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こだま『夫のちんぽが入らない』

感想

 

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

 

 こだまさんとは1度会ったことがある。ぼくは2014年の暮れに「けつのあなカラーボーイ」というWEBサイトが主催したイベントの打ち上げに、どろりさんについて行って参加したことがあり、そこでこだまさんとお会いした。ちなみにぼくは打ち上げ会場となった居酒屋のテーブルの隅でぼく脳と喋っていたが、ぼくが彼の漫画を批判するなどして険悪なムードが立ち込めて以来絶交関係になった。また、その時てにをはさんと初めて会い軽く挨拶したが、去年てにをはさんがツイッター上で「路上で喫煙している人がいたらわざと咳き込んで通り過ぎる」と言った所にぼくが皮肉をかまして言い合いになった末ブロックされるということが起こった。てにをはさんといえば何を隠そうこだまさんのツイッターのアカウントの似顔絵を描いている人で、「ぼくだったらこだまさんの顔はこう描くのに」とその似顔絵を見るたびに少々嫉妬の感情が湧いてくるが、まあそれはいい。

 

 さて、これを言うと営業妨害なのだが、こだまさんはバレーボールをやっていたらしく背も高く色白で美人である。ぼくは先程ぼく脳に噛みついてアドレナリンが出てる最中だったので、こだまさんやたかさんが飲んでいたテーブルに勝手に座って色々と話を一方的に振ってしまったが、こだまさんは優しいのでニコニコしながら聞いてくれた。こういう人は10代20代のころはモテたんじゃないのかと思うが、『夫のちんぽが入らない』では度々自分のことを「醜い」と言っていて、それがどうもぼくにはピンとこない。たとえば客観的にこだまさんよりこだまさんの妹の方が美人だとしても、それは妹がより美人なだけであって、一般的な感覚で言うとこだまさんは美人だ。もちろん著者=小説の主人公ではないから、この小説の主人公はこだまさん本人より醜い顔をしているというキャラ設定がされているのかもしれないが、しかし中2の時にヤンキーに告白されたり、高2の時にすぐ男に声をかけられて初体験をしたり、夫に会って間もなく告白され数年後に(性的な悩みがあるのを承知で)求婚されるとは、やはりこの主人公は美人だと思う。だから、主人公が自分を「醜い」と言う度にくどく感じた。母が主人公を醜いと言ってきたことを振り返る場面があるが、それは単に子育てなどのストレスからくる意地悪に過ぎないように思う。むしろこの主人公は、自分が美人だからこそ「自分が醜いのではないか」という恐怖心にとりつかれているんじゃないか…と勘ぐってしまった。美醜の問題になると、こだまさんの筆致は一人で悩み過ぎて暗い雰囲気になってしまい、いつものこだまさんのユーモアが追いつかず笑いづらい雰囲気になってしまったように感じる。

 

 それとは対照的にこだまさんのユーモアが発揮されたのは、主人公が性生活と仕事のストレスで自暴自棄になり、出会い系で知り合った男たちと「した」箇所だと思う。特にぼくが衝撃を受けたのは「山」に対して欲情するアリハラさんで、一緒にハイキングに出かけた4回の全てで、彼はおもむろに自分の性器をチャックから引きずり出して黙々と自慰をし、絶頂に達した。後日、アリハラさんに急に会いたいと言われたので何事かと思い会うと、彼が持ってきた「きんつば」をその場で咀嚼させられ、それを口から出したものをアリハラさんが食べ、続けて自分の性器をしごきだし口内シャセイされたという。ここでさらけ出された思い出は面白いし、容赦のない筆致で尊敬した。ところで、こうやって知らない男とセックスをするのは夫を裏切る行為で不快だ、という批判を受けるのも仕方がないとは思う。セックス依存症(セックスを持ちかけられるとNOと断れない精神状態)だったとはいえ、主人公がセックスの誘いを断らなかったのは事実だから、自己責任ではある。ただ、「不貞行為があった」と妻のほうだけ責めるのはアンフェアで、なぜなら夫は風俗に通っている。夫は妻以外と性行為してもいいが妻は許さない、という心理はミソジニー(女嫌い)でおかしい。批判するなら両方批判するのが道理である。ぼくはとにかく、読者から不愉快だと言われるのを分かっていても、自分にとって都合が悪いとしても隠さずに発表したこだまさんの勇気を評価したいし、感銘を受ける。

 

 次に、こだまさんの「夫」の描き方はどうかというと、これが良い。普段のこだまさんのブログやツイートからは、こだまさんが夫のことをどう思っているのか想像しづらいのだが、この本ではこだまさんは夫のことが大好きなんだなあというのが伝わる。特にいいのが出会いの所で、大学に通うためにアパートに越してきた当日、帰り支度を始める(後の)夫に、「もう帰るの」「まだいてくれてもよかったのに」と名残惜しそうにするところに興奮した。作者からすれば夫と出会ったのは20年も前なのに、夫への思いが瑞々しく書かれていて愛おしく思えた。

 

 この本はしかし先も言った通り、ブログやツイッターでのいつものこだまさんのユーモラスな味は薄れていて、暗い過去を綴るのに精いっぱいな、息の詰まる緊張感が勝ってしまったと思う。それは、未だにこだまさんが自身が歩んできた人生について整理できていなくて(まあ無理はないが)、一歩引いて観察しているのではなく、自らの容姿を執拗に「醜い」と言ってしまうところも含めて、なんだか分からないまま自分のことを文章にしているからだと思う。もちろん、なんだか分からない状態のまま書き連ねていく自伝的な小説にも傑作はあって、たとえば島尾敏雄の『死の棘』は、実際に作者の妻が狂ってしまったのでそれを日記のように次々と記録していく小説で、これは壮絶すぎて笑える。しかし、『夫のちんぽが入らない』が壮絶すぎて笑えるという感じではない以上、小説の書き方に課題が残っていると思う。壮絶すぎて笑えるのか、それとも一歩引いて冷静な笑いにするのかなど、書く方法を選択する必要があるのではないか。人の人生を「どう笑いにするか」だなんて、我ながら酷いことを言っているが、しかし創作とはそういう残酷なものだとも思う。もちろん、こだまさんにはこれからも小説を書いてほしい。業界では、作家は3冊本を出してからが作家、らしい。例えば、主人公には「わたし」ではない、三人称小説を書いたらどうなるんだろう、という楽しみもある。また、『夫のちんぽが入らない』の続編を、長い目で見ていつか書くのでもいい。実際に『死の棘』は1960年に第1話を発表してから終わるまでに16年かかった作品である。

 

 最後に、「どうしてこだまさんは自分が本を出すのを夫に内緒にしているんだろう、言ってもいいのに」とぼくはずっと疑問だったのだが、それは夫のことを考えた上のことなのかと(精神的に少々疲れている夫にショックを与えてしまう恐れがある、ということも含めて)思った。こだまさんの夫への思いの強さを垣間見た気がする。

 

終わり