血便をしたのが恥ずかしくペーパーで血便を包み林に捨てに行った女性の話が印象に残った。同じ著者の『遺体 震災、津波の果てに』より断然面白い。


8.0 小谷野敦『面白いほど詰め込める勉強法 究極の文系脳を作る』幻冬舎新書

 雑多だが参考になる
 まるで受験の勉強法を教えてくれるようなタイトルだが違う(タイトルは小谷野ではなく出版社が考えたという)。この本では、小谷野の読書体験や作家の著作年譜のまとめ方・買った本を忘れないようにメモする「読書ノート」の書き方の伝授など本好きには有用で、「読書ノート」は少し形式は違うが私は真似している。巻末附録の「知の年表」(戦後の主要な人文科学系の研究書の一覧)も参考になる。小谷野の話題は次々に飛び移るが、ブックガイド系の新書とはそういうものだと思えばいいだろう。著者のエッセンスである言葉をいくつか抜粋しておく。
 「本を読む、とくに文学作品を読むということは、ときに権威との戦いとなる」が、「単に権威への畏れを知らず、「なーんだ難しくってわからないや」と放り出す、あまり頭のよくない読者とは別である。ある外国の作家が、一読して面白くなくても、信頼している人がいいと言ったらもう一度読んでみると言っていたが、これは至言であろう」(p42)
 「呉智英が言っているように、吉本〔隆明〕は難解で分かりにくい書き方をしたため、「ありがたみ」が生まれて崇拝者が叢生したということになるのだが、だいたい、崇拝者を生む人というのは、難解な書き方、しかも、不必要に難解な書き方をする人が少なくない。」また、自伝というものは「都合のいいことしか書いてない」ので、「客観的で冷静な、あるいは時には冷酷な「伝記」を編纂すべきだろう。」(p144)
 「ところで近頃は「育メン」とかで育児する父親が増えているようだが、果して育児をしつつ知的に生活することは出来るだろうか。育児をして作家として大成した曾根綾子のような人はいるが、学問の世界では今のところ、微妙なラインだと言える。育児をした女性学者の業績で、「大成」と言えるかどうか疑わしい例はあるが、大きな仕事をした女性学者は、おおむね子供はない。」(p227)


8.0 小谷野敦私小説のすすめ』平凡社新書

私小説のすすめ (平凡社新書)

私小説のすすめ (平凡社新書)

 私小説は誰でも書ける
 批評家の大塚英志は、虚構の物語は訓練すれば誰でも書けると言うが、小谷野にするとそれは間違いである。虚構の物語を考えるにはやはりどうしても才能がいるであり、本当に誰にでも書けるのは私小説なのだという。また、虚構のファンタジーやSFは人に見せないと意味がないが、私小説は世間に発表しなくても書くことだけでカタルシスを得られるから良い(p181)というのはなるほどと思った。ところで私小説批判者には、人をモデルにするとその人を傷つけるからよくないという人がいるが、そんなことを言い出すと『源氏物語』も『若きウェルテルの悩み』もヘンリー・ミラーも同時代人のモデルがいる。二十歳で夭折したラディケの『肉体の悪魔』は長く虚構小説だと思われていたが、実は私小説だったことがあとになって分かったと言う。モデルにプライヴァシーで訴えられたら…という心配も、よほど小説が売れない限り自らわざわざモデルが名乗り上げてくるわけは無い。その他、日本の批評家が私小説を批判していた歴史がまとめてある。


7.5 清水好子紫式部岩波新書評伝選

紫式部 (岩波新書)

紫式部 (岩波新書)

 紫式部研究の古典
 紫式部の残した歌や日記をもとに彼女の人間像を描き出そうとした、紫式部研究の古典である。紫式部は漢学者の娘なのだが、女でありながら漢学に詳しいというので仕事場で虐められた時期があり、夫を早くに亡くしたのは「漢学に通じていて罰が当たった」と思われていたなど泣ける。また、紫式部が女房務めをしていた頃、后の彰子が皇子を出産した際、男達が皇子の性別ばかりを気にする中、まず彰子の安産を書いているなど女を想うところは胸を打つ(p174)。源氏物語に興味がある人は必読。


7.5 リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子<増補新装版>』紀伊國屋書店

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 まあ分かりやすい
 遺伝子というのは利己的で、自分のことしか考えていないという有名な主張がなされた生物学者リチャード・ドーキンス(1941-)の本。例えば二頭の動物が喧嘩をするときに相手を殺さないのは、相手のことを思いやっているからではなく、相手を殺す自分の体力が惜しいのはもちろん、自分が殺されたくないからである。ただ一方で、動物への考察がどこまで人間に当てはまるかという問題はある。もちろん、人間にとっても遺伝は重要で、例えば統合失調症などの精神病に人がかかるかどうかは遺伝が大きく関わっているが、科学の業績が文学や漫画に直接関わりがあるなどと過剰に思う必要はないだろう。その他、進化論の業績を簡潔にまとめてあり参考になった。


7.5 小谷野敦『本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝』新潮新書

本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝 (新潮新書)

本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝 (新潮新書)

 ブックガイド
 私はこの本は『『こころ』は本当に名作か――正直者の名作案内』 (新潮社、2009年)に連なる小谷野のブックガイドとして捉えている。私はこういう教養に裏打ちされた挑発行為が好きなのである。各人物の評の後に伝記が示されているのもいい。ただ説明不十分で誉めているのか貶しているのかよく分からない項もあるから、その場合は小谷野の別の著書を読むのを薦めたい。


7.0 安達正勝『物語フランス革命中公新書

 入門書
 平易な語り口なのでフランス革命の入門書として良いが、それほど重要だとは思えない登場人物も色々出てくるので読みづらい気もする。どうせ入門書を書くのならもっと主人公を絞って紙片を減らしてもよかったかもしれない。


7.0 北野圭介『ハリウッド100年史講義・夢の工場から夢の王国へ』平凡社新書

ハリウッド100年史講義―夢の工場から夢の王国へ (平凡社新書)

ハリウッド100年史講義―夢の工場から夢の王国へ (平凡社新書)

 まとまってる
 映画史の本は細かすぎたりマイナーすぎたりして読みづらいものが多いが、これは良い。エジソンの相棒ディクソンがキネトスコープを作った時代から、現代までを簡潔にまとめており、ハリウッドの歴史の概要を掴みたい人には最適だろう。後ろには参考文献リストも示されており説得力がある。


7.0 ジャン・カナヴァジオ『セルバンテス』円子千代訳、叢書・ウニベルシタス

セルバンテス (叢書・ウニベルシタス)

セルバンテス (叢書・ウニベルシタス)

 損は無いが読みづらい
 『ドン・キホーテ』の作者ミゲル・デ・セルバンテスの伝記で、小谷野敦は本書を「現在日本語で読める中では最も精細なセルバンテスの伝記である」としている。戦争で捕虜になったり投獄されたりと波瀾万丈であるが、細部が詳しすぎるし文体も読みづらく思った。ただまあ読書が好きな人がセルバンテスの伝記を読んで損をすることはない。


7.0 親鸞歎異抄岩波文庫

歎異抄 (岩波文庫 青318-2)

歎異抄 (岩波文庫 青318-2)

 ほとんど無宗教に思える
 親鸞の仏教書。彼は今世の利益を一切求めないので、親鸞はほとんど無宗教なのではないかと思えてしまう。ただ、それなら宗教など信じなければいいのだから、無宗教の私は本書を読んで感動することはなかった。一読には値するが。


7.0 梅原猛全訳注『歎異抄講談社文芸文庫

歎異抄 (講談社学術文庫)

歎異抄 (講談社学術文庫)

 入門
 岩波文庫と同じ『歎異抄』だが、詳細な注釈と80ページ近い解説があるのでこちらから読むのもいい。親鸞というと結婚あり肉食ありだが、やりたい放題横暴にしていたのではなく、妻帯してからもずっと真面目だったようである。


7.0 リチャード・ドーキンス『神は妄想である 宗教との決別』垂水雄二訳、早川書房

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

 宗教に関心のある人が読むべき
 科学者として、一人の人間として、著者が宗教を徹底的に批判する本である。無神論者と不可知論者の違いなどは勉強になったが(不可知論者は神の存在自体を否定しないぶん、宗教の肩を持っている)、本書は一神教を信じている人が読むと有効な本であり、そもそも無宗教の私が読んでも感動するほどではなかった。また、批判されている宗教はあくまで一神教であり、仏教やギリシア神話など多神教には言及されておらず物足りない。一神教ほどではなくても多神教も有害なのだ。ところで、日本の神風特攻隊は宗教とは関係ない熱狂だという風に書いているが(p448-449)、そこには「天皇崇拝」という明らかな神道の狂信的な面があるので間違っていると思う。


7.0 小谷野敦『退屈論』河出文庫

退屈論 (河出文庫)

退屈論 (河出文庫)

 まだ共感できない
 「『遊びが大切だ』とか『快楽を肯定せよ』とか言われると、もうごく単純な疑問が湧いてくる、ということなのである。それはつまり、『飽きないか』」(p12)という冒頭には掴まれる。また、小谷野は何の本で読んだか忘れたというが、恐らく昭和初期の農村で、一日農作業を終えた老婆が日暮れ時、田の畦に座り込み、「ああ、えらかった」と言いながら陰部に手を差し入れてオナニーに耽っていた、という話は面白い。
 ただ、どういう結論になるのか不明瞭なまま話題が次々に飛び移るので、とくに読者を選びそうな本である。また小谷野は、本当に恐ろしい退屈は大人になってから訪れるというが、私はまだ本当に恐ろしい退屈に直面していないので共感しかねた。


6.5 山本淳子『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』朝日出版社

源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820)

源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820)

 平易だが物足りない
 小説『源氏物語』が執筆された一条天皇の時代が語られるが、紫式部は同時代人を小説の登場人物のモデルにしたと推測できて楽しい。また『源氏物語』ではよく登場人物が出家をするが、それは仏教に惹かれたというよりも、人生に絶望した心の自殺である(p94)というのはなるほどと思った。平易なのでこの時代の貴族の雰囲気を知るには良い。
 しかし個人的には時代の盛衰(公家文化の衰退と武家文化の勃興)を意識している大塚ひかりの著作のほうが好きなので物足りなさも感じる。


6.0 ボブ・トマス『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版』玉置悦子・能登路雅子訳、講談社、2010年

ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版

ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版

 英国びいき
 ウォルト・ディズニー(1901-1966)の伝記。1924年、ウォルトは23歳でディズニー・ブラザーズ・スタジオを設立したときから作画をアブ・アイワークスなどに任せており、ウォルト本人はほとんど絵を描かなくなったというのには驚いた(p100)。また、ウォルトは何本も英国で劇映画を撮影しているなど英国びいきで(p327)、ディズニーで君主制(王制)がやたらと出てくるのはこのためかもしれないと思った。共和国である米国人が君主国に憧れるのはよくあることだが、ウォルトは自分のことを「なさけ深い君主の最後の生き残り」だとも言ったことがあるらしく(p245)、さすがにここには狂気を感じる。ところで、ウォルトはいつも色々考えすぎていて毎晩寝付きが悪かったらしく、寝付きの悪い私はそこは共感した。


6.0 蓮實重彦『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』筑摩書房

 わざと読みづらい文章
 この本は、オーソドックスな映画史に反発するために書かれており、わざとマイナーな人物や蓮實が好きな人物を取り上げたりしているから、蓮實に惑わされずに普通のハリウッドの歴史を学ぶのが大事である(北野圭介『ハリウッド100年史講義・夢の工場から夢の王国へ』が分かりやすい)。それにしても、歴史的事実を記述する本なのに、語尾が「だろう」と推測の形を多用しまくっている意味が分からない。わざと読みづらい文章にしていて腹が立ってしまう。


6.0 阿満利麿『親鸞からの手紙』ちくま学芸文庫

親鸞からの手紙 (ちくま学芸文庫)

親鸞からの手紙 (ちくま学芸文庫)

 息子との絶縁は面白い
 現存する親鸞の手紙四二通を現代語訳と解説でまとめたもので、息子と絶縁したときの親鸞の動揺などは面白いが、基本的には親鸞に興味がある人向けである。


6.0 アラン・ジェイ・ラーナー『ミュージカル物語 オッフェンバックから「キャッツ」まで』千葉文夫・星優子・梅本淳子訳、筑摩書房

ミュージカル物語―オッフェンバックから『キャッツ』まで

ミュージカル物語―オッフェンバックから『キャッツ』まで

 参考にはなる
 「マイ・フェア・レディ」などのミュージカルの台本で知られるアラン・ジェイ・ラーナーが、著名な作曲家・作詞家の生い立ちを書いたり、ミュージカルの成り立ちをオペラから簡潔に説明した本で、私がブログでミュージカル映画の感想を言う上で参考になった。ただ、著者は「ゲルマン民族の本性には、ほとんど反キリスト的な遺伝子がそなわっていたかのようにも思われる」(25p)と全編通してドイツを批判しているのがくどく、また「英国社会こそもっとも文明的だと私は言いたい」(26p)とも言っているが、王制が存続し階級社会もはっきりしていて生まれによって差別される英国が「もっとも文明的」だとは思えない。


6.0 チャールズ・ハイアム『オードリー・ヘップバーン 映画に燃えた華麗な人生』柴田京子訳、近代映画社

オードリー・ヘプバーン―映画に燃えた華麗な人生

オードリー・ヘプバーン―映画に燃えた華麗な人生

 興味深いエピソードもあるがインパクトはない
 ハリウッド女優オードリー・ヘプバーン(1929-1993)の伝記。母はオランダ貴族、父はヒトラーに傾倒したイギリスのブルジョワで銀行の常務取締役でもあった(p7)。幼少の頃はぽっちゃりしていて同級生から虐められたらしいので(p11)、後年ずっと痩せていたことと関係があるのかも知れない。また、自分を美人に撮れないと思った撮影監督を解雇させたり(p206)、『マイ・フェア・レディ』の撮影中スタッフやキャスト全員が自分の視野に入らないよう命令を下すなど(p223)、横暴な面も描かれている。まあしかし、幼少の頃の戦争体験を除くと波瀾万丈の人生と言うほどのインパクトは無いので6点に留めた。


5.0 中島隆信『お寺の経済学』東洋経済

お寺の経済学

お寺の経済学

 僧侶批判として読む分にはいい
 僧侶が儲けるシステムを色々と暴露しているのでまあ面白いし、ショーエンK『「坊主まるもうけ」のカラクリ』(ダイヤモンド社)よりも数段詳しいが、著者は仏教に好意的なので無宗教の私には共感できない主張も多い。「学校や幼稚園を兼業すれば、まだ俗世間の色に染まっていない子供たちに仏教の教えの素晴らしさを伝えることが出来る。将来の信者を増やすという意味でも効果的であるし、宗教に裏打ちされた倫理教育を子供に施すことで学校教育の価値をより高めることもできる」(p144)と布教する意欲満々である。もっとも、著者の息子は脳性麻痺で車椅子生活をしているらしいので、彼が宗教にすがる気持も分からなくはないが。


5.0 日向一雅『源氏物語の世界』岩波新書

源氏物語の世界 (岩波新書)

源氏物語の世界 (岩波新書)

 まとまっているだけ
 一応まとまっているが、独自の視点はないし、先行する研究書を踏まえるとあまり新しい発見はないように思った。秋山虔源氏物語』(岩波新書)を読めば良いのではないか。


5.0 河添房江『源氏物語と東アジア世界』NHKブックス

源氏物語と東アジア世界 (NHKブックス)

源氏物語と東アジア世界 (NHKブックス)

 詳しすぎてついていけない
 894年の遣唐使の廃止から日本は唐の影響から脱していき国風文化が成立したが、依然として日本には唐物が渡来しており文化に影響を与えていた、というのはなるほどと思った。ただ、唐物一つ一つを分析していくのは詳しすぎてついて行けなかったし、また文化的ジェンダーがどうこう、とジェンダー論を展開していくが抽象的すぎて何を論じているのかよく分からなかった。


5.0 木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教 120年の関係史』キリスト新聞社

アメリカ映画とキリスト教 -120年の関係史

アメリカ映画とキリスト教 -120年の関係史

 宗教を押しつける筆致は残念
 米国映画とキリスト教の関係を映画黎明期から追っている。エリア・カザン赤狩りの対象となった背景には、ギリシャ系移民という彼の出自が関係しており(p72)、カザンばかりを悪者にするのはおかしい、というのはなるほどと思った。しかし、著者は実際にキリスト教の伝道師で、宗教を読者に押しつける筆致になることがある。「絶えず変化しつづける現代の映画というメディアに代表される大衆文化と、それを受容する我々の間において、時を超越して生きて働かれる神がどこに立ち、我々に語りかけているのか、ということを模索する」必要があるとか言っている(そんな必要はない)。神学部に入学した理由は「神の不思議な御手による導きがあったとしか思えない」とカルト的で恐い(そんな導きなど存在しない)。また木谷は後書きで佐藤優に感謝したり、佐藤優が本書を推薦したりとそれも嫌である。


5.0 新井恵美子『美空ひばりふたたび』北辰堂出版社

美空ひばりふたたび

美空ひばりふたたび

 拍子抜け
 横浜の魚屋に生まれた美空ひばり(1937-1989)は、幼少の頃から抜群の歌唱力を発揮し、1947年にNHKののど自慢素人音楽会に出演したが、審査員の丸山鉄雄に「ゲテモノ趣味である」「奇形児である」「大人の真似をさせる如きは児童虐待である」(p64)と批判され、またサトウハチローに『東京タイムズ』(昭和25年11月23日)で「吐きたくなった。(略)可愛らしさとか、あどけなさがまるでないんだから怪物、バケモノのたぐいだ。あれをやらしてトクトクとしている親のことを思うと寒気がする。あれをかけて興行している奴のことを思うと張り倒したくなる」(p89-90)とバッシングされたりと、当時の音楽業界では美空ひばりが全く受け入れられていないことに驚いた。あとは小林旭との結婚が破綻した様子や、山口組組長の田岡一雄との関わりなどが描かれ、まあつまらなくはないけど美空ひばりの人生には波瀾万丈な愛憎劇があるわけではなく拍子抜けした。伝記は愛憎劇があるほうが面白い。
 ちなみに著者はひばりの父について「最後まで身元に愛人を置いておくほど男気のある人だった」(p156)と書いているが、なぜそれが男気になるのか不明である。


5.0 ボブ・トマス『アステア ザ・ダンサー』武市好古訳、新潮社

アステア―ザ・ダンサー

アステア―ザ・ダンサー

 スターだが面白い人生ではない
 ミュージカル映画に革命を起こしたダンサー、フレッド・アステア(1899-87)の伝記で、『フレッド・アステア自伝』よりは面白い。が、ダンスに革命を起こしたわりに彼の人生には大事件などというものは起らず、退屈な印象を持った。スターだとはいえ面白い人生を歩んでいるとは限らないのだろう。
 ところで、映画『ブロードウェイのバークレー夫妻』を降板したはずのジュディ・ガーランドが突如スタジオに現われた話は面白い。代役のジンジャー・ロジャースはすぐさま楽屋に隠れたが、その後もガーランドは自分が演じるはずだった場面を勝手に演じ続け、監督チームにつまみ出される際に「くたばれ」とジンジャー・ロジャースを罵倒した、というから強烈である。


5.0 山本淳子『平安人の心で「源氏物語」を読む』朝日新聞出版社

平安人の心で「源氏物語」を読む (朝日選書)

平安人の心で「源氏物語」を読む (朝日選書)

 参考になるところもあるが
 『源氏物語』に出てくるシーンや描写を通して、平安時代の考え方や暮らしを一つ一つ取り上げており、「人妻の不倫が激しく罰せられるのは武家社会に入って以後のこと(父の財産を子が相続する制度では、妻が婚外子を生むと家系が乱れ、実に不利益となったから)」など勉強になるものもあるが、話題が雑多であり些末すぎる見出しもある。
 ところで巻末の方で、修道女の渡辺和子の「置かれたところで咲きなさい」、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」という言葉を引用し(p247)、「人とは何か。それは、時代や運命や世間という「世(現実)」に縛られた「身」である」(p248)と著者は語っているが、これは「人間は出過ぎた真似をしてはならない」というように、人間の自主性や自由を批判しているように読めるから嫌である。別に、置かれてないところで咲いていいのである。


5.0 加藤幹郎『映画館と観客の文化史』中公新書

映画館と観客の文化史 (中公新書)

映画館と観客の文化史 (中公新書)

 マニアックすぎる
 映画館の上映形態の歴史を、国内外含めて調べており、またパークシアターやDVD・インターネット視聴・飛行機内の視聴まで分析しているが、詳しすぎてマニア向けになっている。また、「今日、インターネットによるポルノ動画配信時代にポルノ映画館が残存している最大の理由は、そこがもはやポルノ映画を見るための場所ではなくなっているという逆説においてであ」り、そこは「もっぱら男性同性愛者たちが遭遇し交流するための場所として積極的に機能している」(p280)というが、もう今ではポルノ映画館はほとんど残存していない(新橋文化劇場も2014年に閉館した)から論理が破綻しているし、なんだか無理に同性愛を絡めて映画館の意義を語っているように思える。ゲイに興味の無い私には、映画館の存亡など関係ないことなのかもしれない。


4.0 フィリス・ローズ『ジャズ・クレオパトラ パリのジョセフィン・ベーカー』野中邦子訳、平凡社

ジャズ・クレオパトラ―パリのジョゼフィン・ベーカー (20世紀メモリアル)

ジャズ・クレオパトラ―パリのジョゼフィン・ベーカー (20世紀メモリアル)

 『孤児たちの城』の方を読むべき
 フランスに渡った米国の黒人ダンサー・女優のジョセフィン・ベーカーの伝記で、記述は詳しいが、出典や引用元がちゃんと書かれていないのは気になる。1920年代当時のフランスでは黒人はまだ珍しくジョセフィンはモテたのだが、白人とデートするときは「白人にたいする復讐の一例」で「(白人の)男の祖先がジョセフィンの祖先にしたことのお返しだ」としてデート相手の男の金をひったくったと言うが、逆差別ではないか。また、第二次世界大戦中にファシズムと戦った黒人女性ということでフランスから勲章を貰うが、黒人だったから貰えたんじゃないかと思う。
 ところでジョセフィンが戦後来日した際に養子にしたアキオの母は韓国人だとあるが、これは日本人の間違いである。ジョセフィンは色々な人種の養子を育てている人道主義者として自分をアピールするため、養子の出自に対して嘘をついたことで知られる。このことは高山文彦『孤児たちの城 ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』で詳述されるが、ジョセフィンが13人の養子をひきとり夢の国を作ろうと思ったものの上手くいかなかった様子は壮絶であり、ジョセフィン・ベーカーはこちらの事件で記憶されるべきではないか。


4.0 猪俣良樹『黒いヴィーナス ジョセフィン・ベイカー 狂乱の1920年代、パリ』青土社

黒いヴィーナス ジョセフィン・ベイカー―狂瀾の1920年代、パリ

黒いヴィーナス ジョセフィン・ベイカー―狂瀾の1920年代、パリ

 伝記にはなっていない
 ジョセフィン・ベーカーを書きたいのか1920年代のパリを書きたいのか判然としない。彼女が 後年13人の孤児を引き取ったこともあまり触れられていない。
 まあただ、バナナの原産国は東南アジアでそこからインド、マダガスカルを経てアラビア商人に渡り、アフリカの象牙と交換するために世界初のプランテーションを作ったという歴史は勉強になった(p65-66)。また、ヨーロッパ人が本国及び植民地として支配する地域は1914年には地球全表面の84.4%に達しており、その当時はフランスが英国に次いで世界第2位の植民地帝国だったという(p76)。伝記にはなっていないが知識はつく。


4.0 ポール・D・ジンマーマン『マルクス兄弟のおかしな世界』中原弓彦永井淳訳、晶文社

マルクス兄弟のおかしな世界

マルクス兄弟のおかしな世界

 マルクス兄弟が好きな人向け
 喜劇役者マルクス兄弟の生い立ちと、彼らが出演した映画作品のデータなどが載っている。映画の中で一言も喋らない次男のハーポは、子供の頃ガキ大将に目を付けられ授業中に校舎の二階からたびたび突き落とされていて、ついに学校に行かなくなり、deadをdedと書くなど読み書きに問題のあるままだった(p84-85)というのは衝撃的だった。ただ、基本的にはマルクス兄弟が好きな人向けの本にとどまる。


4.0 石井光太『遺体 震災、津波の果てに』新潮社

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

 津波の墓標』の方がいい
 東日本大震災のルポで、私が漫画(『学芸員の女』)を描く上では一応参考になったが、著者の宗教的な筆致が濃く共感できなかった。死体を土葬するのは可哀想だから火葬してあげたいなどと言うが、人間は死んだら終わりなのだから可哀想も何もない。また、著者は遺体の横で笑い話をするのは遺体に敬意を払っていないとも言うが、笑い話をして何がいけないのか。死体にはなにか特別な意味がある、と考えてしまうのは前近代的で、私にはオカルトにしか思えない。石井光太の震災ルポはこちらではなく『津波の墓標』(徳間書店)の方が断然面白い。


3.5 山平重樹『実録神戸芸能社 山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界』双葉社

実録 神戸芸能社 山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界 (双葉文庫)

実録 神戸芸能社 山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界 (双葉文庫)

 ヤクザは廃れていい
 山口組三代目組長の田岡一雄が立ち上げた芸能事務所「神戸芸能社」を記録した本。どうして山口組が芸能人と仲が良かったかというと、「ギャラの払いもよければ、トラブルもな」く興行をするなど(p93)、他のヤクザとは違い芸能人を大事に扱ったからだという。また、スターのボディガードとしてヤクザが芸能人の周りに突くことも多かったというのでなるほどと思った。その他写真が多くあり、美空ひばり高倉健江利チエミ夫妻が田岡と一緒に写真に写っている。
 しかし基本的に著者はヤクザを批判するスタンスではなく、途中途中ヤクザの抗争や笑い話のエピソードが挟まるが、ヤクザ嫌いの私としては面白がることは出来なかった。時代は変わったのであり、ヤクザは廃れていいのだ。


3.0 村松友視『裕さんの女房 もうひとりの石原裕次郎青志社

裕さんの女房―もうひとりの石原裕次郎

裕さんの女房―もうひとりの石原裕次郎

 モテ男向け
 元女優の北原三枝が夫の石原裕次郎を愛する気持ちは興味深いが、著者が北原三枝との対談で裕次郎の浮気を擁護するのは腑に落ちない。裕次郎が朝帰りしたとき、「こういう話になると、ついご主人の味方をしてしまう……これは私なりの保身のクセですけど(笑)」(p228)と言うが、こういう気持はモテる男にしか分からないのだろう。また北原三枝は、裕次郎が亡くなった年、あの世でも夫婦の契りを結び合うために総持寺で安名血盟式をし戒名を貰ったというが、私にはオカルトにしか思えない。


3.0 多木浩二『絵で見るフランス革命ーイメージの政治学岩波新書

絵で見るフランス革命―イメージの政治学 (岩波新書)

絵で見るフランス革命―イメージの政治学 (岩波新書)

 フランス革命の絵の資料
 フランス革命期に残された絵画やカリカチュアを収拾した本で、そういうのが見たい人にはまあいいが、「当時の社会や思想状況について新しい視点を提供してくれる」と銘打つわりに何が新しいのかよくわからない。絵の中にある「顕在化してはいない意味伝達の回路」(227p)を読み解くことを「イメージの政治学」と呼ぶことにするというが、絵の中に顕在化されていない意味があるのは当り前だし、わざわざ格好つけた名前を作らなくてもいいと思う。もちろん、当時描かれた絵やイメージが革命に寄与した面もあると思うが、美術評論家である著者は美術の貢献を過大評価しすぎている気がする。革命を支えたのはまず共和思想だろう。


3.0 ジンジャー・ロジャースジンジャー・ロジャース自伝』渡瀬ひとみ訳、キネマ旬報社

ジンジャー・ロジャース自伝

ジンジャー・ロジャース自伝

 オカルト的な語り口
 1930年代のミュージカル映画フレッド・アステアの相手役として知られる女優ジンジャー・ロジャース(1911-1995)の自伝。ただ、筆致がオカルト的で、母親の影響でクリスチャン・サイエンスという新興宗教を信奉することになり、体のイボがお祈りを捧げることで治った、というエピソードなどが色々出てくるが、全て偶然にしか過ぎない。終盤では神への感謝と、友達自慢や共和党の政治家(ニクソンなど)との交流自慢になってきてこれも面白くない。
 ただ、真珠湾攻撃の前日にイサム・ノグチに自分の胸像を彫って貰ったのだが、そのイサム・ノグチ強制収容所に収容されることを知り驚いたというエピソードは良かった(233p)。


2.5 瀬川裕司『「サウンド・オブ・ミュージック」の秘密』平凡社新書

 感情移入した方がいい
 映画評論家の瀬川が、すべての映画の中で一番好きだという『サウンド・オブ・ミュージック』を分析するが、民話から読み解いたり、椅子や小道具の効果についてまで書くなど詳しすぎてついていけない。ところで、「職業柄、映画を観るときには登場人物に感情移入をせず、客観的な分析をおこなう習慣を身につけている」(p75)というが、映画評論家とはそういうものなのだろうか。感情移入をせずに映画を観るという姿勢に全く共感できない。ノースロップ・フライは『よい批評家』で「文学を読む大衆の代表として、作家に共感し、学識のある人を、批評家という名称で呼びたい」(p96)と言っている。


2.0 藤えりか『なぜメリル・ストリープはトランプに噛みつき、オリバー・ストーンは期待するのか ハリウッドからアメリカが見える』幻冬舎新書

 平凡なリベラルの視点
 平凡なリベラルの視点から、反トランプ・反ヒトラー・反黒人差別などいかにも優等生的な意見が引きだされるだけで、たいしたことは言っていない。ディズニーは「1991年の『美女と野獣』でディズニー長編アニメ初の女性脚本家を起用した」(p111)というのは知れてよかった。


2.0 ジェームズ・キャグニージェームズ・キャグニー自伝』山田宏一訳、早川書房

ジェームズ・キャグニー自伝

ジェームズ・キャグニー自伝

 ハイウェイ建設に反対しながらドライブを楽しむ
 ハリウッドスター、ジェームズ・キャグニー(1899-86)の自伝で、1931年の映画『民衆の敵』の撮影では当時まだ空砲が開発されて折らず実弾を用いて撮影していた、など衝撃的な事実は載っている。しかし、あとはキャグニーの若い頃の喧嘩自慢だったり、キリスト教徒として自然破壊を嘆いたりと共感できない。しかも驚くべきことに、キャグニーはハイウェイ建設に反対しながら、「車で旅をして、車でとおりすぎるそれぞれの州が独自の美しさをもっていることに気がついた」とドライブを肯定しており完全に論理が破綻している(p260-261)。自然保護を叫ぶなら車から降りることだ。


2.0 フレッド・アステアフレッド・アステア自伝』篠儀直子訳、青土社

フレッド・アステア自伝 Steps in Time

フレッド・アステア自伝 Steps in Time

 当り障りのない自伝
 ミュージカルスターであるフレッド・アステアの自伝だが、ボブ・トーマス『アステア ザ・ダンサー』があるので別に真新しいことも書いていない。文章が紳士的すぎて、当り障りがない印象しかない。また、英国の皇太子は「その時代で最も輝いていた人だった」(153p)と王族への尊敬の意を示すが、私は身分制(君主制)に反対なので共感できない。


2.0 シャーリー・マクレーン『マイ・ラッキー・スターズ』岩瀬孝雄訳

マイ・ラッキー・スターズ―わがハリウッド人生の共演者たち

マイ・ラッキー・スターズ―わがハリウッド人生の共演者たち

 オカルト記述が目立つ
 女優シャーリー・マクレーンのハリウッドでの回想記だが、東洋的なスピリチュアルを賛美する記述が目立ちオカルトじみている。実際、彼女は何冊もオカルト本を執筆している。政治的にも左派を応援している立場だが、現代の目で見ると間違っていると思った。


2.0 河添房江『性と文化の源氏物語 書く女の誕生』筑摩書房

性と文化の源氏物語―書く女の誕生

性と文化の源氏物語―書く女の誕生

 無意味な議論
 現代思想だのジェンダーだのシニフィエシニフィアンだのをふまえようとした結果、些末なモチーフこだわりすぎており、また無意味な議論になっていて退屈だった。「〔従来の〕文学史観の有効性は疑うべくもないが、その一方で、今日つけ加えるべき視点があるとすれば、それは連続もしくは順接の史観に対する、不連続・逆接ともいうべき史観の発想ではないだろうか」(p13)というが、史観という発想自体が間違っている。歴史に目的など無いからである(史観という概念がそもそも間違っているということについてはカール・ポパー『歴史主義の貧困』を参照)。また、光源氏が少年と同性愛に不快陥らないことを著者は「残念」とも言っているが(p92)、なぜ残念なのかよく分からない。同性愛が描かれていれば作品として優れている、などということは無いのである。


2.0 石田瑞麿教行信証入門』講談社学術文庫

教行信証入門 (講談社学術文庫)

教行信証入門 (講談社学術文庫)

 理解できたところで…
 『教行信証』とは親鸞が書いた浄土真宗の教義を述べた書で、私は自分の漫画を描くために一応読んだが、入門とはいえ読みづらく、よく分からなかった。ただ、理解できたところで面白いとは私には思えそうにないが。


1.5 森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』講談社選書メチエ

宗教からよむ「アメリカ」 (講談社選書メチエ)

宗教からよむ「アメリカ」 (講談社選書メチエ)

 学問として疑わしい
 冒頭の宗教史はまあ普通だが、人民寺院やブランチ・ビリディアンなどの明らかなカルト集団をカルトと呼ばないように配慮し、また同情的な面すら見せているのでおかしい。人民寺院集団自殺について、「私には、死の直前に彼らの心に浮かんだのは、かつての人民寺院での生活、自由で安らかな、人種差別のない共同体での日々の思い出だったのではないかと思われてならない」(p163)というが、彼らが「自由で安らかな、人種差別のない共同体」だったとは到底思えずうさんくさい。価値判断が多く書かれており、学問としての客観性もない。


1.5 荒このみ『歌姫あるいは闘士 ジョセフィン・ベイカー』講談社

歌姫あるいは闘士 ジョセフィン・ベイカー

歌姫あるいは闘士 ジョセフィン・ベイカー

 都合の悪いところを描いていない
 著者はジョセフィンを「人道主義者であり理想主義者」とひいきするが、ジョセフィン・ベイカーの問題行動や孤児を引き取ったことの失敗はあまり語られないので伝記としての完成度は低い。ジョセフィン・ベーカーの本は既に何冊か出ているのだからわざわざ書く必要があったのか疑問である。


1.0 岩本憲児『光と影の世紀 映画史の風景』森話社

光と影の世紀―映画史の風景

光と影の世紀―映画史の風景

 インチキかつ左翼的
 話題が些末で散漫で、大げさに哲学用語を引用している。ポストモダンへの言及があるが(p36)、ポストモダンは相変わらず世界には訪れておらず学問的にインチキであることは富永健一『近代化の理論』(講談社学術文庫)にも書いてある。また、著者の恩師だという映画評論家の飯島正を受けてか、飯島と同じように左翼的な価値判断が多く、学問としての公平感がない。「第二次世界大戦後の日本人にとって、日本の現代史教育が不十分なままに来てしまったツケがいま問題化しているからである。とりわけ台湾や朝鮮半島への過去の弾圧的政策、日中戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)へと至る戦争拡大の中で犯したアジア諸国への過ち、これらについて若い人々へ歴史教育が成されてこなかったことは、アジア諸国と日本との歴史認識の違いの大きな溝を作り上げてしまった」(p110)と言うが、東アジアがまとまらないのは日本の反省不足ではなくそれぞれの国が中華思想を分有しているためであるということが古田博司『東アジア・イデオロギーを超えて』(新書館)を読めば分かる。


1.0 ピート・ハミル『ザ・ヴォイス フランク・シナトラの人生』馬場啓一訳、日之出出版

ザ・ヴォイス―フランク・シナトラの人生

ザ・ヴォイス―フランク・シナトラの人生

 『ヒズ・ウェイ』を読むべき
 シナトラを格好良く描いて美化しており、彼に都合の悪い事件や暴力沙汰を隠している。伝記としての水準に達しておらず、シナトラを知りたいならキティ・ケリー『ヒズ・ウェイ』で充分である。

1.0 ショーエンK『「坊主まるもうけ」のカラクリ』ダイヤモンド社

「ぼうず丸もうけ」のカラクリ

「ぼうず丸もうけ」のカラクリ

 ショーエンKだあ?
 私が漫画(『学芸員の女』)を描くに当たり参考になればと読んだが、ページの余白が多くスカスカで、中島隆信『お寺の経済学』(東洋経済)より後に出たとは思えぬほどたいしたことは書いていない。本名も名乗る度胸もないのに、こんな本で儲けようとしていると思うと更に腹立たしい。


0.5 映画秘宝編集部『新世紀ミュージカル映画進化論』洋泉社

新世紀ミュージカル映画進化論 (映画秘宝セレクション)

新世紀ミュージカル映画進化論 (映画秘宝セレクション)

 知の後退
 基本的に『ラ・ラ・ランド』を誉めるだけの本で、反対意見は原田和典がデミアン・チャゼルのジャズの認識を批判しているくらいであり(それもジャズを愛していない私にはどうでもいい)、『ラ・ラ・ランド』がつまらない私には面白がるところがない。また、町山智浩を始めとして、どの執筆者も参考文献や出典を掲載しておらず、自説を展開するだけで学問的価値はない。この本を読んでミュージカル映画が進化しているとは思わないだろう。あと町山智浩の「~だよ」「~だよね」と読者に呼びかけてくる文体は気味が悪く思った。吉岡栄一『文芸時評ー現状と本当は恐いその歴史』が名著だと思う私としては、誉めるに値しない作品を寄ってたかって誉めている構図は知の後退であるとしか思えない。


0.5 飯島正『映画のあゆみ 世界映画史入門』泰流社

映画のあゆみ―世界映画史入門

映画のあゆみ―世界映画史入門

 過去の遺物
 1950年代当時の左翼視点による根拠のない決めつけの発言が多く、挙げればキリがない。「日本は、〔映画が〕二本立て、三本立ての好きな国」(p62)だというが、外国でももちろんあることは加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(中公新書)などを読めば分かる。また、当時の著者は『市民ケーン』などの超有名な映画すらまだ見ていないので、現代では何の参考にもならない。