大類浩平の感想

匿名(氏名非公開)の人の議論には応じない場合があります

2018年に読んだ学術論文・評論・伝記など

105項目。



9.5 アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』田崎晴明、大野克嗣、堀茂樹訳、岩波現代文庫、2012年

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

 インチキ論文はやめよう
 現代思想家やポストモダニスト相対主義者の間違っている所がこれでもかというほど批判され論証される重要な著書である。また、現代思想家だけではなく、カール・ポパー以降の反証主義も行き過ぎてておかしい、という所は感心した。反証主義は、矛盾を見つければすぐ理論が誤りだとして理論を丸ごと捨て去ってしまう。しかし例えばニュートン力学において、いくつか矛盾が見つかったからといってニュートン力学をまるごと否定するのはやりすぎである。ニュートン力学で説明できないことは相対性理論に任せればいいのであり、ニュートン力学における慣性の法則や作用・反作用の法則などは未だに健在である。同様に、米国の哲学者トマス・クーンのパラダイムシフトという言葉も大げさすぎる。時代の枠組みなど根本からは変わっていないのだ。


9.5 宇佐美寛『作文の論理―<わかる文章>の仕組み―』東信堂、1998年

作文の論理―『わかる文章』の仕組み

作文の論理―『わかる文章』の仕組み

 媚びない文章
 実在する本の文章や生徒の作文の粗を、完膚なきまでに打ちのめしていくのがたまらない。例えば作文や論文において、前置きを書く人がいるが、「はじめに」・「序」・「前書き」で無駄なことを書くくらいなら何も書くな(p8-9)、とか面白い。また、文は短く書くべきであると宇佐美は主張する(p48)。一文には意味が一義あればよい。すぐ句点(。)で区切るのが良い文である。宇佐美を読んでから、私もなるべく一文を短く区切るようにしている。さらに重要なのは六章で、「思った」という言葉を使うなと言う。何かを「思った」から作文を書くのは当り前なのだから、「思った中身だけ言えばいいのである」(p56)。自分の意見を断定する勇気が無いなら、最初から何も書かなければいい。「~だと思う」とかで断定を避けるのは、読者に媚びているのである。
 

9.5 赤川学子どもが減って何が悪いか!』ちくま新書、2004年

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)

 トンデモ少子化論の撃破
 学者や知識人が少子化について論じる際、あまりにもデータを恣意的に操作していることが主張される。赤川はデータを集め直し、計り直してトンデモ少子化論を論破していくのが痛快である。また、「疑似相関を見破ることこそ、学問の醍醐味」(p41)だという。その例として、コウノトリと子どもの数がよく取り上げられる。「コウノトリの数が多いところでは、(一夫婦あたり)子ども数も多い」という相関関係があるとする。これを、「コウノトリが子どもを運んでくるからだ」と解釈したら、笑われるだけである。「なぜなら、コウノトリの数と子どもの数に直接的な因果関係はなく、両者に影響を与える別の共通要因が考えられるからだ。端的にいえば、都市化が進めば進むほどコウノトリの数は減る。そして、都市化が進めば進むほど子どもの数は減る。都市化(C)という別の変数(これを第三変数という)が、コウノトリの数(A)と子どもの数(B)に影響を与えているがゆえに、もともと因果関係がないAとBの間に強い相関関係が現れてしまう。これが疑似相関である」(p41)。ちなみに、女性の労働率が高くなると少子化が進むと誤解してしまうが、実際はそうではない。日本では、都市部の女性は専業主婦が多く、農村部ほど女性が働かざるを得ない。つまり、女性労働率が高い農村部の方が出生率は高いのである(p42-43)。
 さらに赤川は、少子化デメリット論を声高に叫ぶ状態からの転換を呼びかける。これからは、少子化のデメリットを認めた上で、どのような対応が望ましいのか論じるのが重要になる。つまり、少子化のデメリットをどう解消させるかではなく、「少子化傾向を前提とした上で、人口構成の変動に対応した社会を作るべきなのである」(p125)。同様に、年金制度への不安を叫ぶのも有益ではない。なぜなら「年金制度が破綻しかねないという懸念は、政府が現行の年金制度を維持しなければならないという問題関心のもとでのみ、解決すべき難問として立ち現れる」からで、「その前提を取っ払ってしまえばそもそも『問題』ですらない」からだ(p127)。赤川はここで西沢和彦の『年金大改革』を引用し、年金を現在の賦課方式から積立方式に転換するよう説く。


9.0 『日本の歴史』改版<全26巻>、中央公論新社

日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫)

日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫)

 教養として
 原本は1960年代に書かれた論文がほとんどである。50~60年前に書かれた論文なんて…と思うかもしれない。だが実際のところ、それまでの定説を覆すような新たな研究結果というのはなかなか現れないものである。500年も1000年も前の時代のことなんてそもそも分からないことが多いのに、この何年かで急に新たな大発見がされることは稀なのだ。もっともこの改版では、巻末に最新(2005年前後だが)の研究結果が付け足されており嬉しい。どの巻も500ページ以上はあり、一読だけでは大まかにしか記憶できないが勉強になった。
 ただし、現代の目からするとそんなに詳しくする必要があるか?という巻もあった。とくに15巻の『大名と百姓』(佐々木潤之介著)では、江戸時代の経済や民衆の社会史が詳しく描かれすぎていて退屈に感じた。これは小谷野が言っていることだが、歴史を学びたい初学者は、集英社の『学習まんが 日本の歴史』など漫画から入るのがとてもいい。


9.0 小谷野敦現代文学論争』筑摩選書、2010年

現代文学論争 (筑摩選書)

現代文学論争 (筑摩選書)

 黙る人が嫌いである
 論争は批評の華である。しかし、「一九九〇年代になってから、次第に、新聞・雑誌は論争の場を提供しなくなり、どれほど人が真面目に批判していてもさらさらと受け流すというのが作法となって、それは社会的地位のある人ほどそうで、その分、批判された者のファンみたいなやつがネット上で匿名で絡んできたりする」世の中になった(p11)。私は小谷野の黙っていられない所に非常に共感する。「結局私は、沈黙を守る人間というのが根深いところで嫌いなのであろう。(中略)むろん、沈黙しなければならない理由がある場合は別だが、ちっともそういう場合ではなくて、公的なことがらで自分に向かって議論が吹っ掛けられているのに、金持ち喧嘩せずとばかりに、沈黙を守るという、そういう人間である。『彼はあえて反論せず、黙って耐えた』などと、あたかも美徳であるかのように書かれた文章を見ると、条件反射的に不快になるのである」(p379)。また、谷沢永一の『方法論論争』から、論争する上での重要なマナーが引用される。「批判する相手を丙氏だのT氏だのと書く方式は、意識的あるいは無意識的に、偽りの礼儀に身を隠し、実は相手側からの反論を回避しようと企む、卑怯な逃げ腰から生まれた手前勝手ではあるまいか」。批判したい相手がいるなら、名指しで行うべきである。
 内容である。原爆文学の作品のできが悪いのに、政治的な理由で過大評価する側とそれを批判する側の論争が取り上げられている。私も、政治的な理由で作品を過大評価するのは大嫌いなので興味深かった。また、柳美里私小説石に泳ぐ魚』を巡る論争である。『石に泳ぐ魚』は、登場人物のモデルとなった顔に腫瘍のある女性が「プライヴァシーの侵害だ」として訴えたが、顔の腫瘍は外から見えることなのだからプライヴァシーの侵害ではない。そしてこれが一番重要だが、柳はその女性を侮辱する意図はなかったのである。にもかかわらず、裁判所は『石に泳ぐ魚』の原本を発売停止にした。これは、柳に対する人権侵害なんじゃないかと思ってしまう。そして、こういう判決があると私小説を書くことが億劫になる人も出てくるであろう。酷い話である。


9.0 スティーブン・ピンカー『言語を生み出す本能』<上・下>椋田直子訳、NHKブックス、1995年

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

 言語は普遍的である
 全ての言語の普遍性を主張し、また(鳥が本能的に飛べるように)人間は本能的に言語を獲得するとしたチョムスキー言語学の方向が、科学や時代の進歩に伴ってやはり正しいことが分かってきた、ということが啓蒙的に書かれている。わかりやすくて勉強になる。そして、「言語が話し手の思考を大幅に規定する」という相対的な言語論はインチキであることがここでは当然主張される。たとえばウォーフは、「ホピ族〔アメリカ先住民の一。筆者注〕の人々は出来事を点として意識せず、一日のような時の長さを数えられるものとは考えていない」(p84)と主張した。しかし後にホピ族について広汎な調査をしたエクハート・マロトゥキ(人類学者)の報告ではそれが覆された。

 「ホピ語には時制があり、時を表わす比喩、時の単位(日、日数、一日の各部分、昨日、明日、曜日、週、月、月齢、季節、年)、時の単位を数えるやり方、「古い」、「速く」、「長時間」、「終了した」などにあたる語がすべて備わっている。日付の決め方も精密で、地平線差に基づく太陽暦、厳密に順序の決まった祭日、紐に結び目を作った形の歴、日時計の原理を使った時刻測定装置などを駆使して記録を残している。なぜ、ウォーフが奇妙な主張をひねり出したのかは誰にもわからないが、数が多いとは言えない発話例にこじつけめいた訳をつけたことや、長年、神秘主義に傾倒していたことが一因になったとはいえそうである。」(p85)

 つまり、ウォーフは調査不足だったのであり、しかも自分の考えに都合のいいように事実をねじ曲げていたのである。
 ところでピンカーが英語話者であるため、言語を比較する際の例文は当然英単語や英文法が用いられる。日本人には分かりにくいところもあるので、日本語を例にしている郡司隆男の著作などを読んで勉強していくのがいいのだろう。


9.0 酒井邦嘉『言語の脳科学中公新書、2002年

 言語学は理系学問である
 言語は心の一部なら、脳の一部である。脳の一部であるなら、科学の対象である。脳科学は医学部で言語学は文学部、という区分は全く古いのである。また、言語が科学の対象であるなら、言語には自然法則がある。そして、「言語に自然法則があるとすれば、それは普遍的でなくてはならない」(p16)。われわれは、「脳によって決められた『文法』に従っていて、人間が話す言葉の構造は、勝手気ままに変えられるわけではない」(同上)のが根拠となる。新書でありながら、引用元や参考文献が詳しく説得力がある。チョムスキー批判についても、「チョムスキーの理論は古い、という主張そのものが古いのだ」(p113)と喝破していて痛快である。ところで、「言語が何かの必要性から生まれたと考えるのは誤り」(p37)で、進化を考える上でよくある勘違いである。「鳥の翼は飛ぶために必要なものだが、飛ぶ必要性から翼が進化したわけではない。進化の遺伝的メカニズムには、今西錦司(一九〇二~九二)が唱えた進化論のような、「なるべくしてなる」という合理目的性は存在しない。鳥は、翼が進化したから飛べるようになったのである。同様にして、人間は脳が進化したから言語を使えるようになったのである」(p同上)。ちなみに、言語はコミュニケーションのために適応したのが言語の起源だとスティーブン・ピンカーが主張したことがあるらしいが、進化に合理目的性がないのだから誤りだと主張を排している(p95)。非常に勉強になった。


9.0 郡司隆男『自然言語日本評論社、1994年

自然言語 (情報数学セミナー)

自然言語 (情報数学セミナー)

 日本語による例が豊富
 今日の言語学の研究対象は、言語ではなく文法になった。「個別の言語のみを見て、それを正確に詳細に記述することばかりを考えていたアメリ構造主義の時代の態度からは、人類全体が共有している『地球語』というような発想はなかった。これに対して、人類の言語の普遍性という観点を打出したのがChomskyであった」(p31)。郡司は、チョムスキー以降の言語学の要である生成文法を、日本語を例にとって解説していくので勉強になるし面白い。ただ、郡司はチョムスキー木構造を踏まえつつ、より精密な構造モデルを提示していくが、いくら日本語が例になっているとはいえ図式がややこしく難しい。もっとも、難易度が高いからこそ、チョムスキー以降の言語学を学ぼうとしない評論家が出てきてしまうのだが。とりあえず私は、チョムスキー以降の言語学を無視する知識人は信用しがたい。


9.0 中丸美繪『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』新潮社、1996年

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)

 音楽の鬼
 日本のクラシック音楽の黎明期に、チェロ奏者・指揮者として活躍した斎藤秀雄の伝記。斎藤は桐朋学園大学音楽学部の元となる教室を創設し、小澤征爾ら多数の優れた弟子を輩出した。斎藤の自分を貫いた生き方には胸を打たれる。年上には鬱陶しがられ、年下には怖がられた。やはり群れない人はいいなあと実感する。斎藤は鬼教師で、小澤征爾は授業が嫌になって寮の自室の下駄箱のガラス戸を拳で割り、右手を血だらけにしたことがある(p267)。一方で、斎藤は女にもてた。プリマドンナ田中路子は、後年70近くなって何十年かぶりにベルリンで斎藤と再会したとき、斎藤の妻の秀子や学生がいる前で斎藤の肩に手をかけて、「この人、私の昔の恋人だったのよ」と言ったという(p132)。また、斎藤の父で英語学者の秀三郎も学問の鬼であった。時間がもったいないからと手紙は開封しない、7人いる子どもの結婚式には参加しない。秀三郎の凄まじい執念を感じる。その他、時代や歴史背景もしっかり書かれていて、非常に優れた伝記である。


9.0 浦一章、芳賀京子、三浦篤渡辺晋輔『ヴィーナス・メタモルフォーシス国立西洋美術館ウルビーノのヴィーナス展」講演録』、2010年

ヴィーナス・メタモルフォーシス―国立西洋美術館『ウルビーノのヴィーナス展』講演録

ヴィーナス・メタモルフォーシス―国立西洋美術館『ウルビーノのヴィーナス展』講演録

 中世を生き延びるギリシア・ローマ美術
 『ウルビーノのヴィーナス』は、16世紀にヴェネツィアの画家ティツィアーノが描いた裸婦像である。この絵だけを見ても、エロくて良い。そして重要なのは、このようなルネサンス期の裸婦像が、ギリシア・ローマ美術の影響を受けて描かれたと言うことである。ギリシア・ローマの神々が中世のキリスト教文化を生き延びたことを、渡辺晋輔はパノフスキールネサンスの春』やセズネック『神々は死なず―ルネサンス芸術における異教神』をひいて解説する。古代の神々は、歴史的伝統(神話)・自然的伝統(星座や惑星)・道徳的伝統(寓意)として中世を生き延びたのである(p71-72)。西洋文明は一神教の文明だ、という主張は乱暴で、事実に反することが分かる。
 また、「ミケランジェロの女性ヌードは”男の身体に乳房をつけた”と形容されてきた」(p113)という渡辺の紹介で、私がミケランジェロが嫌いな理由が判然とした。私が好きなのは女の裸で、男の裸は嫌いなのである。


8.5 イマヌエル・カント純粋理性批判』<上・中・下>篠田英雄訳、岩波文庫、1961年

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

 下手に現代の哲学を読むより有益である
 「我々が認識し得るのは、物自体としての対象ではなくて、感性的直観の対象としての物――換言すれば、現象としての物だけである」(上巻p40)。人間は物をありのままに認識できず、現象によって認識するというその後の哲学にそのまま影響を与えたカントの著作である。また、「我々は、カテゴリーによるのでなければ、対象を思惟することができない」(上巻p205)という主張を読んで私の中ではスッキリした。現代の知識人はよく、カテゴライズすることを悪く言うよなあと思っていたが、そういうのはカントへの批判から来てるんだと合点がいった。現象や言葉をカテゴライズして定義を与えたり、定義を区別していくこと自体は悪くないのである。そうしないとそもそも人は考えられないのだから。
 一方で、当時の西洋人にとっては衝撃的だったかもしれないが、神の存在を否定していく中巻は退屈だった。私は宗教に全く関心がないし、この世に神がいないことは当然だからである。


8.5 赤川学『性への自由/性からの自由 ポルノグラフィの歴史社会学青弓社、1996年

 言説の分析
 ポルノグラフィは何か、という議論をしても始まらない。賛成派と反対派の、「あれはポルノだ」「いやあれはポルノじゃない」という無益な論争が繰り返されるだけである。そうではなく、古今東西において人々が何をポルノグラフィとみなしたか、という言説を丹念に追っていく。史料を元に分析を進めるので説得力があって面白い。これはいわゆる構築主義に似た手法であるが、赤川は言説の歴史社会学だという。ただ、歴史社会学とは何なのか、今の私にはすっきりと説明することはできないので保留。
(※記事公開数時間後、赤川が構築主義者ではないことを書き直した。)


8.5 色摩力夫フランコ スペイン現代史の迷路』中公叢書、2000年

フランコ スペイン現代史の迷路 (中公叢書)

フランコ スペイン現代史の迷路 (中公叢書)

 ファシストではなく現実主義者
 フランコは悪い政治家、独裁者というイメージが強い。しかし、客観的に史実を追うとフランコファシストではなく、現実主義で保守的だっただけだということが浮かび上がる。そもそも、スペイン内戦はフランコが起こしたわけではなく、モロッコの反乱グループが勝手にフランコの名前を使っていた(p84)。またフランコは、クーデター当初は王制に興味がなく共和国の旗を掲げていた(p85)。もっとも、最終的には王制を支持したわけだから共和主義の私としては諸手を挙げて支持は出来ないが。あと、ピカソの絵で有名な都市ゲルニカフランコによって爆撃されたが、ゲルニカは幹線道路上にあり退却するバスク軍の要路にあたるので軍事目標と見なされても仕方がないというのを初めて知った(p145)。そして、同様の爆撃事件がゲルニカの南のドゥランゴでも発生しており、ドゥランゴゲルニカよりも大きい町で被害も大きかったが国際世論には衝撃を与えなかったといから驚く(p同上)。歴史はこうして歪められるのか、と学んだ。


8.5 宇佐美寛『新版 論理的思考―論説文の読み書きにおいて―』メヂカルフレンド社、1989年

論理的思考―論説文の読み書きにおいて

論理的思考―論説文の読み書きにおいて

 批判的に読むことの重要さ
 「文をなるべく短く書く」「事柄を述べるべきであり、筆者の心理を書くべきではない」など、論理的な文章を書く上での七原則(p44)を示し、実践していく。また人は、他人の文章を批判する時こそ論理的思考が試される。批判する際は、「相手の文章よりも、より具体的な例を使って考えるのである。批判のためには、相手よりも具体的に論じ、相手以上に事実に責任を持たねばならない」(p87)。私にとって非常に実用的な本であった。
 ところで宇佐美は、読書は大切で年間百冊でも読めばどんどん早く読めるようになるという(p154)。これは同意なのだが、そのあと出てくる推薦図書はちょっと古い。


8.5 ミシェル・カルドーズ『ビゼー 「カルメン」とその時代』平石正郎、井上さつき訳、音楽之友社、1989年

ビゼー―「カルメン」とその時代

ビゼー―「カルメン」とその時代

 右翼をのさばらせるから左翼はダメなのだ
 19世紀のフランスのオペラ作曲家、ビゼーの伝記。前半は、ビゼーが女中を孕ませた(p79)というところ以外は退屈だった。後半では、無神論や共和主義を絡めたビゼーの創作論などで面白くなる。ビゼーは現実主義者で、左派でありながらもコミューン革命は批判した。右翼の聖職者がまたのさばると考えたからだ(p188)。この見識は的確である。私が左翼が嫌いな理由は、右翼がのさばるからである。あと、民衆を満足させるためにオペラを仕事として作っていくビゼーの姿勢には感銘を受けた。


8.5 小谷野敦『評論家入門』平凡社新書、2004年

 学術論文と評論は違う
 まず、学術論文と評論は違う。学術論文は、百パーセント論証が必要な堅い論文である。一方、評論は、少しの飛躍やエンターテイメント性があってもよい。割合でいうと、「学問八割、はみ出し二割」(p37)であるという。評論を読む際は、どこにはみ出しが含まれているのか常に考えておく必要がある。また、例えばロシヤ語ができない場合はロシヤ文学の学術論文を書くのは難しいが、評論なら原文で読めなくてもできる(p130)。もっとも小谷野はそのあとで、評論家を目指すなら外国語がひとつはできなければいけないとするが(p137)。
 あと、小林秀雄の批評が批判される。小林は初期の批評はまだしも、その後はフリードリヒ・シュレーゲルの影響で批評も文学作品であると思っていて、わざと分かりにくく非論理的な批評を書いた(p73)。小林の非論理的な批評スタイルは多くの批評家に真似され、柄谷行人も非論理的なのは同じである。小林以降の文芸評論家は、「読者にとっては決して自明ではないことを、『むろん』とか『もちろん』とか『言うまでもない』をくっつけて言う」(p107)虚仮威しをよく使うと斬る。


8.5 若田部昌澄、栗原裕一郎『本当の経済の話をしよう』ちくま新書、2012

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)

 経済成長は良いことだ
 2019年現在日銀の副総裁である若田部昌澄と文芸評論家の栗原裕一郎の共著。ここでとにかく言われているのは、世界は経済成長をしていいということである。「『経済成長なんて要らない』とか『低成長でもいい』と言う人に限って高所得者だったりするんだよね。成長率が低いと、貧困は増えるし、失業は増えるし、自殺も増える(という人もいる)し、みんなイライラして社会の対立は深まるし、いいことなんてひとつも思い浮かばないけどね」(p116-117)。経済成長は、終わらない。それは、現在の先進国が今もなお経済成長をし続けていることから分かる。そして、世界の全ての途上国が経済発展して先進国になっても、それでも全ての国は経済成長をし続けるのだ(p119)。また、経済においてのゼロサム思考が否定される。誰かが貧しいのは、誰か富める者がいるからだというゼロサム・ゲーム的な考えは経済では間違っている。パイは決められておらず、パイ自体が大きくなる。理論上は全ての人間が経済成長によって貧困から脱することが出来るのだ。もっとも、庶民と大金持ちとの格差はあるだろうが(p253-254)。
 あと、国の借金が1000兆円だ、日本はやばい!とよく言われる。しかし、ここでは総債務と純債務を分けて考える必要がある。日本の総債務は確かに1000兆円だが、資産もたんまりあるから、資産を差し引くと純債務は320兆円くらいになる(p95-96)。これは他の先進国より少し多いくらいで、国が破滅する数字ではないのである。
 その他、若田部はいいことを言っている。「最近ではウェーバーは落ち目かな」(p41)と、マックス・ヴェーバーの『プロ倫』の仮説が科学的でないことを認識している。これは、社会学者の羽入辰郎の著作に詳しい(『マックス・ヴェーバーの犯罪』)。また、若田部は喫煙者ではないが、禁煙運動に疑問を呈している。「条例に『禁煙』か『分煙』しかなくて『喫煙』がないのもおかしいんだけど、そもそも飲食店などを『公共施設』と決めつけていることが根本的におかしい」(p89)。
 感想が長くなった。ただ、じゃあどうすれば経済成長するのか、という肝心の所が分からない。若田部が言えないのではなく、経済学者は誰も答えられない。そこが経済学の欠点なのであろう。


8.5 小早川明子『あなたがストーカーになる日』廣済堂、2001年

あなたがストーカーになる日

あなたがストーカーになる日

 私小説のような面白さ
 NPO法人理事長である小早川明子の初期の著作。自作自演の脅迫の手紙を仕事机に忍ばせたA子とか、公園で別れ話を男に切り出されたら切り出されたら「こいつはやり逃げする卑怯者です」と叫びだした女とか興味深い。また、実は小早川もストーカーをした経験があり、前の男の新しい恋人の家に乗り込んで男と別れてくれるよう土下座したり、前の男が運転する車の助手席に乗せて貰ったあと急にハンドルを奪って横に切って事故で心中しようとした。小早川には改めて私小説を書いて欲しいくらいだ。
 ただ、後半では小早川による独断的な社会分析が入る。「私は、今我々が苦しめられているこの社会の傷が、どの時点でついたのかをふりかえるにあたり、二つの対戦(第一次・第二次世界大戦)を挙げたいと思う。」(p178)と主張するが、根拠が全く挙げられない。この本で示されていたA子ら若者に、世界大戦の何が関係あるのか。


8.5 三浦篤『まなざしのレッスン①西洋伝統絵画』東京大学出版会、2006年

まなざしのレッスン〈1〉西洋伝統絵画 (Liberal arts)

まなざしのレッスン〈1〉西洋伝統絵画 (Liberal arts)

 教養を身につけるのは良いことだ
 西洋の伝統的な絵画を、ギリシア・ローマやキリスト教の知識を絡めて解説していく。イメージが豊富で読みやすいし勉強になる。共和主義者になりたいのならやはりギリシア・ローマの教養を身につけるべきである(共和主義者になりたいのかは知らないけど)。
 ちなみに、絵を読み解くのはアートに反するんじゃないか?とか思わなくてよい。「何も情報が無い、無垢の状態である方が、芸術作品を見たとき面白い」というのは幻想である。無垢の状態の人間などいないからである。もし、定説となった古典の解釈に縛られない新解釈ができる自信があるなら、余計定説を知っておくべきである。新しい解釈・独自の視点だと自分では思っていたことが、実はとっくの昔に誰かが言っていた、ということがほぼ百パーセントだからである。


8.0 加藤周一『羊の歌―わが回想―』岩波新書、1968年

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

 立派な左翼
 戦後の左派系の知識人を代表する加藤周一の、幼少期から終戦までの回想を書いたもの。天皇を「陛下」と尊称で呼ぶ父親と距離を取ったり(p120-121)、皇紀2600年というこじつけにウンザリしたりと(p185)、天皇制に対して批判的なのがいい。また、加藤は「若い女が私に好意をもつはずはないと確信していた」(p234)と言っていて共感した。もっとも、東大医学部に入り語学が出来る加藤がもてないはずがなく、その後フランス人女性と結婚するから、私に共感も何もないのだが…。


8.0 加藤周一『続 羊の歌―わが回想―』岩波新書、1968年

続 羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 690)

続 羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 690)

 『羊の歌』の続編
 戦後から60年代までの加藤の体験が回想される。平安時代の公家社会と鎌倉幕府以降の武家社会では日本文化は断絶している、と加藤はしっかり指摘している(p80-81)。日本の文化は常に一つだというような右翼観の否定である。また、西洋の教会は、ガリレオを殺したり不幸な娘を自殺に追いやり、今も憎み合う夫婦を地獄に縛り付けるなどしている(p152)、と宗教に批判的で共感できる。あとパリ時代、加藤の友人であったルーマニアユダヤ人の女が、病気でもないのに「診て」と服を脱いで寝台に横になった。加藤は「『診察』はそれだけでは終わらぬだろう」と悟り、診るのを拒否した(p104-105)、という話が面白かった。


8.0 宇佐美寛『私の作文教育』さくら社、2014年

私の作文教育

私の作文教育

 舌鋒鋭い人は面白い
 宇佐美寛が80歳の時の本だが、相変わらず舌鋒鋭くて面白い。ただの作文指導ではなく、読者一人一人に論理的判断を養わせようという姿勢がある。たとえば宇佐美は、ジェンダーや人種の逆差別についても冷静に指摘している。アファーマティブ・アクションとは、「<黒人>や<女性>という一般的・抽象的なカテゴリーの集団を被害者と見なすのである。そして、その被害の補償を現在の具体的な特定し得る個人に求め、結果として、新たな犠牲者(例えば、白人男性の受験者)を作るのである(p22)」と正論を言う。能力があるマジョリティを冷遇し、能力の無いマイノリティを優遇するのは本末転倒である。
 また、宇佐美は文章による論争を積極的に肯定していて共感できる。討論会・居酒屋での論争は、うやむやになったり、大声で脅したり、話がうまいだけの人が勝ったりする。文章で冷静に論争することこそ良い論争なのである。当然その場合は、匿名ではなく氏名を出すべきであるが。「論争の文章は、意見文の局地であり、華である。」(p232)


8.0 呉智英『ロゴスの名はロゴス』双葉文庫、2001年

ロゴスの名はロゴス (双葉文庫)

ロゴスの名はロゴス (双葉文庫)

 豆知識として
 知識人などが書いた誤字や誤聞を例に、言葉の間違いを指摘していくのが面白い。また、豆知識も得られる。1964年の東京オリンピックを機に飲み屋の深夜営業が法律で制限されるようになり、それならば酒も飲める軽食堂という名目でと、スナックへの転業や新規開店が相次いだという(p143)。あと、原綴・原音では「ロシア」ではなく「ロシヤ」なのに、「ロシア」と半強制的に書かせる文部科学省の指導はおかしいと指摘する。それは、日比谷を「ヒビア」といったり名古屋を「ナゴア」と言うことなのだ(p197-198)。


8.0 小谷野敦『純文学とは何か』中公新書ラクレ、2017年

 文学を読むべし
 赤川学の歴史社会学に基づく学術書を読むようになって気がついたのだが、小谷野敦も赤川のように言説の歴史を分析していく姿勢があるんじゃないかと気がついた。純文学とはなにかを考えるために、小谷野はまず古今東西で「何が純文学とされたか」という言説を追っていくのである。そして、山本周五郎松本清張が純文学作家か大衆作家かと問うのは不毛で、作品ごとに純文学か大衆小説かと考えるべきだ(p115)、というのは納得した。また、海外(特に西洋)で「あまり純文学や大衆文学に当たる語がないのは、自明だから」(p217)である。日本では「歴史小説のような中間的な領域のものが西洋に比べて大きい」(p218)からこそ、純文学とは何かが問題になる。
 そもそも、一番良いのは文学をいっぱい読んでおくことである。文学を読んでないのに、「純文学とは何か」なんてかっこつけて語っても意味がないのだ。
 

8.0 小谷野敦『頭の悪い日本語』新潮新書、2014年

頭の悪い日本語 (新潮新書)

頭の悪い日本語 (新潮新書)

 ヒヤヒヤして楽しめる
 呉智英の著作に影響を受けて書かれた本で、言葉狩りの馬鹿馬鹿しさとか誤用される言葉とかがまとめてある。自分が誤用を使っていないだろうかとヒヤヒヤしながら読んだ。まず言葉狩りだが、例えば「看護婦」は性差別だから禁止ということになると、言語という文化を国家が管理して良いことになる。つまり、ファシズムである。言葉狩りが行き着くのはこういう世界である。逆に、禁止されている言葉などないのだから、何でも使って良いのである。特に印象に残ったのは「不断」で、これが「普段」の本来の表記である。校正の人に黙って直されたりするというが、「不断」が正しい(p68)。あと、「評伝」という言葉を使いたがる人がいるが「伝記」でいいだろう(p40)、とか好きである。うおっ確かに、と思ったのは、『駅 STATION』や『武蔵 MUSASHI』など、日本語をローマ字読みしてくっつけた作品のタイトルの作品がダサいということである(p98ー99)。私も、日本語をローマ字にしてタイトルを付けることに抵抗がある。
 ちなみに、「今上天皇」は重言で、今上だけで今の天皇を意味するので「今上陛下」が正しい。もっと言うと、伝統的には存命の天皇を「天皇」とは言わず、一般には「ミカド」、明治期には「天子さま」と言われていた。しかし、私は別に右翼ではなく伝統を重んじることはないので、「陛下」という尊称は使わずに普通に天皇と呼ぶ。


8.0 宮崎哲弥『正義の見方』新潮OH!文庫、2001年

正義の見方 (新潮OH!文庫)

正義の見方 (新潮OH!文庫)

 実は面白い宮崎哲弥
 宮崎哲弥はテレビやラジオのコメンテーターとしてしか認識していなかった。しかし、宮崎は読書量もあるし舌鋒鋭く相手に切り込むので面白い評論家だったんだということを知った。なかでも、夫婦別姓はそれぞれの家制度を存続させるからむしろ保守的で、夫婦で新しい名字を作れば良い、というのは面白い。ちなみに、韓国や中国のような儒教の影響が強い国は夫婦別姓だが、これは妻を夫の一族としては認めないという前近代的な意味合いがある(p39)。とにかく何でも夫婦別姓にすれば良いというわけではない。むしろ封建制が強くなり、フェミニストが目指す社会と逆になることもあるのである。
 ただ一方で宮崎は、ここでは天皇制の是非については断言を避けている。また、オウムや宗教にことさら関心があるのも私には共感できなかった。


8.0 谷岡一郎『「社会調査」のウソ――リサーチ・リテラシーのすすめ』文春新書、2000年

「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)

「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)

 社会調査の過半数はゴミである
 世の中の社会調査の過半数はゴミであり、かつゴミがゴミを生む状況になっていることを実証していく。谷岡が初めて犯罪社会学会に出席した時のことだ。ある人が「戦後の子供たちの『体格の向上』と『非行』とは同じような上昇カーブを描いており、年度ごとの上昇率には相関が認められる」と発表していて、面食らったという。なぜなら、「そのような論が許されるのであれば、戦後の『紙おむつの消費量』も『ウィスキーの販売量』も『シラミの少なさ』も、すべて『非行』と相関を持つ」ことになるからだ(p140-141)。これを疑似相関という。また、情報機器の発達をマシンガンに喩えているのが分かりやすい。「機器の分析能力が便利になればなるほど、それを扱う人間の能力には一定以上のレヴェルの、目的、知識、倫理観、そして哲学が要求されるようになる。確かに今の機器は便利すぎるほど便利で、誰でも簡単に、何でもできてしまう。それだけに、正しい使い方を知らない者に扱わせるのは、小学生にマシンガンを与えるのと同じである」(p192)。
 一方で、谷岡は文中で、「H大学のFなる教授」などとあえて名前を伏せて人を批判しているが(p53)、これはいやらしい。名を伏せて相手を批判するのは、相手から批判されるのを回避しようとするように見えてしまうし、あるいは「自分が批判されたのか?」とあらぬ誤解を生む。批判は名指しで行うべきである。


8.0 ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁朗訳、みすず書房、1981年

恋愛のディスクール・断章

恋愛のディスクール・断章

 恋愛のエッセイ
 学術書ではないのだが、恋愛についてのエッセイとして楽しめる。好きな人と待ち合わせするときの焦燥感などが吐露されていて面白い。また、バルトが感情移入して読書をすることを肯定しているのがいい。バルトと言えばテクスト論という極端な批評方法のイメージがあるが、これを読む限りでは素朴でまともな批評観である。バルトの母親の思い出もある。


8.0 野矢茂樹『論理学』東京大学出版会、1994年

論理学

論理学

 充実している
 論理学とは何かという議論を、問答形式で進めていくやり方が成功している。実際に問題を解きながら論理学を身につけていくのがコンセプトなので、問題数が多く充実している。しかし論理学は理系の学問なので、説くのは(私には)難しい。野矢の『入門! 論理学』 (中公新書)を読んでからでもいいだろう。
 あとは、不完全性定理の解説もなるべく平易に、丁寧になされている。「ときおり聞かれることもある『ゲーデル不完全性定理は人間の知性の限界を示した』といった意見はまったくの誤解だ」(p207)と言い切っており気持ちが良い。不完全性定理を社会科学に持ち込もうとする姿勢をしっかりと批判している。


8.0 山田耕筰『自伝 若き日の狂詩曲』中公文庫、1996年

 ドイツ留学の話が面白い
 作曲家山田耕筰の自伝。山田ははるばるドイツの王立音楽院まで受験会場に来たものの、周りは正装をした白人だけ。王立音楽院は、ドイツの中にある音楽学校でも最難関レベルである。山田は試験前にトイレにこもり、このまま帰ってしまおうかとすら考える(p148-149)。結果発表の日、山田は自分が受かっているわけがないと思っていた。掲示板に、受験者47人中3つにだけアンダーラインが引いてあって、そこの自分の名前が含まれていた。山田は不合格だと思って帰って大使館に出向くと、武者小路公共書記官(武者小路実篤の兄)に合格だったことを教えられる(p152-153)。また、山田は王立音楽院入学後も、ドイツ人教授に奇異の目で見られることが多かった。シュミット教授は、「日本人が、我々の音楽をこうもよく唱えようとは……」と驚いた(p185)。しかし、ドイツ音楽は、フランス人など別の外国人も唱えるのに、そういう言われ方をしたのが気になった、と山田が言っていて面白かった(p同上)。シュミットに悪気はないのだが、人種への偏見である。
 ところで、これは自伝全般に言えることだが、作者は全ての思い出を自伝に書くわけではない。自分にとって都合の悪いことは書かないことが多い。例えばこの本の解説で井上さつきは、山田は下宿先のドイツ人娘テアと婚約するが、その別離は何も語らない(p356)と指摘する。また、山田には長く愛人がおり、妻と離婚して愛人と結婚したが、こういう話を読むには山田ではない他人が書いた伝記などが必要になる。寺崎浩の『からたちの花 小説・山田耕筰』は女関係も詳しいようだが、アマゾンでは取り扱いがなく手に入りづらい。
 

8.0 池上英洋、荒井咲紀『美少女美術史 人々を惑わせる究極の美』ちくま学芸文庫、2017年

美少女美術史: 人々を惑わせる究極の美 (ちくま学芸文庫)

美少女美術史: 人々を惑わせる究極の美 (ちくま学芸文庫)

 肖像画自体は最高
 かわいい、どころか艶めかしい少女達の肖像画が豊富に載っている。特に、アカデミズム派として美術史から黙殺されがちなブーグローの絵がいくつも載っていて素晴らしい。
 ところで、著者らは少女の絵とフィリップ・アリエスの子ども論を何度も結びつけて語ろうとする(p19,135,180)。しかし、フィリップ・アリエスの「『子ども』は近代の発明だ」というのは言い過ぎで、近代以前に子どもがいなかったわけがないのである。○○は実は近代の発明に過ぎない!というようなセンセーショナルな発言は、まず疑った方が良い。リンダ・ポロクの『忘れられた子どもたち』という、アリエスの子供観を批判した本もある。画集としてはいいのに…。


8.0 池上英洋『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』ちくま学芸文庫、2014年

 女性の裸は素晴らしい
 基本的に女性のヌードのみが扱われる。散漫ではあるけれどもやはり女性のヌードを見るのは飽きない。あと、古代のユダヤでは、マリアとは結婚した女性に全て付けられる名前で、そもそも結婚する前の女性には名前がない、というのは驚いた(p231)。
 また、池上が恋愛至上主義を憂いているのがいい。「恋愛しない人は敗北といった風潮」(p157)のせいで、モテない人が苦しむのである。ただ、私は恋愛自体は否定しない。それどころか、「恋愛は良いぞ」という近代思想は私の脳にすり込まれてしまっているので、いい恋愛をしないまま死にたくないくらいだ。だから腹が立つのである。私が嫌いなのは、「恋愛できない人って人間じゃないよね…」というような恋愛至上主義者なのだ。


 

7.5 アン・エドワーズ『タラへの道―マーガレット・ミッチェルの生涯』大久保康雄訳、文春文庫、1992年

タラへの道―マーガレット・ミッチェルの生涯 (文春文庫)

タラへの道―マーガレット・ミッチェルの生涯 (文春文庫)

 ミッチェルの伝記
 一人のジャーナリストに過ぎなかったミッチェルが、一作だけでスターになるまでのストーリーが詳しく書かれている。ミッチェルは自分の体験を小説(『風と共に去りぬ』)にふんだんに取り込んでおり、昔の男に「明らかにぼくをモデルにした人物じゃないか」と言われて訴えられそうになったこともある(p336)。ただちょっと、詳しすぎるというか、読むのが退屈に感じる時もあった。


7.5 宮崎哲弥編『人権を疑え!』新書y、2000年

人権を疑え! (新書y)

人権を疑え! (新書y)

 宮崎の論考が面白い
 左右のイデオロギーなく、人権に関する論文を納めようとした宮崎であったが、左派に執筆を断られてしまったためにほとんど右派の意見を集めた本になったという。その結果、宮崎が一番リベラルな立場から人権を語ることになっている。
 以下、宮崎の論考。人権とは、第一義的には「基本的人権」を指すが、「憲法における人権保障とは、国家による不当な抑圧から個々人の生命、自由、財産などを守る制度であって、本来それ以上でもそれ以下でも」ない(p66)。「人権問題とは、原則として公対個の関係、即ち対国家、対地方自治体の局面においてのみ表在化する」(同上)。個人は他人の人権を侵害することができないので、ある私人Aがある私人Bを殺害したとしても人権蹂躙ではない(p67)。また、「世の中では『人権派弁護士』などというふざけた物言いが流通している」が、「弁護士である以上『人権派』であるのが当り前」で、「もし『人権派弁護士』なる概念が実効的な意味を持ちうるとすれば、当然その対極に『反人権派弁護士』『非人権派弁護士』が厳存しなくてはならない」(p80)というのは面白い。
 ただ、他の論考は宮崎ほど面白くなく、特に山口宏は「『日本は天皇中心の神の国である』とは、けだし名言である」(p156)とか、オカルト右翼なことを言っている。


7.5 官能倶楽部編『官能博覧会!活字のHを生み出す現場から』朝日ソノラマ、1997年

官能博覧会!―活字のHを生み出す現場から

官能博覧会!―活字のHを生み出す現場から

 藍川京と睦月影郎が面白い
 官能小説家達の生い立ちや仕事論をまとめたもの。女性官能小説家、藍川京は少女時代は性の知識が全然なかったらしい。14歳の頃、兄のように慕っていた5歳年上の男にせがまれてキスをしたとき妊娠してしまうと思って焦り、男にバレないように唾をたくさん吐いた。藍川は次の生理まで不安な日々を過ごしたという。また、もてない男達のために官能小説を書くと宣言する睦月影郎には共感できる。睦月の生い立ちが詳しく描かれた『哀しき性的少年―ある官能作家の告白 』はめちゃくちゃ面白いのでお勧めである。
 ただ、退屈な章もある。塚原尚人は思想家とかの言葉をひいてエロ本を考察するが、どうでもいい。


7.5 吉田秀和『LP300選』新潮文庫、1981年

LP300選 (新潮文庫 よ 6-1)

LP300選 (新潮文庫 よ 6-1)

 吉田のクラシック音楽
 レコード化されたクラシック音楽300枚を例に、中世の聖歌から20世紀の現代音楽までの歴史をなぞっていく。ベートーヴェンを持って交響曲は最高点を極めたため、あとは楽劇、つまり言葉と所作を伴った音楽へ発展するしかなかった(p157)、というのは面白かった。
 ただ、LP化されているもので歴史を語るのでは、どうしても偏る。あくまで吉田の好みである。また、吉田などのクラシック音楽評論家はロマン派に対する評価が厳しいと小谷野敦は言う。


7.5 松浦弘明『図説 イタリア・ルネサンス美術史』河出書房新社、2015年

 絵や図が豊富
 絵や図が豊富で良い。初学者には詳しすぎるくらいだ。共和主義者である私にとって、ルネサンスは重要である。共和思想が生まれたのは古代ギリシアであるが、そのギリシアの文化が中世に取り込まれたのがルネサンスだからである。


7.5 都築響一『TOKYO STYLE』ちくま文庫、2003年

TOKYO STYLE (ちくま文庫)

TOKYO STYLE (ちくま文庫)

 人為的でなくて良い
 たくさんの男女・家族の部屋を収めた写真集。職種は、アート関連の仕事に就く人間が多い。人為的なにおいが全くないので、人間の生活を覗く気分になれる。欠点を言うなら、90年代前半の人々の生活なので、古く感じるところだろう。


7.5 福井裕樹『ストーカー病 歪んだ妄想の暴走は止まらない』光文社、2014年

ストーカー病―歪んだ妄想の暴走は止まらない―

ストーカー病―歪んだ妄想の暴走は止まらない―

 ストーカーは病気である
 ストーカーは依存症の一つで、脳の病気であるという見解を福井は示す(p32-33)。確かに、明らかに反社会的行為であるストーキングをやめられない人は脳になにかを抱えているだろう。あと、ストーカーを防ぐには「別れ」の時が重要で、いきなり相手をシャットアウトすると逆上してストーカー化しかねない。初期のストーカーの場合は、二人で会って、相手のことを思っていないことを伝えることが重要であるとする。その際、日中の公園や喫茶店など人目のある場所で、毅然とした態度で臨むのが重要である(p76-79)。また、ストーカーは現代特有の犯罪ではなく、昔からあるのだということをちゃんと指摘する。例えば野口英世は、一目惚れした女学生に恋文を送りつけたり、なんと頭蓋骨を送ったりと、5年間にも渡ってストーキングしていた(p82-84)。あと福井は、ワクチンの副作用をあおるメディアを批判していて、これも正しい。確かにワクチンによって重い副作用が出る人はいるが、そのワクチンによって助かる命の方が圧倒的に多いということを忘れてはならない(p187)。
 一方で、フロイト用語でストーカー殺人犯や通り魔を分析するくだりは感心しない(p191-192)。フロイトは科学的でないからである。また、通り魔のように「死を望んでいるものに死刑を科したところで意味はない」(p193)という意見にも同意できない。死刑にはやはり抑止力はある。また、死刑にしなくても彼らは実質終身刑である無期懲役に課せられる。つまり、ゆっくり死刑にされるに過ぎないのである。終身刑なら残酷でないというのは間違っていて、そもそも残酷な刑罰など存在しないのである。
 

7.5 田淵俊彦『ストーカー加害者 私から、逃げてください』河出書房新社、2016年

ストーカー加害者:私から、逃げてください

ストーカー加害者:私から、逃げてください

 怖い
 だいたいのストーカー加害者は警察の介入でストーカー行為をやめるのだが、それでもどうしてもやめられない加害者達にインタビューしたもの。職場でずっと年下の若い女性に何度も求婚する50代後半の男は、暴力行為は一切しないものの、自分が相手に嫌がられていると言うことがどうしても分からない。また、美術家の男性を長くストーカーしていた女は、散々カウンセリングを受けているにもかかわらず「ストーカー以外の方法で会えるようにしたいんです」(p155)と、まだ相手に会えると思っているので恐ろしい。
 ただ、聞き手である田淵の口数が多く、我が強い文章なのがちょっと鬱陶しい。


7.5 小谷野敦『聖母のいない国』青土社、2002年

聖母のいない国

聖母のいない国

 アメリカ文学論集
 小谷野によるアメリカ文学論集。アメリカでも日本でも、優等生の少年よりも、「グッド・バッド・ボーイ」の方が好まれる。「グッド・バッド・ボーイ」とは、ちょっとやんちゃでいたずらっ子な少年のことである。本書ではマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』や『サザエさん』のカツオが挙げられる。確かに私も、男の子は勉強や読書をせず外に出て遊んでこいというような押しつけを感じるから、面白かった。こういう押し付けは、男性へのジェンダー差別の一つだろう。
 一方で、ハーマン・ウォークの『ケイン号の叛乱』論では、第二次世界大戦下におけるアメリカの日本への攻撃を批判しているが、感情的なアメリカ批判になっていて共感できなかった。もっとも小谷野はのちに、2016年に『反米という病 なんとなくリベラル』を出し、安易な反米感情を表す知識人を批判することになる。
 

7.5 小谷野敦『21世紀の落語入門』幻冬舎新書、2012年

21世紀の落語入門 (幻冬舎新書)

21世紀の落語入門 (幻冬舎新書)

 まずは興津要を読むこと
 まず、素人はいきなり落語を聞くのではなく興津要の『古典落語』を読むべきだ、というのは納得した(p30)。いきなり名人の録音を聴いても、何を言っているのか聞きとれなければ意味が無いからだ。私はこれに従って『古典落語講談社文庫全6巻を読んだ。それを読んだら、志ん朝を聴くのが一番いいという。小谷野が一番評価する名人は圓生である。あとは、私が自分の耳で確かめていかなければいけない。
 ちなみに、落語は明治から昭和戦後にかけて完成したもので、意外と新しい(p31-33)。話の舞台が近世だったり、元ネタが近世の滑稽本になっていたりするから誤解しやすいのだ。明治期に作られた落語(例えば『芝浜』)を聴くと、「良妻賢母・勤倹力行」の思想が濃いことが分かる(p32-33)。


7.0 小谷野敦『忘れられたベストセラー作家』イーストプレス、2018年

忘れられたベストセラー作家

忘れられたベストセラー作家

 脱線する
 マイナーな作家を色々取り上げていくのかと思いきや、漫画やテレビのヒットの話まで幅が広い。『ど根性ガエルの娘』とか、小谷野は漫画も読んでるんだなあと驚く。脱線が多いのだが、私にとっては小谷野の脱線は面白い。もっとも、この本に学術的に価値があるというよりは、この本で言及されている本や作家を自分の目で色々確かめていく必要があるんだろう。
 「米軍は大都市から順に空襲をしていったから、小都市は空襲に遭っていないし、ましてや農村部は空襲とは関係なく、家族から出生する者がいなければ戦争はさほど身近ではない」というのはなるほどと思った。


 

7.0 小谷野敦『「昔はワルだった」と自慢するバカ』ベスト新書、2011年

「昔はワルだった」と自慢するバカ (ベスト新書)

「昔はワルだった」と自慢するバカ (ベスト新書)

 悪人論というよりは俗物論
 タイトルからして、不良やヤクザをぶった切ってスカッとする本かと思ったら違う。女を捨てたり泣かせたりしたことを自慢する男の文学や、中島義道批判、宗教オカルト批判など話題が飛ぶ。悪とは何かという問題を正面から考えるのを避ける。しかし、構築主義者のように、何が悪とされていたかと言説を検証していくわけではない。そして、「俗物」とは何かという話になるが、そこからが面白い。俗物は、作法や見栄を気にする。ある日小谷野は、友人と一緒に表参道に映画を見に来たが、映画館の場所が分からなくなった。おもむろに小谷野が『ぴあ』を開くと、友人は大慌てで「『ぴあ』を開くなんて、恥ずかしいからやめてくれ」と言った。これが俗物根性である。俗物根性とは、「高級な酒場や鮨屋においていかに店員にバカにされないか」を指す。また、音楽鑑賞も俗物を生みやすい。例えばピアノで「名人のタッチ」がどうこうと語るのは俗物である、というのは同意する。ところで、もし『源氏物語』の俗物になるとしたら、少なくとも原文で読み通している必要があり、もし現代語訳で読んだだけなら俗物ではなく偽物である、という。俗物の下には偽物が居るわけだ。小谷野のエッセイとして読むと面白い。


7.0 小谷野敦もてない男――恋愛論を超えて』ちくま新書、1999年

もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)

もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)

 小谷野の初期の代表作
 この場合の「もてない」とは、あまり美醜にはかかわらない。不細工でももてる人はいるし、容姿が良くてももてない人もいる。「たとえば男でも女でも、寄ってくる異性を適当に相手にして満足できるのが恋愛上手な人間であり、高い理想を求めて、これに叶わない異性は相手にしない、がために恋人の不在に苦しむというのが恋愛下手な人間である」(p8)。また、上野千鶴子宮台真司恋愛至上主義が批判される(p67)。恋愛ができない人間は人間ではない、といわんばかりなのが恋愛至上主義者である。上野と宮台は、性的弱者にコミュニケーション・スキルを磨くように提言する。しかし、コミュニケーションができたとしてももてない人はもてないのだから答えになっていない。私だって、女子と全く話せなかった小学校・中学校時代、高校を中退して3年引きこもった時代に比べたら、今のコミュニケーションスキルは格段に上がっているのに依然としてもてていないのだ。上野と宮台の言っていた主張は間違いだったことが身にしみる。ちなみに、現代の恋愛至上主義者は、愛のあるセックスは素晴らしいが愛のないセックスは売春であるとする。明治時代の恋愛至上主義では、夫婦の愛のあるセックスは肯定したが、婚前のセックスは批判した。それに対し、婚前でも愛があればセックスOKなのが現代の恋愛至上主義者である。しかし、両者にさほど違いは無い。婚前にセックスするのはダメかOKか、くらいなのである。現代の性に関する言説が、古くからの言説の長谷であることは、赤川学セクシュアリティの歴史社会学』(勁草書房)や『構築主義を再構築する』(勁草書房)に詳しい。ところで、小谷野は昔から一貫して「モテ」ではなく「もて」と表記する。
 ただ、内容的には売春反対であったり、柄谷行人などへの批判の筆致が甘かったりと今の小谷野と違う所がある。肩の力を抜いて読むのが丁度いい。
(※1/18 明治の恋愛至上主義と現代の恋愛至上主義の違いが分かるように書き直した。)

7.0 ノーム・チョムスキー、ロバート・C・バーウィック『チョムスキー言語学講義』ちくま学芸文庫、2017年

 難しい
 著者にチョムスキーとあるがチョムスキーはこの本を執筆していない。内容だが、当然バーウィックはチョムスキー言語学の流れを受け継いでいる。「何より重要なのは、石器時代のアマゾンに生きる部族の子どもを現在のボストンに連れてきても、イギリスからの最初の入植者の子孫であるボストン生まれの子どもと、言語をはじめとする認知機能は変わらないし、逆もまたしかり」(p74-75)と言い切っていて気持ちがいい。しかし、言語学は理系科目であるため、最新の科学の成果などと絡めて議論が進むのだが、かなり難しかった。特にダーウィン主義が批判的に検証されているが、いまいち腑に落ちなかった。
 

7.0 加藤周一『読書術』岩波現代文庫、2000年

読書術 (岩波現代文庫)

読書術 (岩波現代文庫)

 まともな読書論
 「『乱読』の弊害などというものはなく、ただ、そのたのしみがある」(まえがき)という言葉で始まる。私も乱読をしていきたいので共感できる。また、難しい本は「文章がじょうずでないか、あるいは、著者が言おうとすることをみずから十分に理解していないかの、どちらかである」(p206)と明快に片付ける。あとがきでは、一時期持てはやされたマクルーハンを「ハッタリ屋」として斬っている。
 ただ、読まない本を読んだふりをするスノビズム(俗物根性)は別によく、なぜならそのうち本当に読む機会が増えるから(p121)、と言っているのはあまり同意できない。読んでないなら読んでないといった方がいいのではないか。
 

7.0 カール・ポパー『歴史主義の貧困』岩坂彰訳、日経BPマーケティング、2013年

 歴史に法則はない
 歴史は偶然の積み重ねでしかないのに、そこに「法則」だのを見いだそうとして未来を予言しだすのはただのオカルトである。よってマルクス主義歴史認識というのは、科学的ではなく宗教的であった。もっとも、わざわざこの本を読まなくてもマルクス主義歴史認識が間違っていたのは分かることかもしれないが…。

 

7.0 ジョン・クラカワー『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』菅野楽章訳、亜紀書房、2016年

 アメフト選手達のレイプ
 モンタナ大学の学生である男達が起こしたレイプ事件がまとめてある。フュゲットという59キロの女性が104キロのアメフト選手ドナルドソンにレイプされるシーンなどは怖すぎる。マッチョ・体育会系の男の嫌なところも分かる。
 もっとも、社会はレイプをどう防げばいいかという話にまでは著者は踏み込まず、問題提起だけするにとどまっている。売春を合法化するとレイプ犯罪が減るという議論はあるが、そういうのは無視されている。


7.0 青木冨貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』岩波新書、1996年

「風と共に去りぬ」のアメリカ―南部と人種問題 (岩波新書)

「風と共に去りぬ」のアメリカ―南部と人種問題 (岩波新書)

  ポリコレを超えて
 黒人への蔑視があるとされる作品『風と共に去りぬ』について、実際にアメリカ人がどう捉えているかということを青木が取材した本。黒人によっては、『風と共に去りぬ』など見たくも読みたくもないという人もいる。しかし、これは広範な取材ではないし、そこまで深い話があるわけではない。
 ただ、行き過ぎたポリコレを批判する黒人が出てくるのが良い。黒人作家のアルバート・マレーは、「わたしは長く生きてきたから分かるのですが、いまの黒人がどれほど多くの機会に恵まれているか、昔を考えると比べられないほどの違いなのです。(中略)もし、黒人の若者が差別されているという否定的なステレオタイプを持ち続けたら、将来が開かれないのはあたり前のことです」(p204)と現実的である。青木もあとがきで、「『ハックルベリー・フィンの冒険』もふくめ、歴史的に価値のある小説は、出版すべきでないというより、当時の状況や歴史をそこから学び取ることのほうがよっぽど重要なのではないか。『風と共に去りぬ』も物語の背景にある複雑な米国の歴史や社会環境、とくに黒人差別の歴史やその現状をよく理解して読まれてほしいと思う」と結ぶ(p215)。


7.0 三浦俊彦『フシギなくらい見えてくる!本当にわかる論理学』日本実業出版社、2010年

本当にわかる論理学

本当にわかる論理学

 入門でも難しい
 野矢茂樹の本では数式や練習問題が多いが、こちらはより文系向けになっていると思う。ただやはり、心理関数・命題関数とか、存在量化の説明は難しい。論理学を専攻で学ぶのでない限り、完璧に分からなくても良いのだろうが。
 ところで生物進化の話で、「目は、見るための器官である」という言い回しには注意しろ、と言うのはその通りである(p202)。現代では生物進化は無目的であるのが定説なので、見る「ために神様が設計した」などと宗教を持ち込む人間がいるからである。これを私はリチャード・ドーキンスから学んだ。
 あと余談だが三浦俊彦自体はちょっと変人で、サプリとかをいっぱい飲んでいる。


7.0 シェア・ハイト『なぜ女は女が嫌いなのか―もっと上手につきあう知恵』石渡利康訳、祥伝社、1999年

なぜ女は女が嫌いなのか―もっと上手につきあう知恵

なぜ女は女が嫌いなのか―もっと上手につきあう知恵

 事例として面白い
 シェア・ハイトは米国のフェミニストで、彼女の著作は科学的でもないし論証できてもいないとか谷岡一郎の『「社会調査」のウソ』でも批判されているが、この本は一応面白い。女性同士の恋やセックスについての事例が色々載っているからだ。日本ではBLが持てはやされ、BLが好きな女性もいるが、男性同士の恋愛は基本的に女性蔑視である。男の関係こそ美しく、女性は邪魔だと言っているに等しいからである。そういう女性嫌いの日本の女性が、自分を見つめ直すために読むのもいいだろう。
 ただ、ハイトは11カ国6350人の女性からアンケートをとったと言うが、どの事例がどこの国の人で何歳の女性なのかということが全然明示されていないのはダメだろう。


7.0 林信吾、葛岡智泰『大日本「健康」帝国 あなたの身体は誰のものか』平凡社新書、2009年

大日本「健康」帝国―あなたの身体は誰のものか (平凡社新書)

大日本「健康」帝国―あなたの身体は誰のものか (平凡社新書)

 国家に健康を管理させる危うさ
 国家に健康を管理させるというのは、「強い兵士は健康な国民から生まれる」(p23)という軍国主義の発想と同じである。少し腹が出ているだけなのにメタボ認定して病人を増やしたり、喫煙を強引に取り締まっている事例が出る。しかし一方で、日本の国民健康保険制度が崩壊し初めており、米国のように極端に医療費が掛かる恐れもあるという(p186)。要はバランスが大事なのだろうが、具体的にどうすれば良いかまでは詳しく論じられない。
 あと、あまり論拠となる注釈がなく、参考文献の提示も不確かである。喫煙者の泉重千代は120歳でギネスに登録された(p76)と書かれているが、後に年齢に偽りがあるとされギネスから削除された。まあそれでも、100歳以上は生きたんだけど。


7.0 棚瀬一代『離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告』光文社新書、2010年

離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告 (光文社新書)

離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告 (光文社新書)

 豊富な家庭の例
 漫画の資料として軽く読もうと思ったら、たくさんの家庭が例として用いられており結構面白かった。日本では子供が居る夫婦が離婚をする際、親権は片親だけが得られる(単独親権)。これの何が問題かというと、親権のある親は、もう一方の親と子供を会わせないことが可能となる。しかし、子供の心理において、別れた親と会わずに成長するのはどうしても心の発達においてマイナスである。再会するのが1年に何回、という回数では少なすぎるのだ。しかし、だからといって離婚がダメだと言っているわけではない。米国や韓国のように、共同親権を確立して夫婦の離婚後も子供が両方の親と交流するべきだという。その際、DVを振るう親や危害を加えそうな場合は面会しないか、専門家立ち会いの下で面会すればいいと提案する。離婚や家族がテーマでありながら説教臭くないのが良い。
 

7.0 野矢茂樹『入門!論理学』中公新書、2006年

入門!論理学 (中公新書)

入門!論理学 (中公新書)

 丁寧だがややこしい
 算数の文章問題のような問題文をどんどん解きながら論理学の初歩を学んでいくので良い。ただ、初歩といってもなかなかややこしい。野矢の『論理学』を読むより先に読んでおくといい。
 

7.0 若田部昌澄『もうダマされないための経済学講義』光文社新書、2012年

もうダマされないための経済学講義 (光文社新書)

もうダマされないための経済学講義 (光文社新書)

 経済学は分からないことが多い
 若田部によると、「何が経済成長をもたらすのかは依然として謎」であるという。してはいけないことは分かっているが(「インセンティブやトレードを妨げてはいけない」)、「これをすべし」という処方箋を出す度に新しい問題が生じる(p74)。これを読むと、経済学というのはまあ専門家に任せとけば良いのか、と思ってしまう。
 あと、栗原裕一郎との共著『本当の経済の話をしよう』(ちくま新書)とかぶっている話題が多い。
 

7.0 川本史織『女子部屋』玄光社、2016年

作画資料写真集 女子部屋

作画資料写真集 女子部屋

 資料になるが、少しわざとらしい
 部屋がわざとらしい。散らかりすぎてたり、片付きすぎてたりする。しかし、女性の部屋を写した写真集は珍しいので、資料の価値はある。ちなみに、写真家の川本史織とは男である。


7.0 アルバート・ボイム『アカデミーとフランス近代絵画』森雅彦・阿部政樹・荒木康子訳、三元社、2005年

アカデミーとフランス近代絵画

アカデミーとフランス近代絵画

 アカデミックな絵は、不遇である
 アカデミックな「うまい」絵画は、不遇である。「一九五〇~六〇年代の間、文化は抽象という前衛の絶対的価値を権威主義的に押し付けられ、その支配に屈していた」(p8)。その前衛によるプレッシャーは現代の美術史にも影を落としている。うまい絵や美人画というのは、インテリに馬鹿にされやすいのだ。訳の分からない抽象画を、さも分かったかのように解説し、ありがたがるのはスノッブである。アカデミックな絵の良さが忘れられてはいけない。
 ただ、厚い本だし高いしで、誰もがこれを買って読むべきかというと躊躇するが…。


6.5 ライオネル・トリリング『<誠実>と<ほんもの>』野島秀勝訳、叢書・ウニベルシタス、1989年

「誠実」と「ほんもの」―近代自我の確立と崩壊 (叢書・ウニベルシタス)

「誠実」と「ほんもの」―近代自我の確立と崩壊 (叢書・ウニベルシタス)

 読みづらいのが欠点
 誠実さが重要になったのは近代からであり、始まりはルソーに遡れる、というところは面白い。しかし全体的に晦渋な文章で、何を言いたいのか分かりづらい。フロイト精神分析学の信憑性が低下していることに触れる(p192)など、トリリングの学問における冷静な態度は分かる。しかし、現代ではフロイト精神分析学は批判されまくっているのだから物足りない。アメリカで出版されたのは1972年だから、古びたところがあるのは仕方ない。


6.5 高階秀爾『増補新装版 カラー版 西洋美術史』美術出版社、2002年

カラー版 西洋美術史

カラー版 西洋美術史

 オーソドックスな美術史
 古代オリエント美術から始まり、現代美術で終わる。ビジュアルが豊富で良い。ただ、現代美術の説明は退屈だった。ポスト・モダンって言うけど(p200)、そんな世界は訪れてないからね。 


6.5 大野芳材監修『美術と都市: アカデミー・サロン・コレクション 』フランス近世美術叢書、2014年

美術と都市: アカデミー・サロン・コレクション (フランス近世美術叢書)

美術と都市: アカデミー・サロン・コレクション (フランス近世美術叢書)

 グルーズとアカデミーと
 18世紀のフランスの風俗画家グルーズのことが取り上げられている。写実的な美人画を描く画家が私は好きだから嬉しい。しかし、グルーズは忘れられた画家で、当時のフランスでは風俗画家として有名だったのに、日本ではグルーズについての単著も画集もない。再評価されて欲しい。あと、王立絵画彫刻アカデミーについても紙面が割かれいて興味深い。反体制でも無頼派でも別に良いんだけど、まあアカデミーで古典・基礎を学ぶのもやっぱりいいことである。
 ただ、値が張る。


6.5 マーク・ロスキル『美術史とはなにか』中森義宗訳、1987年

美術史とはなにか

美術史とはなにか

 美術史家とは
 美術史家とはどういう研究をするのか、という方法を具体例を用いて書いている。地味だが実証主義的な進め方で良い。ただ、美人画が好きな私としては、写実絵画に紙面が割かれていないのは不満であるが。歴史そのものと言うよりは、方法を学ぶ本である。


6.5 都築響一『賃貸宇宙』<上・下>ちくま文庫、2005年

賃貸宇宙UNIVERSE for RENT〈上〉 (ちくま文庫)

賃貸宇宙UNIVERSE for RENT〈上〉 (ちくま文庫)

 『TOKYO STYLE』の続編
 資料用として買った。撮影した時代がより新しくなり、各部屋にパソコンが登場している。ただ価格が高いし、『TOKYO STYLE』ほど部屋が乱雑ではない。
 

6.5 鈴木淳彦『ルポ 中年童貞』幻冬舎新書、2015年

ルポ 中年童貞 (幻冬舎新書)

ルポ 中年童貞 (幻冬舎新書)

 漫画版をすすめる
 童貞は社会問題であるというのが鈴木の主張である。「『国勢調査に基づく未婚率の推移』(2010年)に、35歳を過ぎた未婚男性が、44歳までに結婚できる割合は3%」というのは恐ろしい。ただ、鈴木は童貞と社会問題との相関関係を丹念に検証するわけではなく、学問的な価値はない。さらに鈴木は童貞の増加による少子化を懸念しているが、少子化になってもなんだかんだ国は大丈夫、というのは赤川学(『子どもが減って何が悪いか!』ちくま新書)などが言っている。ということで、そういう主張はあくまでエッセイとして読むものである。桜壱バーゲンによる漫画版『漫画ルポ 中年童貞』なら説教臭くないし、絵にインパクトがあって面白い。


6.5 中村淳彦『名前のない女たち 貧困AV嬢の独白』宝島社、2017年

名前のない女たち 貧困AV嬢の独白

名前のない女たち 貧困AV嬢の独白

 目を覆いたくなる実態
 危険なSM系のAV撮影で大やけどを負った女、ヤクザに売りとばされて働かされている女、熟女系としてデビューしたが仕事が全くなく生活保護を受けてる老婆と、目を覆いたくなるような話が多い。AVの不況は深刻で(p55)、AVに出演すればスターになれる、というのは一部の売れっ子だけである。ちなみに私はAVを含めた性産業自体には賛成である。性産業にはレイプなどの性犯罪を抑止する効果があると考えている。しかし、こういう実態もちゃんと知ることは重要である。
 ただ、格差と貧困を同一視してグローバリズム主義をなんとなく批判したり(p140)、障害者福祉施設津久井やまゆり園で大量殺人をした男に少し同情的だったりと(p241~242)、鈴木の政治的な考えには同意できない。
 

6.5 藤田和日郎、飯田一史『読者ハ読ムナ(笑)~いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか~』小学館、2016年

 わりと厳しい
 体育会系という訳ではなく、しかしとにかくネームを描いて読書や映画鑑賞をしなくちゃいかん、という漫画家になるための厳しい現実が、美化されずに語られていて良い。「漫画はまず言語化だ」とか、「ハッピーエンドにしろ」とか、分かる。同人誌とかの道もあるが、商業誌として仕事にすることで多くの読者の目にとまるというメリットがある、というのもその通りだ。ただ、少年漫画に興味のない私にはちょっと方向性が違うなとも思った。少年漫画を描きたい人向け。


6.5 沢田充茂『現代論理学入門』岩波新書、1962年

現代論理学入門 (岩波新書 青版 C-14)

現代論理学入門 (岩波新書 青版 C-14)

 まともだが少し古い
 まともな入門なんだろうけど、論理式の記号の表記が少し古いようだ。現代では野矢茂樹とかを読めば良いだろう。
 ただ、いいことは言っている。「フランス語は全ての言語のうちでいちばん論理的な言語である」とか「日本語は英語よりも論理的ではない」とかいう主張は「言語と論理との関係を十分に理解していないところから生ずる無価値な主張」だと退ける。「何故ならば一つの言語体系全体にかんして、それより論理的だとか、より論理的でない、などというときの『論理的』ということの意味が確定できないからである」(p26-27)。


6.0 平尾始『図解 論理学のことが面白いほどわかる本』中経出版2003年

図解 論理学のことが面白いほどわかる本

図解 論理学のことが面白いほどわかる本

 全くの初学者向け
 論理学の全くの初学者が読むといい本である。問題も平易で、二進法の解説もある。また、論理に囚われすぎて詭弁に陥る人を電車の乗客に喩えているのは面白い(p157)。そういう人は、電車がホームの乗車位置から「5センチ行きすぎた」「3センチ手前すぎる」とクレームをつけるものだという。
 ただ、扱われている項目には偏りがあり、とくに著者の趣味である推理小説風のページは冗長だった。


6.0 ジャック・ブーヴレス『アナロジーの罠 フランス現代思想批判』宮代康丈訳、新書館、2003年

アナロジーの罠―フランス現代思想批判

アナロジーの罠―フランス現代思想批判

 意図は分かるが批判の筆致が甘い
 フランス哲学者の立場からソーカル『知の欺瞞』を擁護し、現代思想ポストモダンを批判している。が、デリダへの批判の筆致は甘いし、批判書として物足りなく感じた。ゲーデル不完全性定理についての記述も、矢野茂樹の『論理学』などを読んだ方が分かりやすい。
 ただ、著者の現代思想家に対する面白い指摘や警句は所々ある。以下に引用する。
  現代思想家のような「創意にあふれる面々も、いざ批判に応える段になると、途端に一切の想像力を失ってしまうよう」だ。(p186)
  「権力の濫用ではないかと疑われるのは、王その人よりも、むしろ王は裸だと教える側であるのが世の常で、幻惑が振るう力よりも、むしろ真理が持っている力の方が、暴力の一種と同一視されやすいのである」。(p196)


6.0 渡部昇一『知的生活の方法』講談社現代新書、1976年

知的生活の方法 (講談社現代新書)

知的生活の方法 (講談社現代新書)

 参考にならない所もある
 わからないのにわかったふりをしない、知的正直であれ(p13)というスタンスは正しい。また、知的生活の重要な部分は本の置き場の確保である、という指摘はその通りである。本が手元になければ論文は書けない(まあ、人が皆が論文を書くのではないけど)。しかし、「書庫をもつ」「書庫の建て方」というスケールの大きい話になってくると、金持ち向けのアドバイスかよと思ってしまう。あと、繰り返して読む本がない人はいくら本を多く読んでいる人でも読書家とは考えたくない(p67)と主張するが、言い過ぎだろう。
 

6.0 呉智英『読書家の新技術 時代が変われば方法も変わる』センチュリープレス、1982年

 ちょっと古いが盗めるところはある
 辞書や事典を権威主義的なものとして敵視する人がいるが、権威があっても別に構わない、というのは面白い。金銭と引き替えに権威を勝ってしまえばいいのである。「ちゃちな反権威主義者ほど哀れな者はない。権威を持っている者に、自分が権威を持っていないことを主張してみたって、相手は痛くもかゆくもないはずである」(p222)。また呉は、本は500冊読むごとに読書の段位が上がり、読む速度も速くなる(p129)という。もちろん、500冊が目安なのかどうかは個人差があって、教育学者の宇佐美寛は100冊読めば変わると言っている。
 ただ、参考になるところとならないところがあって、例えば読書カード作りは私はしたくない。


6.0 高階秀爾『フランス絵画史』講談社学術文庫、1990年

フランス絵画史 (講談社学術文庫)

フランス絵画史 (講談社学術文庫)

 写実画家にもっと光を
 16~19世紀末のフランスの画家が取り上げられる。美術の分野だけではなく世界史的な知識も書かれている。ただ、印象派以降の画家の解説が詳しすぎる。私は写実的な美人画が好きなので、印象派には興味がない。ブグローなど、アカデミックな技法を習得した写実画家の扱いが悪いのは残念である。


6.0 高階秀爾『カラー版 近代絵画史』<上・下>中公新書、2017年

 美人画が見たい
 写実主義絵画、とくに美人画が本書では扱われないので私にとっては退屈である。「印象派の場合は、『写実主義』を追求するその意図においては、アカデミズム以上に徹底していたと言ってよい。それなればこそ、印象派は、結果的には写実主義の破産をもたらし、絵画の歴史における最も重要な分水嶺のひとつになることができたのである。」(p108)と高階は言う。しかし、抽象美術が持てはやされるようになったからと言って写実主義が破産したとは思わない。
 まあ、とりあえず絵画史をさらっと読んでみよう、という気持ちで臨むのがいいのかもしれない。


6.0 大野芳材監修『絵画と受容: クーザンからダヴィッドへ』 フランス近世美術叢書、2014年

絵画と受容: クーザンからダヴィッドへ (フランス近世美術叢書)

絵画と受容: クーザンからダヴィッドへ (フランス近世美術叢書)

 アカデミックから逃げないグルーズ
 画家のグルーズ(1725-1805)は、アカデミーへの入会審査のために絵を提出したが、それは風俗画ではなく歴史画だった。アカデミーは風俗画家としてグルーズを迎えるつもりだったので、会員達は絶句した。アカデミーにおける絵のジャンルの序列は固まっており、風俗画家は歴史画家より下である(p250)。当時のアカデミーには、表情・骨格・身振り・色・主題に守るべき不文律ができていた。風俗画を発表していたグルーズを、歴史画家と認めるわけにはいかなかったのだ。グルーズは審査に通らず、アカデミーと決別する。グルーズの絵は大衆から支持を得るが、その後美術史から忘れられた画家となってしまう。私は、伝統を踏まえつつ野心的な挑戦を見せたグルーズに共感できる。全員アカデミックになれとは思わない。アカデミックから逃げない姿勢というのが私は好きなのだ。ちなみに、クーザンとは『エヴァ・プリマ・パンドラ』の作者で、これはフランス人による初の裸体画表現と言われる(1549年頃)。
 まあでも、グルーズの章は面白いけど、他の章は食指が動かなかった。


6.0 三浦篤『近代芸術家の表象 マネ、ファンタン=ラトゥールと1860年代のフランス絵画』東京大学出版会、2006年

 19世紀半ばのフランスの芸術界隈
 19世紀半ばのフランスの社会と芸術界隈が詳しく描かれるので、個人的には勉強になった。印象派の先駆けであり、論争を巻き起こした画家として著名なマネだが、本人はアカデミックな教育も受けていたしそんなに過激派ではなかったことがうかがい知れる。
 ところで、後書きで三浦は「もはや無条件に信じ得る学問規範が存在しない以上、現在の研究者は自らの立脚点をこれまで以上に意識せざるを得なくなっている。」(p442)と言っているが、「無条件に信じ得る学問規範が存在しない」は言い過ぎである。


6.0 木々康子『林忠正 浮世絵を越えて日本美術のすべてを』ミネルヴァ書房、2009年

 美術商林忠正
 明治時代に海外で活躍した美術商、林忠正の伝記。登場人物らのエピソードで面白いのがある。たとえば加藤恒忠という松山市長は、食道がんで何も食べられなくなったとき、見舞いに届いた林のワインを肛門からいれさせ、「酒、メルシー、尻から飲んだ」と電報で礼を述べた(p62)という。また、林が外国に日本美術を売ったことが、あとから「国賊」だとして批判に晒されるのは滑稽に思った。
 もっとも、林自身は武士の家系に生まれていて、天皇から「もし美術品が失われたら、どうするか」との下問があったとき、林は「宝物とともに、私も死ぬ覚悟でございます」と答えた(p303-304)という。なんか、武家社会を美化しているようで私は嫌である。


6.0 美術手帖編『ヌードの美術史 身体とエロスのアートの歴史、超整理』美術出版社、2012年

ヌードの美術史 身体とエロスのアートの歴史、超整理 (BT BOOKS)

ヌードの美術史 身体とエロスのアートの歴史、超整理 (BT BOOKS)

 エロくないのも混じってる
 ヌードとかエロをテーマに美術を考えるのは共感できる。初の女性の完全裸体像が誕生するのは、男性ヌードの誕生から約3世紀後(紀元前350-340頃)のプラクシテス作『クニドスのヴィーナス』だという。また、西洋美術史上、初めて生身の裸婦と陰毛を描いたのはゴヤ作『裸のマハ』(1797-1800)と言われる。
 しかし、デュシャン以降の現代アートも扱っているが、抽象画なので全くエロくない。さらに、日本の『朽ちて枯れゆく死相の体』や『不浄と無常の肉体』で画かれている人間は死がいなので、ヌードでもない。


6.0 諸川春樹監修『西洋絵画史WHO'S WHO』美術出版社、1996年

西洋絵画史WHO’S WHO―カラー版

西洋絵画史WHO’S WHO―カラー版

 資料集
 ルネサンス前夜からポロック・ウォーホルまで、西洋を代表する281人の画家の絵が一人一ページくらいの割合で載っている。シャセリオー、ジェローム、ブグローなど19世紀のアカデミックな画家もちゃんと載っている。ただまあ、あくまで資料集という感じである。


6.0 大島清次『ジャポニスム講談社学術文庫、1992年

ジャポニスム―印象派と浮世絵の周辺 (講談社学術文庫)

ジャポニスム―印象派と浮世絵の周辺 (講談社学術文庫)

 浮世絵が好きな人向け
 日本の浮世絵や陶器などが、ヨーロッパの芸術家達に影響を与えた!などと盛り上がるのではなく、日本の美術品がヨーロッパにどう受容されたか、というところを冷静に分析しているので良い。また、エドガー・ドガは浮世絵に影響を受けた画家だ、とよく言及されるが、「ドガの作品のなかに、はっきりそれとわかる形で日本美術が描き加えられた例は、ほとんどないといっていい」(p187)というのは興味深い。
 ただ、私は浮世絵自体にあまり興味が無いので、展開される地味な論証に退屈を覚えてしまった。


6.0 大泉実成『消えたマンガ家』太田出版、1996年

消えたマンガ家

消えたマンガ家

 不安になる
 作家がどんなにヒットを飛ばしていても、そのほとんどが忘れられて消えてしまう。ここでは、漫画を描くのをやめた徳南晴一郎・自殺したちばあきお山田花子の他に、冨樫義博が入っている。大泉は冨樫にインタビューをするためにジャンプ編集部に連絡をすると、『消えたマンガ家』に冨樫が名を連ねるのは名前にキズがつく、というような物言いで断られたのは面白い。冨樫に過酷な作業をさせたのは編集部ではないか、という野火ノビタという批評家の声も載っている。それにしても、「絵を追求するタイプってのは、消えやすいものなんだ」というマンガ原作者の滝沢解の言葉は的を射ている。


6.0 堀田純司『”天才”を売る 心と市場をつかまえるマンガ編集者』角川書店、2017年

 フェミニズムとは真逆の物語を好む女性のハーレクイン読者
 8人の漫画編集者へのインタビュー本。漫画家を目指す人がこういうのを読んで役に立つかは分からない。しかし、漫画を仕事にしていく覚悟みたいなのはつくんじゃないだろうか。現モーニングの編集長宍倉立哉は、講談社で一番利益を上げているジャンルは漫画なので、会社員の部長として「利益を上げろ」という話をしていると言う(p258)。モーニング編集部は昔ながらの「楽園」で、漫画が面白ければいいという考えが良くも悪くも強いようだ。あと、ハーレクインコミックスなど女性向けのロマンスものを手がける明治理子の話は興味深い。今の社会は男女平等とかいいながら、結局は女が受け身で男がガツガツ行く漫画が女性読者に売れているのだ(p243)。
 ところで、明治と堀田はヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』について見当外れなことを言っている。「ジャン・バルジャンは結局、ガチで手癖が悪い」、「〔ジャン・バルジャンは、筆者注〕まず償いなよ。その後に最後に幸せになりなよと思うのですが、どうなんだろう。あちら〔フランス、筆者注〕の感覚では、社会が悪いと泥棒していいのかしらね」(p242)。しかし、ジャン・バルジャンは飢える姉の子どものためにパンを一つ盗んだだけで死刑を宣告された男なのである(脱走は何度もした)。ガチで手癖が悪いとはどういうことなのか。ジャン・バルジャンは身分を偽って、社会奉仕などを行ったり虐げられた人々を(コレットを含めて)助けてきた。それでもパン一個盗んだことの償いにはならないというのか?よく分からない。
 

6.0 飯田一史『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』星海社新書、2018年

 漫画は儲からない?
 漫画雑誌は売れなくなり、いずれ消える。しかし、電子書籍が即儲かるということでもない。特にアプリ漫画は、アップルやグーグル・運営会社に売り上げをだいぶ持って行かれる。結果的に、紙の方が利幅が大きくて儲かるようになっているのだ(p173)。これはちょっと暗い気持ちになる。まあ今まで紙の漫画が、漫画が売れすぎていただけなんだろうけどね。


5.5 木村俊介『漫画編集者』フィルムアート社、2015年

漫画編集者

漫画編集者

 編集者5人にインタビュー
 オーソドックスな漫画編集者へのインタビュー本。興味がある人向け。江上英樹が、自分で創刊させた『IKKI』が休刊になるところも語っていて寂しいが、まあこれが現実なんだろう。


5.5 アケミン『うちの娘はAV女優です』幻冬舎、2017年

うちの娘はAV女優です

うちの娘はAV女優です

 負の側面が描かれていない
 親公認のAV女優のインタビューをまとめたもの。それぞれの女優の生い立ちには興味深いものがある。著者のアケミンはAVメーカーに勤める女性社員で、AV経験は無い。40代後半の熟女女優・一条綺美香は70代の親に公認されている。また、名前は出していないが、小6の時に父親に強姦されて中出しされたという女優が出てくる。しかし彼女は父親に対して怒りも嫌悪もなく共感しかねた。
 それにしても、アケミンはAVメーカーの人間だとはいえ、AV業界に全然斬り込んでいない。もっと業界への暴露があれば面白いルポルタージュになっただろうが。


5.0 難波祐子『現代美術キュレーターという仕事』青弓社、2012年

現代美術キュレーターという仕事

現代美術キュレーターという仕事

 仕事の紹介
 学芸員の漫画を描くために読んだ。長谷川祐子の『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』(2013年)よりは、まともにキュレーターという仕事を紹介している。現在は女性が増えたが、実は日本の学芸員は昔から男ばかりの男性社会だった。しかし、いつも雑務に追われて大変そうだなあというのが伝わってくる。


5.0 大坪ケムタ『少年ジャンプが1000円になる日 出版不況とWeb漫画の台頭』コア新書、2018年

 紙の漫画雑誌の消滅
 現代の漫画業界について一通り触れているが、深い話はない。紙の雑誌が消滅するまで時間は掛からないというのは同意できる。なぜなら私自身、小学生の時はコロコロコミックを購読したことがあるが、あとは漫画を雑誌で買うような熱心な読者ではなかったからだ。昨年末に講談社の編集者からも聞いたが、新人賞の応募総数が雑誌の販売数に対して明らかに多すぎるという。漫画を描いている人ですら雑誌を読んでいないのである。ちなみに私は、描くのは紙で描きたいが、読む・読まれるのはネット上でいいかと思っている。


5.0 池上英洋『西洋美術史入門』ちくまプリマー新書、2012年

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

 あくまで入門
 悪く言うと、三浦篤『まなざしのレッスン1西洋伝統絵画』(東京大学出版会)をレベルダウンした感じか。冒頭で、スケッチスキル、ディスクリプションスキルという研究者向けの技術指導があるが、一般読者には関係ない話である。あくまで入門ということで…。


4.5 池上英洋『西洋美術史入門<実践編>』ちくまプリマー新書、2014年

西洋美術史入門・実践編 (ちくまプリマー新書)

西洋美術史入門・実践編 (ちくまプリマー新書)

 まともだが薄い
 『西洋美術史入門』の続編。価値判断は学問ではなく、美術史とは客観的な指標に基づく(p49)とするなど学者として真っ当な認識である。太平天国の乱の死者数は第一次世界大戦での死者を上回る(p130)というのを知った。ただ、200ページ以上あるにしては内容が薄い。


4.0 田中康二『本居宣長中公新書、2014年

本居宣長 (中公新書)

本居宣長 (中公新書)

 本居への肩入れが気になる
 平凡な伝記という感じ。本居宣長は、武家文化が蔓延っていた近世において『源氏物語』などの公家文化にスポットを当てたので、武家嫌いの私としては重要な学者である。しかし、本居自体の人生は波瀾万丈もないしそこまで面白いとは思わなかった。また、著者の田中康二は本居と師の賀茂真淵(かものまぶち)との出会いは「偶然では済まされない強い絆が見える」(p65)というが、それはただの偶然である。田中は、「科学では説明がつかない偶然の一致」を「共時性」というとユング心理学の説明もするが、オカルトである(p65)。また田中は、上田秋成との論争で上田の言葉を「負け犬の遠吠えに聞こえてしまう」(p170)と判断を下すが、私はそうとは思わなかった。本居に肩入れしたいという田中の思いが見えてしまう。


4.0 紫原明子『りこんのこども』マガジンハウス、2016年

りこんのこども

りこんのこども

 面白いエピソードはあるが、何を言いたいのか
 いくつかの離婚した家庭の日常をノンフィクション風にまとめている。面白いエピソードはあって、例えば小学生の少女マオは親友だと思ってた女子葵に突然過干渉であることを指摘され、嘘みたいに友人関係がなくなってしまったということが描かれる。ただ、最後のファザコン家庭のエピソードは嫌である。母親が居ない家庭で、息子は「強がりでもなんでもなく、寂しさなんて全然感じなかった」(p134)というが全く共感できない。
 ところで、著者の紫原は、離婚した家庭でも子供はちゃんと育つ、みたいなことが言いたいようなのだが、そうとは限らないだろう。むしろ、棚瀬一代『離婚で壊れる子供たち~心理臨床家からの警告~』(光文社新書)では、子供が順調に育つには離婚したもう片方の親と定期的に会うことが必要であることが書かれている。特殊な例だけでは、主張に説得力が出ない。それとも、「ちゃんと育った」の「育った」というハードルがかなり低いのだろうか。


3.5 高階秀爾『日本近代美術史論』ちくま学芸文庫、2006年

日本近代美術史論 (ちくま学芸文庫)

日本近代美術史論 (ちくま学芸文庫)

 美人画がない
 長いが、私にとって興味の無い画家や知識人が取り上げられているので退屈だった。岡倉天心は右翼なので私は苦手であるし、またその岡倉に頭が上がらずへこへこしている横山大観も嫌だなあと思った。藤島武二とか魅力的な女性を描く写実画家を取り上げほしい。


3.5 高橋明也『美術館の舞台裏 魅せる展覧会を作るには』ちくま新書、2015年

 美術館マニア向け
 学芸員の漫画を描くために読んだ。美術館の展示作品で、「個人蔵」とあるのは、税金対策で名前を明記していない、などへえと思うことはある。しかし、基本的にはマニアックな本。


3.0 藤川吉美『判断の論理学』慶應義塾大学出版会、2003年

判断の論理学

判断の論理学

 普通の論理学とはあまり関係ない
  生きる上での判断力を養おうというのがテーマであるため、普通の論理学とはあまり関係ない。著者の政治思想もいくらか左に偏っている。「日本人はまだまだ自分の物差しでしか物事をはかれない。いまなお自分の尺度でしか歴史認識すらできないとはじつに悲しい」(p73)と言うが、それは日本だけの問題ではない。中国も韓国もどの国も、自分の物差しではかっているのは同じである。
 ただ、相対主義についてはちゃんと批判しているのは良い。


3.0 岩下久美子『人はなぜストーカーになるのか』文春文庫、2001年

人はなぜストーカーになるのか (文春文庫PLUS)

人はなぜストーカーになるのか (文春文庫PLUS)

 事例自体は興味を引くが…
 ストーカーの事例自体は興味をひくが、フェミニズム的な筆致が強く共感しにくい。モテ男のストーカーについて「『女は自己主張せずに男の支配下に甘んじろ』という差別的な極論」だと言っている(p247)。まあそれを全否定できないとしても、女が男を支配するストーカーや、女が女を支配するストーカーもある。ドリーン・オライオン『エロトマニア妄想症―女性精神科医のストーカー体験』は、女性精神科医であるオライオンが、レズビアンの患者に8年も執拗にストーカーされる恐怖が描かれる。また、ストーカーは「魂が荒廃している」(p252)とか、「信仰心を否定しているわけではない」(p262)とか、非科学的な発言も目立ち、いただけない。


3.0 岩田宗之『議論のルールブック』新潮新書、2007年

議論のルールブック (新潮新書)

議論のルールブック (新潮新書)

 匿名を甘やかすな
 序盤では、感情論とかインチキ議論とかを排し、まともな議論を紹介していくのは良い。しかしその後の、岩田のインターネットにおける「匿名」の定義には納得できない。岩田はネットで議論が行われる際、ハンドルネームを出している人は「書いた人を特定する」ことができるから匿名ではないとする(p66)。「ネット上の発言に対して実名が分かるかどうかということは、問題の本質としては考えません」(p同上)。ここが全く共感できない。ハンドルネームしか出さない人間が、人を批判したり(議論する場合は絶対に相手を批判することになる)政治的に偏った主張をすることは、私には匿名の陰に隠れた卑怯な振る舞いにしか映らない。ただ、岩田は私のような「実名主義者」の主張を分かった上で、「ハンドルネームは匿名でない」と定義しているようではある。「ここでは、匿名の問題について、掲示板システムの機能的な問題ではなく、あくまでも参加者の意識の問題として考えていくことにします。現状のシステムをどう改善したらよいのかではなく、匿名についてどう考え、参加者はどういう意識で参加したらよいかについて考えていくことにします」(p67)。しかし、私にはそんなことは知ったことではない。名無しはもちろん、ハンドルネームしか出さないで議論をするのも無益だ。


3.0 ロバート・N・プロクター『健康帝国ナチス』宮崎尊訳、草思社、2003年

健康帝国ナチス

健康帝国ナチス

 著者はタバコには反対している
 ナチスの反タバコ政策がファシズム的であったことが描かれる。私は乱暴な反タバコ政策には反対する非喫煙者だが、まあタバコによって喫煙者に肺がんが増えたのは確かにそうだろう。ところで、プロクターは現代の禁煙運動には賛成している。現代の禁煙運動はナチスのようなファシズム的ではないと言う。しかし、本当にそうなのか納得できない。そもそも、タバコは合法である。合法のものを禁止していくなら議論とか民主主義のプロセスが必要である。また、タバコを体に悪いと分かって吸って本人が病気になって何が悪いのか。自分の体は、自分のものである。人間は不健康になる自由がある。もし嫌煙家が「病気の人間を税金で面倒みたくないから体に悪い煙草をやめろ!」と言うとしたら、それこそ健康を国家が管理しても良いとするファシズムである。この本では受動喫煙については触れられていないが、受動喫煙に害がそんなにあるのか怪しいと私が思っていることについては、過去にも書いた。密閉された部屋における受動喫煙が無害ではないにしても(私は屋外での受動喫煙は無害だと思っているが)、現代人は車や工場の排気ガスを散々吸っていて、何でタバコだけ狙い撃ちされなければいけないのか分からない。もしタバコを制限していくとしたら、他の有害なガスや酒や化学物質・食品添加物も制限していかなければならないだろう。それらが制限されるのなら、タバコを制限するのは筋が通っているから反対しない。
 あとは、引用元が詳しく書かれていないのが気に掛かる。参考文献は後ろにまとめてはいるが、正確なデータを使っているのか怪しんでしまう。


3.0 フェデリコ・ゼーリ『イメージの裏側 絵画の修復・鑑定・解釈』大橋喜之訳、八坂書房、2000年

イメージの裏側―絵画の修復・鑑定・解釈

イメージの裏側―絵画の修復・鑑定・解釈

 キリストと中世びいき
 ゼーリはイタリアの美術史家で、大学での講義をもとにして書かれた本だが、キリスト教や中世びいきで私はあまり共感できない。私はギリシアルネサンス・近代が好きだからである。ページが分厚いし退屈だと感じた。ただ、19世紀末は絵を小さく切り取る習慣が流行っていて、『モナリザ』も本来絵の両端に二本の柱があった(p119-120)というのはへえと思った。


2.0 木村俊介『漫画の仕事』幻冬舎コミックス、2018年

漫画の仕事

漫画の仕事

 ファン向け
 漫画を描いていく上で参考になるかなと思って読んだ。しかし、中学からデビューしているいくえみ綾だったり、自分に自信のある荒川弘だったりと、レアケースの成功例なので正直あまり役に立たなかった。インタビューした作家のファンならこの本を楽しめるのだろうけど。
 ちなみに、著者の木村が末尾でラップを持ち出し、「ラップの声の『こすれ』と、日本の漫画に見られる描線の『かすれ』とは、どちらもごく個人的な『ふるえ』を、そのまま伝える点で、受け止める人たちと共鳴しているようにも感じられます」(p220)と言っているが、よく分からない。私はラップには興味がないし。


2.0 小池一夫『人を惹きつける技術 カリスマ劇画原作者が指南する売れる「キャラ」の創り方』講談社+α新書、2016年

 連想ゲーム
 劇画塾の講義を文章化したような本で、古今東西のキャラクターを、連想ゲームのように話題に挙げていく。キャラの認識は大塚英志とダブっているようだが、どっちにしろ深い話をしているわけではないのであまり参考にならなかった。あと、「はじめに」で、本書を読むと「ビジネスやふだんの生活にも役立ってくれることと思います」(p6)と見得を切っているが、そんな風には到底思えない。


1.5 福澤一𠮷『議論のレッスン』生活人新書、2002年

議論のレッスン (生活人新書)

議論のレッスン (生活人新書)

 言っていることが薄い
 冒頭から「日本人の議論は分かりにくい」(p16)と言うが、こういうのは根拠のない文化論である。分かりやすい議論をする日本人がいれば、分かりにくい学術用語で詭弁を弄する西洋人だっていっぱいいるのである。難易度が易しいとかではなく、言っていることが薄い。


1.5 阿部良雄『群衆の中の芸術家』中公文庫、1991年

 ボードレールの批評の批評?
 美術を論じているのではなく、ボードレールの批評を論じている。ボードレールマニア意外には、ちょっと何が面白いのか不明な本になってている。そもそも私はボードレールに共感していなくて、「優雅な生活」というダンディズムにも憧れがない。阿部は後書きで、「『ポストモダン』の時期を経過して、『現代性』に関する我々の考え方が柔軟になってきた」(p331)と言っているが、何を言っているのかよく分からない。ポストモダンは学問的にインチキなので、ポストモダンの時期など訪れていない。


1.0 荒屋舗透『グレー=シュル=ロワンに架かる橋 黒田清輝・浅井忠とフランス芸術村』ポーラ文化研究所、2005年

グレー=シュル=ロワンに架かる橋―黒田清輝・浅井忠とフランス芸術家村

グレー=シュル=ロワンに架かる橋―黒田清輝・浅井忠とフランス芸術家村

 交流がない
 日本の洋画家黒田清輝や浅井忠が、フランスの芸術家村に滞在していたことが主題らしい。しかし深い話がないどころか、日本人芸術家と外国人の具体的な交流エピソードもないので面白くない。


1.0 長谷川祐子『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』集英社新書、2013年

 衒い
 ポストモダンパラダイムシフト、スキゾ的など、内容のないインテリ用語を並べているのが嫌である。表面的な知識を見せびらかしているだけで、キュレーターという仕事が浮かび上がってこない。


0.5 マルシア・ポイントイン『はじめての美術史 ロンドン発、学生着』スカイドア、1995年

はじめての美術史―ロンドン発,学生着

はじめての美術史―ロンドン発,学生着

 過去の遺物
 フロイトラカン精神分析フェミニズム的に利用価値がある(p83)とか言うが、インチキな精神分析を用いたフェミニズムはインチキになるだけだろう。心理学は、現代では脳科学の分野と同じような理系学問になっている。それにだいたい、芸術作品を精神分析で読み解くのは無益だということはスーザン・ソンタグの『反解釈』でもとっくに言っていることだ。
 

0.5 荒木創造『ストーカーの心理』講談社+α新書、2001年

ストーカーの心理 (講談社プラスアルファ新書)

ストーカーの心理 (講談社プラスアルファ新書)

 マッチョ主義者のトンデモ本
 荒木はカウンセラーらしいが、ヤクザのふりをしてストーカーをしている男を脅すなど異常である(p45)。また、ストーカーする男が増えたのは、外に出たり喧嘩したりするような男の美学がなくなったからだ(p189-190)、とか言っている。男の美学とか言う人は私の敵である。そして、「ひきこもり」は哀れで、「私自身のことを振り返ってみても、一〇代から二〇代と言えば、毎日とにかく外に出て、映画を観たり、友達に会ってダベったり、酒を飲んだり、うまくいかないガールハントをしたりと、正月だってじっと家になど居たくはなかったものだ」(p193)と自分語りに花を咲かせる。典型的な体育会系のマッチョで吐き気がする。データや参考文献も全く示されず、トンデモ本である

感慨深いAV――『145cmマイクロ秀才娘処女喪失 小春くるみ』

 『145cmマイクロ秀才娘処女喪失 小春くるみ』(2011年)というAVが感慨深かった。青春時代は勉強しかしてこなかったという真面目な27歳の女性が、会社で初恋の男性に失恋したのをきっかけに、自分を変えるために自ら応募してきたというものだ。女性が美人過ぎないし、人見知りで男性にモテてこなかった感がリアルなので、ほぼヤラセなしのドキュメンタリーだろう。これ一作しかAV出演がないし。
 冒頭で小春くるみが、どうして私は今まで処女だったのかと分析して喋っているところから始まるが、ここからもう私は掴まれた。私は頭の良い女性が好きだからである。「秀才娘」というタイトルにも偽りがない。
 社会学者の赤川学(1967-)は、ポルノとは「マスターベーションに必要な想像をかきたてるために利用される表現物」(『性への自由/性からの自由』p14)と定義する。そもそもポルノというのは、受け手をマスターベーションさせることを目的としているから、当然私はこのAVでオナニーをして射精した。しかし普通のAVに比べたら、私がペニスをいじる時間は短かった。性的興奮を催すというより、好奇心と心配が勝つシーンも多かった。例えば、いざ挿入となるとき、彼女は痛そうにしているし、おそらく全く気持ちよくなさそうだからである。苦痛を浮かべている女性を見て余計興奮する、という男は性癖が倒錯していると言っていい。私を含めた大体の男は、女性が気持ちよくなっている顔や仕草こそが好きだからである。だから、普通の男はレイプ犯罪をおこそうとは思わない。レイプ犯は、女性が苦痛で顔をゆがめていることすらも快感に思うのだ。もちろん、この小春くるみはレイプをされているわけではない。処女を捨てるために自分から応募している。なんと彼女が3Pをするシーンもあるが、これも事前に同意して行っており、本人も「一生できないだろうから貴重な体験」とか言っている。でも、やはり見ていて痛々しい感じがある。彼女が実際は気持ちよくなっていないのを、もはや制作者側も隠す気がない。だから、セックスシーンのほとんどでは、私は性的興奮というよりは処女の大人の女性はどういう反応をするのか、という興味で見た。全く退屈はしなかった。もっとも、とにかく性的興奮だけを求めている人には物足りないAVではある。あと、女性が見ても面白いとは思うが、人によっては性描写に不快を覚えるかもしれない(AVだから当たり前だが)。あと、女性AV監督による処女喪失ものとかがあるなら見たくなった。
 果たして小春くるみはこの後どうなったのだろうか。まさか、AV出演がバレたのをきっかけに職場で苛められ、生きるのが辛くなった、ということにはならないでほしい。AVに出た女性に偏見を持つことは愚かなことである。AV女優や性産業に従事する女性が男のガス抜きをするおかげで性犯罪率は下がっているので、彼女らは社会貢献をしているのである。とくに彼女には幸せになって欲しい。


●参考文献
赤川学『性への自由/性からの自由 ポルノグラフィの歴史社会学青弓社、1996年

『イントレランス』(1916)から『リリーのすべて』(2016)まで 2017年に観た映画

102本、年代順。



点数(10点満点)『映画タイトル』(制作年/制作国)監督名
(ほぼ全てネタバレをしているのでご了承ください。)

1.5『イントレランス』(1916/米)D・W・グリフィス

イントレランス【淀川長治解説映像付き】 [DVD]

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 迫力があるだけ
 でかいセットは迫力がある。しかしそれだけである。当時としては珍しく4つの物語を平行して描いているが、面白いかどうかは別の話である。全体が180分に膨らんでおり冗長になっている。しかも物語のそれぞれがユダヤ教キリスト教に関わるもので、私には興味が出なかった。


6.0『ナポレオン』(1927/仏)アベル・ガンス

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 4時間は長い
 中盤くらいまでは大河ドラマとして楽しめる。しかし、後半はナポレオンの勇ましさが実験的な映像で強調されるばかりで面白くなかった。ナポレオンが共和主義を裏切るところも、没落していくところも描かれない。再生時間は4時間あるが、半分にまとめてほしい。


6.0『下宿人』(1927/英)アルフレッド・ヒッチコック

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 サスペンスの基本
 誰が犯人か分からない、というサスペンスの基本が既に現われている。ハッピーエンドなのもいい。ただ、娯楽性でいうと後続のサスペンスに乗り越えられている。


7.0『マタ・ハリ』(1931/米)ジョージ・フィッツモーリス

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 ガルボが美人
 第一次世界大戦中にスパイ容疑で処刑されたストリッパー、マタ・ハリをモデルにした映画である。グレタ・ガルボが美人で官能的でよい。病院にいる負傷した兵士たちも生々しく、戦争の息づかいが伝わる。ただ、マタ・ハリが映画にするほどの人物なのかどうかは疑問である。


4.0『若草物語』(1933/米)ジョージ・キューカー

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 ドラマがない
 4人姉妹が主人公だが、姉妹でケンカをする場面もほとんどなくドラマがない。主人公のキャサリン・ヘプバーンが男の求婚を断る意味もピンとこない。また、キャサリンは作家を目指しているが、さして努力してるように見えないのに難なくデビューするのは唐突である。


5.0『孔雀夫人』(1936/米)ウィリアム・ワイラー

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 意地悪な貴族
 浮気っぽくて思慮がない妻が夫に捨てられる、いい気味だ!という話。女性蔑視的で、ラストも後味が悪い。ただ、貴族の母親が意地悪に描かれているのはいい。「息子は貴族として子孫を残さないといけないが、年上の妻に子供が産めると思えない」と、年増の女が結婚を拒否される場面は、身分制への問題提起として読める。


3.0『ステージ・ドア』(1937/米)グレゴリー・ラ・カーバ

ステージ・ドア [VHS]

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 自殺させることはない
 女優を目指す女達の群像劇だが、それぞれの登場人物の描写が足りない。後半で、ある女優志望の女がキャサリン・ヘプバーンに役を奪われ自殺してしまう。しかし、その自殺がうまく物語に絡んでいない。だったら何も彼女を自殺させる必要は無く、キャサリンと喧嘩したのち仲直りする、くらいで良かっただろう。


7.0『汚れた顔の天使』(1938/米)マイケル・カーティス

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 ギャングの更正
 ギャングのキャグニーが主人公だが、基本的にはギャング更正映画である。神父(パット・オブライエン)はかつてキャグニーと親友だったが、双方がしっかり対立しておりドラマが生まれている。ラストの電気椅子のシーンもいい。ただ、私はギャングと宗教に興味がないから、もっと何か決め手が無いとこれ以上の点は付けられない。


6.0『我が家の楽園』(1938/米)フランク・キャプラ

我が家の楽園 [DVD] FRT-188

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 まあまあ楽しめる
 1938年アカデミー賞作品賞、監督賞受賞。軍事工場の社長が民家のある土地を買収しようとするが、金儲けよりも大事なことがあるんじゃないかと思いとどまり中止する。コメディとしてはまあまあ笑える。ただ、現実的ではない話なのだから、エンターテインメントだとしたらもっと楽しめないといけない。『メリー・ポピンズ』(1964年)では、銀行家の父が金儲けより大事なものがあるといって歌い出すシーンがあるが、ミュージカル映画という性質を十分生かしており面白い。後年の映画に乗り越えられている。


10.0『風と共に去りぬ』(1939/米)ヴィクター・フレミング

風と共に去りぬ [DVD]

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 ヴィヴィアン・リーが痛快
 まだ貴族社会の息苦しさが残る19世紀に、ヴィヴィアン・リーは持ち前の気の強さとたくましさで生き延びていく。女のくせに、という偏見をもろともせず突き進んでいくさまは痛快である。一昔前の献身的な女を演じるオリヴィア・デ・ハヴィランドも美人である。基本的に原作小説を忠実に再現しており、さらに終盤のゲーブルとの結婚生活は小説に比べうまくカットしている。もちろんこの映画に対して、黒人奴隷の描き方がステレオタイプだという批判はできる。しかし、この時代に人種をステレオタイプで描いていない映画を探す方が無理なので、減点対象にはしない。


8.5『哀愁』(1940/米)マーヴィン・ルロイ

 売春するヴィヴィアン
 第2次世界大戦中の英国が舞台。序盤では、主人公ヴィヴィアン・リーの恋心が瑞々しく描かれる。ロバート・テイラーが家の前に現われた嬉しさで、彼女は自分が服を着てるのか来てないのか分からなくなる。恋に落ちた女性の取り乱すさまが面白い。まもなくテイラーが戦争に行くと、彼が死亡したという記事が新聞に載るが、これは誤報であった。しかし、ヴィヴィアンはそうとは知らず絶望し、友人を通じて売春を始める。強かなヴィヴィアンは美しいが、そこが泣ける。この時代に売春がテーマになる映画は珍しいのではないか。ただ、ヴィヴィアンが身を投げるというオチは可哀想である。責任は新聞の誤報にあるのだ。


8.0『いちごブロンド』(1941/米)ラオール・ウォルシュ

いちごブロンド [DVD]

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 面白いがハヴィランドの見せ場が少ない
 主人公のキャグニーが、かつて女や仕事のことで出し抜かれた男に復讐しようとする話。ストーリーも楽しめるし、結婚生活の現実とかゾッとすることも描かれている。ところでキャグニーの妻オリヴィア・デ・ハヴィランドは元々進歩的な女で面白かったのに、結婚後はただの平凡な女になってしまう。ハヴィランドの見せ場が減り残念。


6.5『逃走迷路』(1942/米)アルフレッド・ヒッチコック

 前半のプロットは面白い
 ロバート・カミングスは破壊工作員と間違われ、警察からも追われる。序盤からハラハラする展開が続き、引き込まれる。ただ、疑い深かったプリシラ・レインがカミングスを信用する気になった理由がよく分からない。心理描写が丁寧ではないのだ。また、戦争中の映画なので、ナチス批判だったりと説教臭いところはある。


7.5『わが青春に悔なし』(1946/日)黒澤明

わが青春に悔なし [DVD]

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 原節子の色気
 戦前から終戦までの日本が舞台。仲の良い友達同士が思想的に擦れ違い、疎遠になるという展開はベタだが面白い。また、私は小津安二郎の映画で原節子を見ても美人だと思ったことはないのだが、これは美人で驚いた。原には予測不能なところがあり、理由もなくイライラして男の同級生を土下座させようとする。そういうところに妙な色気がある。また、大人の社会のイジメや田舎の閉鎖性も描かれている。ただなにぶん、戦後すぐの映画なので説教臭さはある。


8.0『素晴らしき日曜日』(1947/日)黒澤明

 羨ましい
 前半のテンポは悪く少々退屈する。しかし、後半には感銘を受けるシーンがいくつもある。戦争の傷跡が残る町で、喫茶店を開く夢を語り合うカップルはいいし、野外ステージで指揮者の真似をするシーンも感動的である。こういうカップルは羨ましい。


8.0『破れ太鼓』(1949/日)木下惠介

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 初々しい
 女性の自我や恋愛結婚観など、一つの家庭を舞台に近代の概念が初々しく語られる。親父の阪東妻三郎はいかにも家父長的な振る舞いをするが、阪東が若い頃北海道の開拓地で働いたシーンが登場するなど人物のバックボーンが分かるので憎めない。


7.0『花嫁の父』(1950/米)ヴィンセント・ミネリ

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 父親の心境は面白い
 結婚を控えた花嫁の父親(スペンサー・トレイシー)を主人公に据える。結婚を待ち望む娘(エリザベス・テイラー)や妻(ジョーン・ベネット)とは違い、父親としての不安な心境が丁寧に語られる。対比がうまくなされていて面白い。ただ、肝心の花婿像が詳しく描かれていないのは勿体ない。あと、物語にわざとらしい事件が起こる必要はないのだが、起こらなすぎる。


8.5『アフリカの女王』(1951/米・英)ジョン・ヒューストン

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 中年の恋心
 「アフリカの女王」とは、ハンフリー・ボガードが操縦する小型貨物船の愛称。第一次世界大戦下、ドイツの植民地だったアフリカから、ボガードとキャサリン・ヘプバーンはひっそりと脱出を試みる。キャサリンの気が強いところは面白いし、美男美女には見えない二人がいつの間にか惹かれあっていくのが微笑ましい。中年の恋愛映画としても楽しめた。


9.5『ケイン号の叛乱』(1954/米)エドワード・ドミトリク

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 傑作
 ハーマン・ウォークの同名小説が原作。小説は小説で面白いが、映画は無駄がなく面白い。神経症的な船長(ハンフリー・ボガード)には凄みがあるし、その後の軍法会議でのやりとりも手に汗握る緊張感がある。小説とは違い、主人公ウィリーが彼女と結ばれて終わるのもいい。傑作である。


7.5『心のともしび』(1954/米)ダグラス・サーク

 もっと面白くできる
 金を持て余している男ロック・ハドソンは、毎日投げやりに生きている。しかしある日、ふとした事故でジェーン・ワイマンという知り合いの女性に怪我を追わせ失明させてしまう。ハドソンはこの事件をきっかけにまともに生きることを決意する。ハドソンは名を名乗らず、他人のふりをしてワイマンの世話をする。しかし、実はワイマンは彼がハドソンだということを何となく感づいていた、というシーンは感動的である。大人の男女の愛が美しく描かれている。ただ一方で、失明させられたワイマンや親族は、もっとハドソンに怒りを抱いていいのではないだろうか。そういう葛藤も描くとドラマも増えただろうに、惜しい。


7.5『追想』(1956/米)アナトール・リトヴァグ

 オチが良い
 イングリッド・バーグマンがロシアの皇族の生き残りではないか、とユル・ブリンナーが探る。ユル・ブリンナーは最初は遺産目当てだったが、バーグマンのことが本当に好きになっていく。物語に派手さはないが、ベタな面白さがある。そして、ラストでは二人は駆け落ちする。バーグマンが本当に皇女だったのか分からない。しかし、たとえ家柄がどうだとしても二人は人間として愛し合う道を選んだ、という結末であるから良いオチである。1996年に、ディズニーによって『アナスタシア』としてリメイクされているが、そちらは王制への憧れが強くて嫌だった。
 

8.5『喜びも悲しみも幾歳月』(1957/日)木下惠介

木下惠介生誕100年 喜びも悲しみも幾歳月 [DVD]

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 灯台守の夫婦
 灯台守の夫婦を通して、戦前や戦時中の日本がふり返られる。説教臭くないし、身近な人々が戦死するなど戦争を美化はしてもいない。『風と共に去りぬ』のような大河ドラマの趣がある。ただ、夫婦の物語であるわりに妻(高峯秀子)の存在感が足りない。


3.0『カビリアの夜』(1957/伊)フェデリコ・フェリーニ

カビリアの夜 完全版 [DVD]

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 楽しくはない
 娼婦のジュリエッタ・マシーナは良いが、恋愛描写のような情緒は無い。マシーナがひたすら男に翻弄されるだけの話なので、可哀想だし楽しくない。また、マシーナが神にすがり教会に行くシーンがあるが、私は神にすがったことがないので共感できなかった。


8.0『裸の太陽』(1958/日)家城巳代治

裸の太陽 [DVD]

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 仲代の話を広げればもっと面白くなった
 『暴れ太鼓』のように、カップルを通して近代思想が瑞々しく描かれており面白い。ただ、終盤で仲代達矢の片思いの恋が明かされるが、仲代のバックボーンに時間が割かれていないのは物足りなかった。ここを広げればもっと面白くなったであろう。主題歌はポップで楽しい。


8.5『北北西に進路を取れ』(1959/米)アルフレッド・ヒッチコック

北北西に進路を取れ 特別版 [DVD]

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 代表作
 観客を裏切る物語が冴えるし、飛行機が突っ込んでくるシーンには迫力もある。エヴァ・マリー・セイントが知的で美人なのも良い。ヒッチコックの代表作と言える。


2.0『勝手にしやがれ』(1959/仏)ジャン=リュック・ゴダール

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 たいした映画ではない
 大学生の頃に初めて見たときは凄い映画なのかと思ったが、多少カットのつなぎにアイデアがあるだけで、見直すとたいしたことはない。主人公の男がマフィアに憧れているだけのチンピラなのが寒い。また、その男を裏切り警察に売った女が悪く描かれるが、むしろチンピラを擁護しないだけ立派な女である。


3.0『殿さま弥次喜多 捕物道中』(1959/日)沢島忠

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 雪代敬子が活躍しない
 殿様二人が身分を偽って旅に出る話だが、身分制自体を批判しているわけではない。女義賊である雪代敬子がキーパーソンのように語られるが、実際は全然活躍しないので物足りない。男同士の映画に過ぎなくなっている。


1.5『リトルショップ・オブ・ホラーズ』(1960/米)ロジャー・コーマン

 1986年版の方が面白い
 主人公シーモアは、植物の餌のために歯科医を自分の手で殺すなど狂気染みしている。リメイク後のミュージカル映画(1986年)のほうが感情移入できて面白い。


1.0『若者のすべて』(1960/伊)ルキノ・ヴィスコンティ

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 若者の一部
 貧しい兄弟がボクシングをやったり、そのうちの一人が娼婦を殺したりと、粗野で乱暴で眉をひそめたくなる映画。こんな野蛮な人々は若者の一部に過ぎない。


4.0『ろくでなし』(1960/日)吉田喜重

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 高千穂ひづるだけいい
 ヌーベルバーグのように退廃的な調子で、エネルギーが感じられない。津川雅彦が無責任な男で不快である。ただ、年上の女高千穂ひづるに色気があり、人間的に魅力もあるのはいい。


8.0『黒い十人の女』(1961/日)市川崑

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 女達の共謀
 一人の男に不倫をされていた女達が、共謀して男に復讐しようとする。殺人事件が起きているわけでもなのに、サスペンスとして引き込まれる。テレビ局に勤める岸田今日子が、封建的な男性プロデューサーに理論的に反論するシーンも格好いい。ただいかんせん、モテまくりで不倫しまくりの主人公船越英二に感情移入しかねる。


1.0『女は女である』(1961/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール

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 だから何だ
 ハリウッドのミュージカル映画のオマージュをブツ切りでやっているわけだが、だから何だという話である。わざと音痴に歌ったりしている。映画評論家の蓮實重彦がベスト141のうちの1本に選んだりしているがまったく意味が分からない。ゴダールだというだけで高評価しているんだろう。


1.5『女と男のいる舗道』(1962/仏)ジャン=リュック・ゴダール

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 殺すことはない
 冒頭のカメラワークだけちょっと面白い。主人公のナナがただかわいそうで、殺すことはないだろう。


0.5『軽蔑』(1963/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール

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 典型的な女性蔑視
 愛を裏切るのは女の方からだ!という典型的な女性蔑視映画である。こういう男の考えが私は嫌いである。あとは、米国人プロデューサーを陳腐な悪役にしているだけで、物語には工夫がない。


3.0『山猫』(1963/伊)ルキノ・ヴィスコンティ

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 貴族がダラダラしてる
 統一戦争時代のイタリアが舞台だが、大河ドラマとしての娯楽性は低い。ガリバルディが出てくれば面白いのに、出てこない。上映時間が3時間もありながら、貴族が舞踏会でダラダラするシーンばかりが目立つ。カンヌ映画祭パルム・ドールを受賞した作品だが、何で受賞したのか分からない。


1.0『はなればなれに』(1964/仏)ジャン=リュック・ゴダール

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 実験的な作品は古びる
 「1分間の沈黙は長い」ということを示すために、映画を1分間無声にする演出があるが迷惑である。実験的な作品は古びるということが分かる。


1.0『気狂いピエロ』(1965/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール

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 感情移入なし
 ベルモンドは一児の父親だが、家族を捨てて先のまったく見えない逃避行をする。冒頭からまったく感情移入できない。その後も、女が男を裏切るなど女性蔑視的な展開である。ところで、この映画のタイトルは「きちがい」と読む。放送倫理に配慮して「きぐるい」と読んだり、原題のカタカタ読みとして「ピエロ・ル・フ」と言ったりすることもあるようだが、そういう言葉狩りは愚かである。


8.0『飢餓海峡』(1965/日)内田吐夢

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 左幸子が泣ける
 水上勉の同名小説が原作だが、小説よりはまとまっていて面白い。娼婦の左幸子の健気なところが泣ける。ただ、いかんせん無実の人間を二人殺す三國連太郎に感情移入はできない。


7.5『幸福』(1965/仏)アニエス・ヴァルダ

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 女達への愛が感じられる
 「幸福」と書いて「しあわせ」と読む。仲睦まじそうな夫婦が主人公だが、実は夫は結婚生活に退屈していて不倫をする。ふとした弾みに出現する妻との不和が恐ろしい。一方、不倫相手の女はステレオタイプに描かれず、制作者側の女達への愛が感じられる。ただ、前半に見せ場が少ないのでそこは退屈した。


5.0『アルファヴィル』(1965/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール

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 ゴダールではまとも
 ディストピアを舞台にしたSF作品。ストーリーがあるのでゴダールとしてはまともな方である。ただ、主人公が思想統制された都市に入り込んでいるにもかかわらず、見張りもなく自由に活動できているのが不自然である。また、この映画では論理や論理的であることが批判されているが、非論理的な犯罪者やテロリストがいることを思えば論理は大事である。そして皮肉にも、『アルファヴィル』はゴダールの作品において論理的な方である。


5.0『女のみづうみ』(1966/日)吉田喜重

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 原作小説よりはいいが…
 原作は川端康成の小説『みづうみ』だが、小説は群像劇のようで散漫としているので、主人公を絞っている映画の方がいい。女性も官能的に描けている。ただ、ヌーベルバーグの影響なのか、演出が間延びしている。もっと面白くできそうなのに、わざと娯楽性を排除しているきらいがある。


0.5『中国女』(1967/仏)ジャン=リュック・ゴダール

中国女 [DVD]

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 過去の遺物
 文化大革命毛沢東をスタイリッシュに取り上げているつもりらしい。私には全く興味が出ない映画である。文化大革命とは、政府が金属を集めて工場をたくさん作るために農民から農具を取り上げたら、農民が餓死しまくったというもので、悲惨であるが単純な話に過ぎない。ところで終盤、過激派の学生が哲学者に窘められるシーンがある。制作者側としては、左翼運動に諸手を挙げて賛成していない、ということを言いたいのだろうが、だったら尚更映画にする必要などない。最初から、左翼運動がテーマの映画など作らなければいいのである。


1.0『ウイークエンド』(1967/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール

ウイークエンド「 [HDマスター] [DVD]

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 古くなっている
 今見ると別に実験的でもショッキングではない。ギャグも古くなっている。車が大渋滞するシーンは北野武の『みんな~やってるか!』でオマージュされているが、武の方がちょっと笑えるくらいである。


4.0『エロス+虐殺』(1969/日)吉田喜重

 いらない手法が目立つ
 大杉栄と共に殺された無政府主義者伊藤野枝が主人公。序盤では、女性運動家としての初々しい正義感が語られて微笑ましい。しかし、なぜか現代を舞台にした学生達のエピソードが交代で挟まる。これではテーマが散漫になるだけである。また、野枝と大杉とその愛人逸子の三人が相争うシーンを期待したが、三人とも観念的な台詞を口にするだけでガッカリした。


1.5『煉獄エロイカ』(1970/日)吉田喜重

 痩せた女性の裸だけ良い
 ヨーロッパの前衛を真似しただけ。観客に理解させようという気がない。原子力を扱っているが、原子力に賛成かも反対かもよく分からない。伝えたいことがないのだろう。ただ、痩せた女性(木村菜穂)の裸には興奮した。


8.0『クロムウェル』(1970/英)ケン・ヒューズ

クロムウェル [DVD]

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 共和国の実現
 クロムウェルは英国の政治家で、王制を倒して英国において初めて共和国を実現した。オーソドックスな伝記映画であるが、大河ドラマとして楽しめる。もっとも、クロムウェルが政権を奪取して以降は描かれないのでそこは物足りない。尺が足りなかったのか、クロムウェルの独裁者的な性格を描くのから逃げたのか…。


1.0『ラムの大通り』(1971/仏)ロベール・アンリコ

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 面白さ不明
 ヤクザまがいの老いた船長が主人公。なぜかスター女優が男に惚れるが、惚れる要素などないから意味が分からない。男にも女にも感情移入はできない。そのくせ、女は別の男にくらんで主人公を捨てる。女の方から愛を裏切るという女性蔑視である。


1.0『告白的女優論』(1971/日)吉田喜重

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 精神分析だの何だの
 ヨーロッパの前衛に影響を受けたゲイジュツ映画。さも精神分析学で好まれるようなテーマを筋に当てはめているだけで工夫がない。登場人物も多いだけで、全く必要ない。


7.5『マーラー』(1974/英)ケン・ラッセル

マーラー [DVD]

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 マーラーの伝記
 作曲家グスタフ・マーラーの伝記映画。奇抜な映像表現だが、ちゃんとマーラーの生い立ちやバックボーンが描かれるので感情移入できる。妻がミステリアスで良いキャラをしているのだが、それだけに妻のバックボーンも描いてほしいところであった。


9.0『バリー・リンドン』(1975/米)スタンリー・キューブリック

バリーリンドン [DVD]

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 小説より面白い
 原作はサッカレーの同名小説だが、小説より面白い。物語も工夫されているし、冗長な賭博のシーンも削られている。義理の息子との決闘シーンなどは息をのむほどドラマがある。主人公の従妹(ゲイ・ハミルトン)も美人ではないが色気がある。私が観たキューブリック作品の中で一番好きである。


8.5『アデルの恋の物語』(1975/仏)フランソワ・トリュフォー

 感情の予測不能
 フランスの文豪ユーゴーの次女・アデルを描いた伝記映画。アデルはかつて一夜を共にした英国の中尉のことが忘れられない。カナダまで彼のあとを追ってきて熱い手紙を送るなど、その思いはストーカーじみていく。この女性の執念を、恐ろしいと言っていいのか美しいと言っていいのか分からない。しかし、この映画が人間の感情の予測不能さを捉えているのは間違いない。


9.0『祭りの準備』(1975/日)黒木和雄

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 自伝的映画
 脚本家の中島丈博が育った高知県中村市が舞台である。中島の実体験からくるのであろう、田舎の息苦しさや粗野なところが生々しく描けてある。売春宿に勤めたあと頭がおかしくなってしまった女がいるのだが、主人公の祖父がその女を孕ませてしまう展開は唖然とした。登場人物が多く、もっと一人一人にスポットを当ててほしいという不満もあるが、しかしそこを差し引いてもかなり面白い映画である。


1.5『デルス・ウザーラ』(1975/ソ連・日)黒澤明

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 自然を主人公にしてもつまらない
 大自然を賛歌し、近代文明を批判するだけの内容である。ロシアの探検家の人となりも描写されないので感情移入できるキャラがいない。女性も出てこない。この映画の主人公は「自然」なのだろうが、人間が主人公でない映画はつまらない、という当たり前の事実を再確認した。


8.5『震える舌』(1980/日)野村芳太郎

あの頃映画 「震える舌」 [DVD]

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 追い詰められた夫婦の絆
 原作は三木卓の同名小説。家の近くで泥遊びをしていた幼い娘が破傷風にかかり、壮絶な闘病を余儀なくされる。親夫婦は娘の命を気遣ったり、あるいは自分のせいだと自らを責めたり、喧嘩をしてしまう。しかし、そんな時にふと垣間見える絆は感動的である。ストーリーのテンポは悪いのだが、そのテンポの悪さが闘病の大変さや、何もできない親の無力感を表現しているとも思える。主治医の中野良子が頼りがいがあって格好良い。あと病院の中で皆が煙草を吹かしているのは興味深い。


8.5『遠雷』(1981/日)根岸吉太郎

 横山リエがエロい
 原作は立松和平の同名小説だが、農家や団地妻の生々しいエロスが小説以上に表現できている。永島敏行が年上の女(横山リエ)とビニールハウスでセックスをする場面はかなり興奮した。もしこういう女と実際に会ったら私も人生を狂わされてしまいそうである。ただ、永島の親友であるジョニー大倉のバックボーンが描かれないので、彼の起こした殺人事件について心を揺さぶられることは無かった。


7.5『ポゼッション』(1981/仏・西独)アンジェイ・ズラウスキー

ポゼッション デジタルニューマスター版

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 怪獣映画みたい
 妻(イザベル・アジャーニ)が夫のことを毛嫌いするようになり、夫は怒りでストーカー化する。その後の展開を思うと、怪獣映画のようでもある。なぜか途中、バレエ教室でイザベル・アジャーニが少女を調教するシーンがあり、撫で回される少女に興奮した。後半の展開は飛躍していてほとんど意味が分からない。もっと若い頃に観ていれば衝撃を受けたかもしれないが、今の私では7.5点。


8.5『幻の湖』(1982/日)橋本忍

幻の湖[東宝DVD名作セレクション]

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 謎の面白さ
 主人公の南条玲子はソープ嬢で、愛犬とのランニングを日課にしている。南条にはエロさと素朴さとが奇妙に同居していて良い。ところがある日、愛犬が誰かに殺されてしまう。彼女は犯人を見つけるために奔走し、ついに犯人の男をあぶり出す。最終的に南条は男をナイフで刺して敵を討つが、このオチはやり過ぎだとも思う。もっと言うと、この映画は色々とやり過ぎである。ほとんど脈絡もないのに戦国時代の物語に飛んだり、南条が宇宙飛行士と交流したりする。にもかかわらず、面白い映画であるから謎である。


7.5『愛と青春の旅だち』(1982/米)テイラー・ハックフォード

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 面白いがもう一つ
 リチャード・ギアは父親を反面教師とし、真面目な軍人になろうと決心する。親子の対立というお膳立てがしっかり描かれるので、物語に入り込めやすい。ただ、基本的にはいかにもマッチョな男社会が描かれるので観ていて疲れる。男をだまして自殺に追いやってしまう女も出てくるが、わざわざこういうエピソードを挟むところに女性嫌悪を感じてしまう。リチャード・ギアデブラ・ウィンガーの間にも、もう一ひねりドラマがほしかった。


8.5『廃市』(1983/日)大林宣彦

 姉妹の愛憎
 福永武彦の短編小説「廃市」が原作で、映画は短編をうまく膨らましている。単純な不倫ではなく、誤解などが絡んでいる愛憎関係は面白い。峰岸徹の通夜に、姉妹がお互いの感情をぶつけ合うさまは劇的である。姉妹がただ相手のことを憎んでいるのではなく、相手のことを思いやった上でぶつかり合うから観客の心が揺さぶられるのである。ただ、序盤の見所が少ないところが惜しい。
 

10.0『インドへの道』(1984/英・米)デヴィッド・リーン

 近代をテーマにした傑作
 植民地時代のインドを舞台に、英国人とインド人との交流が初々しく描かれる。フィールディング教授は近代思想を体現したような人物で共感できる。彼は周りの英国人の持つ偏見に挑戦するし、自分の家名が絶えることを気にしない。他方でインド哲学の宗教観にも疑問を呈すなどバランスが良い(宗教に批判的でなければ近代主義者ではない)。もちろん、フィールディングが友情を育んでいたはずのインド人アジズと擦れ違ってしまう展開も泣ける。原作はE.M.フォースターの同名小説であるが、小説よりもミス・クェステッドの扱いが良い。また、クェステッドとアジズとの和解のシーンもあり小説以上に感動的である。


8.0『眺めのいい部屋』(1986/英)ジェイムズ・アイヴォリー

眺めのいい部屋 HDニューマスター版 [DVD]

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 ベタだがいい
 原作小説はE.M.フォースターの同名小説で、小説を忠実に再現している。身分を隔てた恋がなかなか進展しない様はベタだが引き込まれる。ただ、ヘレナ・ボナム=カーターの従妹役としてマギー・スミスは適切ではないだろう。二人の間には32歳差もあり、年を取り過ぎている。


8.0『吉原炎上』(1987/日)五社英雄

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 生き地獄
 吉原を美化せず、女にとってそこが生き地獄であることが生々しく描かれる。とくに、男に裏切られ気がふれてしまった仁支川峰子は恐ろしい。ただ、主人公(名取裕子)の生い立ちがちゃんと描かれないので感情移入しきれない。また、名取の心理描写も物足りず、飛躍している。おぼこだったはずの彼女が、いつの間にか花魁としてのプライドを持っているので違和感があった。


8.0『マルサの女』(1987/日)伊丹十三

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 宮本信子が痛快
 マルサとは国税局査察部の通称。頭が良くて正義感の強い税務署員・宮本信子は痛快である。脱税者を追い詰める勧善懲悪ものとして楽しめる。また一方で、山崎努の金儲けの哲学にもついつい頷いてしまう。ただ、宮本の一人息子や家庭環境・バックボーンが不明瞭である。そこが描かれればもっと宮本に感情移入できて面白くなったであろう。


0.5『右側に気をつけろ』(1987/仏・スイス)ジャン=リュック・ゴダール

右側に気をつけろ [DVD]

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 分からな
 群像劇のようにしたいのか知らないが登場人物が多く、ミュージシャンらをメインにしたストーリーも挿入される。しかし丁寧に人間を描いていないので感情移入が出来ないしよく分からない。コメディかというと別に笑えない。


8.5『ダイ・ハード』(1988/米)ジョン・マクティアナン

 質の高い娯楽映画
 もちろんアクションには迫力があるが、何より登場人物のバックボーンや人間ドラマがしっかり描けていて面白い。また、ブルース・ウィリスは非番の警官だが、警官を美化していないし、わざと醜く描いてもいないのも冷静で良い。映画には娯楽が必要だ、ということがよく分かる。


8.5『異人たちとの夏』(1988/日)大林宣彦

あの頃映画 「異人たちとの夏」 [DVD]

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 ホラー
 風間杜夫は子どもの頃に死んだはずの両親と再会する。本当は幽霊だと分かっていても、ついつい団欒してしまう。幸せな日常から、ふとした瞬間に垣間見える死の恐怖には身震いした。終盤ではブライアン・デ・パルマの『フューリー』を思わせるシーンがある。原作は山田太一の同名小説だが、映画の方がホラーとしての娯楽性が高まっていて面白い。


8.0『カミーユ・クローデル』(1988/仏)ブリュノ・ニュイッテン

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 クローデルの伝記映画
 ロダンの弟子であり愛人でもあった彫刻家カミーユ・クローデルの伝記映画。クローデルは知的で行動力があり、周囲の人間に自己主張していくのは痛快である。ただ後半では、ロダンへの憎しみからクローデルは頭が変になってしまう。救いようもない展開になってからは観るのがキツくなった。


0.5『ヌーヴェルヴァーグ』(1990/スイス・仏)ジャン=リュック・ゴダール

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 女が嫌いな人が作った
 男は溺れている女を救うが、女は溺れている男をただ見捨てるという、女性を悪者にするテーマが不愉快である。あと、どこからどこまでが回想シーンなのか分からないように作っているのも観づらい。


8.5『ダイ・ハード2』(1990/米)レニー・ハーリン

 飛行機に乗りたくなくなる
 観客を何度も裏切るプロットで、前作同様に質の高い娯楽映画になっている。飛行機が墜落するかもしれないという恐怖もリアルで、飛行機に乗りたくなくなる。面白かった。


7.0『レッド・オクトーバーを追え!』(1990/米)ジョン・マクティアナン

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 観ていられるが…
 ソ連から米国に向かう潜水艦がある。米国に攻撃するためなのか、それとも亡命をしに来たのかと情報が錯綜する。サスペンスとして観ていられる。しかし、主人公と妻子の関係が中途半端にしか描かれないのは物足りない。『ダイ・ハード』に比べると主人公に感情移入しかねる。ところで、潜水艦の中で皆が煙草を吸っているのは興味深い。


9.0『ふたり』(1991/日)大林宣彦

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 小説より面白い
 原作は赤川次郎の同名小説だが、小説だと主人公(石田ひかり)にイケイケの彼氏ができるのでムカつく。映画の方が、石田ひかりと死んだ姉や女友達の関係が丁寧に描かれており面白い。死んだ姉の彼氏との微妙な距離感もドキドキする。また、父親の浮気相手の女が夫婦の家を訪ねてくるシーンは迫力がある。ただ、石田ひかりが暴漢に襲われるシーンがあるが、なぜか石田にはトラウマが全く残らない。あんな経験をしたらフラッシュバックしそうなものだが、その後も明るく暮らしているのは違和感がある。


8.5『ハワーズ・エンド』(1992/英・日)ジェームズ・アイヴォリー

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 階級社会の意地悪さ
 ヘレナ・ボナム=カーターは、不貞の女性を家に泊めると家の価値が下がる、とか言われてしまう。英国の階級社会の意地悪さが分かる。ヘレナが労働者階級の男を救い出そうとして空回りしてしまうのは泣ける。ただまあ基本的に、成り上がりに厳しく上流階級には同情的な調子なので、納得しがたいところもある。原作はE.M.フォースターの同名小説で、映画はこれを忠実に再現している。


8.0『ぼく東綺譚』(1992/日)新藤兼人

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 永井荷風の伝記
 永井荷風の小説『ぼく東綺譚』を映画化するだけではなく、荷風の一生そのものを描いた伝記映画のようになっている。小説『ぼく東綺譚』はつまらなかったが、映画は面白かった。荷風は女にだらしなくて、若い女・墨田ユキと婚約(?)したのに裏切る。しかし、結局のところユキは年の離れた荷風と結ばれないほうがいい気もするから、女性への可哀想さは緩和されている。実際終盤では、ユキが戦後も強かに生きる、というシーンがあり安心する。


7.5『エイジ・オブ・イノセンス』(1993/米)マーティン・スコセッシ

 美しいが娯楽性は低い
 1870年代のニューヨークの閉鎖的な社交界が、自由な思想を持つミシェル・ファイファーの登場により動揺する。素朴な女性解放論者が前近代的なルールを切り崩していく様は面白い。ダニエル・デイ=ルイスとの友情のような関係性は美しいが、大恋愛には発展しないので娯楽性は低い。もっとミシェル・ファイファーが活躍すれば痛快なのだが。イーディス・ウォートンの原作小説の方が面白かった。


0.5『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994/米)ロバート・ゼメキス

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 マッチョ
 内気な主人公がすぐに女の子と仲良くなり、二人っきりで遊ぶようになるのはよく分からない。しかも主人公は足が速いと言うだけでラグビー選手として大学に入学できるなど、いつの間にかマッチョ男になっており腹が立つ。男の一途な愛や寛容さが強調され、女の方が愛を裏切るという女性蔑視な展開もあり嫌である。中途半端に政治問題や反戦思想が絡んでいるのもダメである。いかにも「評論家さん誉めてください」というあの寒さである。


6.5『ダイ・ハード3』(1995/米)ジョン・マクティアナン

 1作2作に劣る
 ストーリーは退屈ではない。しかし、前作まであったブルース・ウィリスと妻子との関係が無くなりドラマが減っている。女性キャラもとくに出てこない。あと、カーチェイスのシーンが多くブルース・ウィリス危険運転をするが危ない。


0.5『ユージュアル・サスペクツ』(1995/米)ブライアン・シンガー

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 犯罪者に共感しない
 容疑者が法螺話を駆使して警察から逃げおおせる、という話で共感できない。あと、わざとストーリーを分かりづらくしているのもイライラする。女性もほぼ全く出てこない。


8.5『鳩の翼』(1997/英・米)イアン・ソフトリー

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 人間の不可解さ
 原作はヘンリー・ジェイムズの同名小説。ヘレナ・ボナム=カーターは、ジャーナリストのライナス・ローチを愛している。しかし彼には金がない。そこでヘレンは、遺産があるが重い病気を患う女友達(アリソン・エリオット)と、自ら進んで三角関係に陥る。人を愛するあまり残酷な振る舞いをする、という人間の不可解さが表現されている。ただ、これは原作小説でもそうなのだが、アリソンの心情がいまいち分からない。もっと、ヘレンとアリソンとの友情を描くと完璧なのだが。


8.0『悪い女』(1998/韓)キム・ギドク

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 娼婦との友情
 娼婦のジナと、貞淑で頭の良いヘミは従妹同士である。ヘミは体を売るジナを軽蔑していたが、徐々に友情が育まれるのが美しい。女性の色気や官能性も生々しくて興奮する。ただ、ジナの身の上が描かれないので感情移入できない。また、終盤でヘミが男に体を売るのだが、突然な展開であり納得できない。


8.5『シックス・センス』(1999/米)M.ナイト・シャマラン

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 幽霊にバックボーンがある
 ホラーとしても楽しめるが、それぞれの幽霊にバックボーンがあるのがいい。人間ドラマとして作られているので、質の高い娯楽映画になっている。大オチは今となっては真新しくないが、それでもうまく物語を締めている。


8.0『リトル・ダンサー』(2000/英)スティーヴン・ダルドリー

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 異性愛者の私にも楽しめた
 主人公の少年は、父親に無理矢理ボクシングをやらされている。しかし、本当はバレエを踊ってみたいと思っている。「男は男らしく」というジェンダーへの押しつけに刃向かっていく少年は応援したくなる。また、父と兄は炭鉱に務めているが、ストを続けるかスト破りをするかという葛藤もありドラマが冴えている。ところでこの映画には、認知症の祖母を除くと基本的に女性は出てこない。劇中に同性愛者の少年は出てくるので、恐らく監督がゲイなのだろう。基本的に私は同性愛的な映画には共感できないのだが、『リトル・ダンサー』は登場人物のドラマがしっかり描けているので私にも楽しめた。


8.5『猟奇的な彼女』(2001/韓)クァク・ジェヨン

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 正義感の強い女性はいい
 正義感が強く義憤にあふれる女性チョン・ジヒョンが痛快である。そうかと思えば、ジヒョンが彼氏に聞こえない声量で本音を言うシーンもあり感動的である。ただ、ジヒョンとその保守的な両親との葛藤がいまいち描かれないのは物足りない。オチももう一ひねりできる気がする。


7.0『ゴーストワールド』(2001/米)テリー・ツワイゴフ

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 オチが変
 スクールカーストが低そうなオタクの女子ソーラ・バーチと、オタクの中年ブシェミが何となく惹かれあうのが面白い。オタクを嫌う女友達とバーチとの間にズレが生じるのもベタだが引き込まれる。ただ、オチがよく分からない。シュールなのかバッドエンドなのか。ブシュミとの仲がどうなったのかが有耶無耶にされていており、物語から逃げてしまった。ちなみに原作はアメコミで(未読)、原作では中年男は出てこないらしいが、これは絶対に出てくる方が面白い。


2.0『ビューティフル・マインド』(2001/米)ロン・ハワード

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 文系の私には共感できない
 天才数学者ジョン・ナッシュの伝記映画。しかしナッシュは本を読まず、すべてを支配する理論を考えたいというから文系の私には共感できない。また、ナッシュは女心が分からないのに、美人の女学生に食事を誘われたりキスをされるなどムカつく。後半はナッシュの精神状態が悪化し、鬱々とした映画になっていて疲れた。


1.0『愛の世紀』(2001/仏・スイス)ジャン=リュック・ゴダール

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 PVにしろ
 海と人間が二重写しになる映像は確かに美しいが、それだけである。映画じゃなくて音楽のPVにでもした方がいい。コソボ紛争とか政治を扱えばいいんだろう、みたいなゴダールの姿勢が鼻につく。


1.0『青の稲妻』(2002/中・日・韓・仏)ジャ・ジャンクー

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 ダラダラ
 杜撰な計画で銀行を襲おうとする不良が主人公。ただでさえ登場人物に共感できないのに、ストーリーもダラダラしていて面白くなかった。


8.0『春夏秋冬そして春』(2003/韓)キム・ギドク

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 変わった映画
 人里から隔離された場所に、老僧と少年が生活している。かなり変わった映画だが、少女が寺を訪れてから面白い。少年が少女に対して募らせる性欲の描き方が生々しい。また、子供を捨てる親など、目を背けたくなるような人間の行動が描かれている。ただ、人間の内面に迫っているわけではない。成長した少年は殺人沙汰を起こすが、ちょっとついていけなかった。


4.0『僕の彼女を紹介します』(2004/韓)クァク・ジェヨン

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 二番煎じ
 チョン・ジヒョンは美人だが、所詮『猟奇的な彼女』の二番煎じである。ジヒョンが彼氏の仕事場に乗り込むなどやり過ぎで、恋愛描写に風情がない。あとやたら銃撃戦が多い。


0.5『アワーミュージック』(2004/仏・スイス)ジャン=リュック・ゴダール

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 オカルト
 序盤は実際の戦争の映像が繋ぎ合わされているだけ。中盤はユダヤイスラムの話題になるが私には関心が無い。ラストは登場人物が天国にいるシーンだが、オカルトである。
 

9.0『弓』(2005/韓)キム・ギドク

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 少女の自我
 船の上で二人きりで暮らす老人と少女がいる。少女が17歳になったら老人は彼女と結婚するつもりでいるが、少女は釣り客の青年と恋に落ちる。少女の自我がちゃんとテーマになっていて面白い。物語もいい意味で観客を裏切ってくれる。音楽もいい。強いて言うなら、釣り客の青年のバックボーンが分からず感情移入できないのだけ不満だった。


3.0『プラダを着た悪魔』(2006/米)デヴィッド・フランケル

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 職場のしごきの肯定
 オシャレにより人間に階層が生まれる、というテーマは分かる。しかし、そもそも私はファッションに興味が無いので、意地悪なファッション雑誌編集部の人々には腹が立ってくるだけである。新人アン・ハサウェイは結局仕事を辞めるが、職場でしごかれたことを良い思い出としてまとめているので、モラハラパワハラを肯定的に描いているような気もする。あとメリル・ストリープの良さが分からない。


8.5『卍』(2006/日)井口昇

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 レズの描き方がいい
 原作は谷崎潤一郎の同名小説だが、小説より面白い。女性同士のセックス描写にふざけたところがない。秋桜子に恥じらいがあり、エロティックで良い。ただ、終盤では「死のうか」「うん」と退廃的で、観音様に手を合わせるなどオカルト色も強くなる。


9.0『アズールとアスマール』(2006/仏)ミシェル・オスロ

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 異文化の接触
 フランスのアニメ。アズールは白人の金持ちの息子で、アスマールはアズールの乳母の息子でアラブ人である。子供の時はお互い何も気にせず遊んでいたが、いつしか人種という壁が立ちはだかる。白人に差別されるアラブ人、アラブ人に差別される白人という双方からの視点で描かれており、よく考えられている。冒険談としても楽しめる。『インドへの道』もそうだが、素朴な正義感を持つ異文化の人間が接触する映画は面白い。


7.5『ブレス』(2007/韓)キム・ギドク

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 浮気の復讐が変
 夫の浮気の復讐に、妻はテレビで知った死刑囚と面会するようになる。実際にはあり得ないようなストーリーだが、人間の愛の不可解さが表現されているとも思える。しかし、夫婦のバックボーンを描くシーンが足りないので共感はしづらい。評価に困る映画だが、一見の価値はある。ちなみに死刑反対的なメッセージはなさそうである。


0.5『ノーカントリー』(2007/米)コーエン兄弟

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 気分が悪くなる
 無差別殺人犯が罰せられず逃げおおせる話。グロテスクさや狂気が優先され、人間ドラマはないがしろにされる。アカデミー賞で4冠、キネマ旬報2008年1位(ふうん)。


7.5『カメレオン』(2008/日)阪本順治

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 ヤクザ映画ではない
 政府要人の拉致現場を目撃した藤原竜也らが謎の組織に命を狙われる。明らかに撃たれた水川あさみが生きているなどよく分からないところも多いが、基本的にストーリーもアクションも楽しめる。結婚詐欺をやっている塩谷瞬が、騙すつもりの女性のことを本当に好きになっている、というシーンも面白かった。


3.0『四川のうた』(2008/中・日)ジャ・ジャンクー

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 女性の話は面白いが
 前半は記録映画で後半はフィクションとなっている。閉鎖される軍需工場に勤めた人々が自分の経験を語っていく。ある女性は自分が18歳の時、14年ぶりに母が帰郷した時のことを話す。またある女性は、港で子供とはぐれたが、軍の命令で子供を捜索できないまま船に乗らなくてはならなかったという。ただ、後半のフィクションがどうも面白くない。それによく考えると、前半の工員の話も嘘なんじゃないかと思えてきてしまう。


3.0『そして父になる』(2013/日)是枝裕和

 福山ばかりを悪く描く
 成り上がりの福山雅治家と庶民的なリリー・フランキー家との間で取り替え子が起こる。それぞれの家の経済格差が描かれているのでそこは面白い。しかし、その後はずっと庶民のリリー家に味方するような物語の運びとなる。福山雅治だって別に悪いことをして金を稼いだのではなく、ちゃんと仕事をしているわけだから、「金を稼ぐ=悪い」みたいな安易な図式には辟易した。また、福山がファザコンであることは劇中で批判されるが、リリーが自分の父に教わったように田舎的な暮らしをするのは批判されないどころか美化されている。福山のファザコンは駄目で、リリーのファザコンは何でいいのか。リリーはリリーで自らのファザコンについて葛藤すべきであり、そうしないと物語に奥行が出ない。
 あとは、双方の少年が上品すぎる。男子は小さいころから性欲があるはずだが、女子や女性に見向きもしない。


2.0『42 世界を変えた男』(2013/米)ブライアン・ヘルゲランド

 キリスト教を持ち出すことはない
 黒人米国人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンの伝記映画。しかし、物語はジャッキー・ロビンソンがいきなりドジャースGMリッキーと契約するところから始まる。登場人物のバックボーンが描かれないので物足りない。また、キリスト教の説教臭さが強い。リッキーが「右の頬を殴られたら左の頬を差し出」すように差別を受けても我慢しろ、とロビンソンに言ったり、「死んだあと神様の前で黒人を差別したことを後悔するな」と他球団の監督に言ったりする。しかし、人間は生れで差別してはいけないというのは合理的考えから引き出せるのであり、キリスト教などわざわざ持ち出すことはないのだ。


0.5『さらば、愛の言葉よ』(2014/仏)ジャン=リュック・ゴダール

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 老人の嫌がらせ
 ゴダールの3D映画ということで当時の私はわざわざ映画館に観に行った。3Dメガネをかけても、わざとピントが合わない作りの映像になっている。80歳を超えたゴダールの嫌がらせである。実験的な作品が面白いという時代は終わったのだ。


1.5『海にかかる霧』(2014/韓)シム・ソンボ

 ドラマを蔑ろにしている
 最初は、船による密入国を描いた真面目な映画だと思ったのに、どんどんスプラッター映画みたいになってしまう。船長や船員が平気で人を殺すのだ。オチもなぜか男女が結ばれないというバッドエンドだし、密航者の女性が行方不明の弟を探すという展開さえどうでもよくなっている。ドラマを蔑ろにする映画は面白くない。


8.0『リリーのすべて』(2016/英・米・独)トム・フーパー

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 妻の心の動きがいい
 世界で初めて別適合手術を受けたリリー・エルベの伝記映画。リリーは男だった頃、画家である妻のモデルの代役として女装すると、みるみる女装にハマっていった。状況は次第にエスカレートし、女装してパーティに出席したりもする。ここでの、男であることがバレるかもしれない、という演出はスリリングである。また、妻も最初は夫の女装を面白がっていたのに、「夫が必要なの」と泣き出して夫に女装をやめるように言うのはいい。女性の心の動きも丁寧に描写しているから、異性愛者の私にも楽しめた。ただ、手術を受けるシーンは痛ましく目を覆いたくなった。



点数順(同点は年代順)

10.0『風と共に去りぬ』(1939/米)ヴィクター・フレミング
10.0『インドへの道』(1984/英・米)デヴィッド・リーン
9.5『ケイン号の叛乱』(1954/米)エドワード・ドミトリク
9.0『バリー・リンドン』(1975/米)スタンリー・キューブリック
9.0『祭りの準備』(1975/日)黒木和雄
9.0『ふたり』(1991/日)大林宣彦
9.0『弓』(2005/韓)キム・ギドク
9.0『アズールとアスマール』(2006/仏)ミシェル・オスロ
8.5『哀愁』(1940/米)マーヴィン・ルロイ
8.5『アフリカの女王』(1951/米・英)ジョン・ヒューストン
8.5『喜びも悲しみも幾歳月』(1957/日)木下惠介
8.5『北北西に進路を取れ』(1959/米)アルフレッド・ヒッチコック
8.5『アデルの恋の物語』(1975/仏)フランソワ・トリュフォー
8.5『震える舌』(1980/日)野村芳太郎
8.5『遠雷』(1981/日)根岸吉太郎
8.5『幻の湖』(1982/日)橋本忍
8.5『廃市』(1983/日)大林宣彦
8.5『異人たちとの夏』(1988/日)大林宣彦
8.5『ダイ・ハード』(1988/米)ジョン・マクティアナン
8.5『ダイ・ハード2』(1990/米)レニー・ハーリン
8.5『ハワーズ・エンド』(1992/英・日)ジェームズ・アイヴォリー
8.5『鳩の翼』(1997/英・米)イアン・ソフトリー
8.5『シックス・センス』(1999/米)M.ナイト・シャマラン
8.5『猟奇的な彼女』(2001/韓)クァク・ジェヨン
8.5『卍』(2006/日)井口昇
8.0『いちごブロンド』(1941/米)ラオール・ウォルシュ
8.0『素晴らしき日曜日』(1947/日)黒澤明
8.0『破れ太鼓』(1949/日)木下惠介
8.0『裸の太陽』(1958/日)家城巳代治
8.0『黒い十人の女』(1961/日)市川崑
8.0『飢餓海峡』(1965/日)内田吐夢
8.0『クロムウェル』(1970/英)ケン・ヒューズ
8.0『眺めのいい部屋』(1986/英)ジェイムズ・アイヴォリー
8.0『吉原炎上』(1987/日)五社英雄
8.0『マルサの女』(1987/日)伊丹十三
8.0『カミーユ・クローデル』(1988/仏)ブリュノ・ニュイッテン
8.0『ぼく東綺譚』(1992/日)新藤兼人
8.0『悪い女』(1998/韓)キム・ギドク
8.0『リトル・ダンサー』(2000/英)スティーヴン・ダルドリー
8.0『春夏秋冬そして春』(2003/韓)キム・ギドク
8.0『リリーのすべて』(2016/英・米・独)トム・フーパー
7.5『わが青春に悔なし』(1946/日)黒澤明
7.5『心のともしび』(1954/米)ダグラス・サーク
7.5『追想』(1956/米)アナトール・リトヴァグ
7.5『幸福』(1965/仏)アニエス・ヴァルダ
7.5『マーラー』(1974/英)ケン・ラッセル
7.5『ポゼッション』(1981/仏・西独)アンジェイ・ズラウスキー
7.5『愛と青春の旅だち』(1982/米)テイラー・ハックフォード
7.5『エイジ・オブ・イノセンス』(1993/米)マーティン・スコセッシ
7.5『ブレス』(2007/韓)キム・ギドク
7.5『カメレオン』(2008/日)阪本順治
7.0『マタ・ハリ』(1931/米)ジョージ・フィッツモーリス
7.0『汚れた顔の天使』(1938/米)マイケル・カーティス
7.0『花嫁の父』(1950/米)ヴィンセント・ミネリ
7.0『レッド・オクトーバーを追え!』(1990/米)ジョン・マクティアナン
7.0『ゴーストワールド』(2001/米)テリー・ツワイゴフ
6.5『逃走迷路』(1942/米)アルフレッド・ヒッチコック
6.5『ダイ・ハード3』(1995/米)ジョン・マクティアナン
6.0『下宿人』(1927/英)アルフレッド・ヒッチコック
6.0『ナポレオン』(1927/仏)アベル・ガンス
6.0『我が家の楽園』(1938/米)フランク・キャプラ
5.0『孔雀夫人』(1936/米)ウィリアム・ワイラー
5.0『アルファヴィル』(1965/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール
5.0『女のみづうみ』(1966/日)吉田喜重
4.0『若草物語』(1933/米)ジョージ・キューカー
4.0『ろくでなし』(1960/日)吉田喜重
4.0『エロス+虐殺』(1969/日)吉田喜重
4.0『僕の彼女を紹介します』(2004/韓)クァク・ジェヨン
3.0『ステージ・ドア』(1937/米)グレゴリー・ラ・カーバ
3.0『カビリアの夜』(1957/伊)フェデリコ・フェリーニ
3.0『殿さま弥次喜多 捕物道中』(1959/日)沢島忠
3.0『山猫』(1963/伊)ルキノ・ヴィスコンティ
3.0『プラダを着た悪魔』(2006/米)デヴィッド・フランケル
3.0『四川のうた』(2008/中・日)ジャ・ジャンクー
3.0『そして父になる』(2013/日)是枝裕和
2.0『勝手にしやがれ』(1959/仏)ジャン=リュック・ゴダール
2.0『ビューティフル・マインド』(2001/米)ロン・ハワード
2.0『42 世界を変えた男』(2013/米)ブライアン・ヘルゲランド
1.5『イントレランス』(1916/米)D・W・グリフィス
1.5『リトルショップ・オブ・ホラーズ』(1960/米)ロジャー・コーマン
1.5『女と男のいる舗道』(1962/仏)ジャン=リュック・ゴダール
1.5『煉獄エロイカ』(1970/日)吉田喜重
1.5『デルス・ウザーラ』(1975/ソ連・日)黒澤明
1.5『海にかかる霧』(2014/韓)シム・ソンボ
1.0『若者のすべて』(1960/伊)ルキノ・ヴィスコンティ
1.0『女は女である』(1961/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール
1.0『はなればなれに』(1964/仏)ジャン=リュック・ゴダール
1.0『気狂いピエロ』(1965/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール
1.0『ウイークエンド』(1967/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール
1.0『告白的女優論』(1971/日)吉田喜重
1.0『ラムの大通り』(1971/仏)ロベール・アンリコ
1.0『愛の世紀』(2001/仏・スイス)ジャン=リュック・ゴダール
1.0『青の稲妻』(2002/中・日・韓・仏)ジャ・ジャンクー
0.5『軽蔑』(1963/仏・伊)ジャン=リュック・ゴダール
0.5『中国女』(1967/仏)ジャン=リュック・ゴダール
0.5『右側に気をつけろ』(1987/仏・スイス)ジャン=リュック・ゴダール
0.5『ヌーヴェルヴァーグ』(1990/スイス・仏)ジャン=リュック・ゴダール
0.5『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994/米)ロバート・ゼメキス
0.5『ユージュアル・サスペクツ』(1995/米)ブライアン・シンガー
0.5『アワーミュージック』(2004/仏・スイス)ジャン=リュック・ゴダール
0.5『ノーカントリー』(2007/米)コーエン兄弟
0.5『さらば、愛の言葉よ』(2014/仏)ジャン=リュック・ゴダール

五つ

素人の私の感想に説得力はあるのか
 率直に言って「ない」のだが、もう少し詳しく言うと、私より読書・映画鑑賞をしている人より説得力はないが、私より読書・映画鑑賞をしていない人よりは説得力がある、というところだろう。ただまあ、私の読書量などたかがしれているので、プロの評論家の方が圧倒的に説得力があるのは当たり前である。素人の私の意見に左右されず評論家の意見を読めばいい。
 ちなみに私が参考にしている日本の評論家は小谷野敦宮崎哲弥である。


芸術作品に点数をつけていいのか
 当然、芸術作品を厳密に数値化することはできない。ゆえに人々がブログや批評サイトや通販サイトで本・映画・漫画に点数や星を付けているのは本当はおかしい。ではなぜ私も点数を付けてしまっているのかというと、①私にナルシスト的な傾向が強いから、②他の人もやっているから。①は単純で、私はどうも「自分がこれを面白いと思っていてこれをつまらないと思っている」という優劣を人に言いたくなるので、ナルシストなのだろう。②だが、私は他の人が作品に付けている点数や星に納得することが少ないため、自分でやりたくなってしまうのである。
 ちなみにプロの作家や批評家で作品を数値化した人には中上健次福田和也小谷野敦などがいる。素人の私が点数や星をつける必要はますますないのだが、まあ、やるからには自分に正直に誠実にやりたいとは思っている。


勉強する必要のあるものを勉強する
 私は歴史の勉強をしたり文学作品を読んだりして教養を身につけることは大事だと思うが、その分野の専門家は別として、勉強しなくてもいいものは勉強する必要がないと思っている。例えば私は科学史家じゃないんだから既に論破された(人文)科学の論文は基本読まないし、そもそもアカデミズムではない分野、オカルトや新興宗教、ドラッグがどうこうも別に勉強していない。人生は短いので、そこを勉強する代わりにもっと必要な教養を身につけたいと思っている。そして、自分に教養が身についてくれば、勉強しなくても事件や事物の善悪の判断ができるようになるのである。私がツイッターで、新井潤美の『パブリック・スクール』をひいて「英国貴族にとって勉強するのは恥で、時にシェイクスピアの筋書きを知らないことを誇れるのは、彼らに地位があるから」で、地位のない私が舐められないようにするためには「読むしかない」と発言したことをキム・ギニョンがスクショしていたが、上とは矛盾しない。私は勉強する必要のあるものを勉強するのであり、勉強する必要の無いものは後回しにするか、勉強しないだけである。新興宗教やドラッグを勉強しなくても教養のある大人には舐められないのだ。誤解されないように繰り返すが、冒頭で「その分野の専門家は別として」と言った。なるほど宗教学者新興宗教を勉強する必要はあるのかもしれないが、だったらその勉強は宗教学者に任せればいい、私は宗教学者ではないぞ、ということだ。


嫌煙とディテール
 私が本や映画などに感想を述べるとき、全体として面白いのか・過去の作品と比べてどうか、というかなりオーソドックスな批評家の論じ方を真似している。全体があってこそのディテールだと思うので、例えば「全体的には退屈だが、この1シーンだけ凄い面白い!」という映画があるとしても、全体的に退屈なら低評価を下す。そこで、私が漫画『歯のマンガ』の中の「嫌煙」・および作者の嫌煙発言を指摘するのはディテールに囚われていて矛盾するのではないか、と言う人がいた。が、嫌煙を指摘するのはディテールなのだろうか。私は民主主義の「議論をする」という側面はとても大事だと思う。議論を飛ばして、合法のものをなくすことをしてはならない。車の排気ガスや大気汚染や酒はそのままで煙草だけとりあえず取り締まるのはファシズムである。規模は小さいように見えるが、議論なく合法のものが禁止されれば質としてファシズムである。オリンピックを前にして煙草が規制される社会的状況を前にして、嫌煙的でしかも車社会に無頓着、という側面を批判してもいいではないか。でも、わかった。それでも嫌煙を指摘するのはディテールだとしよう。だが、私は『歯のマンガ』の面白さをディテールだけで判断したのではないし、ディテールに囚われてなどいない。「とても面白い漫画だが喫煙者を差別しているので星5中星1点です」となったらバカである。そうではなく、私にとって『歯のマンガ』はギャグにしては笑えず、ギャグでないのなら代わりに得るものがなく、歯のキャラの2人の性格も描き分けられておらず、全体としてもつまらないから低評価を下したのである。
 ところで私は、正当な手続きであれば、すなわち十分な議論が行われて排気ガス・大気汚染・酒なども平等に取り締まるのであれば煙草は将来的になくなっても仕方ないとも思っている。私は別に最初から過激なことは言っていない。


自転車無灯火のヤクザ風の男を注意するか
 私は夜に自転車を無灯火で運転している人が居ると、「ライトをつけろ」と注意する。交通事故は命に関わり、ぶつけられたほうはたまらないし、逆に無灯火の自転車が車に轢かれたらドライバーが可哀想だからである。年長だと40前後の私服の男に「ライトをつけろ」と言ったことがあるが、相手は驚いたあと舌打ちして、20メーターくらい進んでから「何だとお!?」とキレていた。しかし、遠くに行ってからキレられても私は怖くはないし滑稽に見える。
 ただ、ヤクザ風の男が無灯火でやってきても恐らく私は注意しない。これはヒヨっているかもしれないが、しかしそういう風貌の男が話が通じる人間だとは思えないのである。論争でもそうなのだが、話が通じない人間と議論をしても無駄である。それどころか、いい迷惑を被るかもしれない。腹が立つが、しかし話が通じない人に関わることに躊躇するのも人間だろう。

2017年に読んだ小説・エッセイ・漫画

10点満点。
小説・エッセイが84項目、漫画が8項目あります。
引用文における〔〕は筆者注。


10.0 紫式部源氏物語』<全5巻>円地文子訳、新潮文庫

源氏物語 1 (新潮文庫 え 2-16)

源氏物語 1 (新潮文庫 え 2-16)

 世界規模で見た傑作
 今から1000年前(平安時代中期)に書かれた長編小説。片思いの苦しさ(片思いも立派な恋愛である)・身分社会の息苦しさ・公家文化から武家文化への移行(武士が台頭)による女性の存在感の低下、などありとあらゆることが読み取れる傑作である。同時代の世界を見渡しても、源氏物語のような傑作は11世紀に見つからないとされる。いくつもの現代語訳が存在するが、私は円地文子訳で読んだ(円地の父親は国語学者である上田萬年)。


10.0 ホメロスオデュッセイア』<上・下>松平千秋訳、岩波文庫

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

 ヨーロッパ文学の源流
 紀元前8世紀ごろにホメロスによって書かれた古代ギリシア最古期の長編叙事詩トロイア戦争に参加した英雄オデュッセウスが主人公で、人を食う一つ目の巨人キュクロプスとの対決は面白い。また、オデュッセウスが家を留守にしている間に、彼の妻ペネロペイアを手に入れようと家には悪い求婚者達が群がっていたのだが、乞食の姿をしたオデュッセウスが彼らと対決をして蹴散らしていく様は迫力があり生々しい。物語自体が面白いので、注釈の多さに戸惑ってしまう人は注釈を飛ばしても楽しめるだろう。


10.0 『ギリシア悲劇エウリピデス(上)』『ギリシア悲劇エウリピデス(下)』ちくま文庫

ギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

ギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

 愛憎劇は面白い
 エウリピデス(前480~前406)が残した悲劇をまとめたもの。劇では女の役割がちゃんとあり、自らの感情をはっきり述べて男達の価値観と対立し、遂には激しい愛憎劇となって吹き出るのが面白い。「メデイア」「救いを求める女たち」「オレステス」などがよかった。ところでエウリピデスは生前、大衆受けはしていたが当時の知識人からはあまり評価されていなかったというのは驚いた。いつの時代も大衆に支持される物は知識人の気に入らないのは同じようだ。私はソポクレスよりもエウリピデスの方が人間ドラマがあって好きである。


9.5 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』青木次生訳、講談社

 背筋が凍るほど美しい
 英国を舞台にした心理小説で、1902年に刊行された。主人公ケイトは新聞記者のマートンを愛しているが、彼には金がなく結婚に踏み切れないでいる。そこに、米国から余命幾ばくもない女性資産家ミリーが社交場にやってくるので、ケイトはマートンにミリーと仲良くするよう勧める。ケイトは男を愛するがために、わざと三角関係に陥るのである。それぞれの登場人物のバックグラウンドから心の動きを徹底的に書き尽くすことで、愛の悲劇を背筋を凍らせるほど美しく立ち上げさせた傑作である。ここまで人間の心理を描き出すことが出来るのかと驚嘆するし、不倫がどうこうで騒いでいる場合ではないだろう。1997年にイアン・ソフトリーによって映画化。


9.5 オノレ・ド・バルザック『従妹ベット』<上・下>平岡篤頼訳、新潮文庫

従妹ベット〈上〉 (新潮文庫)

従妹ベット〈上〉 (新潮文庫)

 貴族への女の復讐
 1847年に刊行された長編小説。放埒を極める男爵の堕落と、男爵の妻アドリーヌの従妹ベットのパッとしない生活がメインで描かれる。美人でもないし家柄も良くないし生い立ちも不幸なベットは、自分への慰めとして貧しい芸術家の男を支援していたのだが、その芸術家が貴族達間で話題になりついにはアドリーヌの娘と結婚してしまうので、ベットは男爵家に復讐することを決意する。劇的な物語は概して女の生々しい情感に満ちており、終盤で派手な展開にならない所こそインパクトに欠けるが、それでも傑作である。


9.5 ヴィクトル・ユゴー『九十三年』<上・下> 榊原晃三訳、潮出版社

九十三年〈上〉 (潮文学ライブラリー)

九十三年〈上〉 (潮文学ライブラリー)

 ユゴーの集大成
 1874年に刊行されたユゴー最後の長編小説。フランス革命後の1793年に起った王党派によるヴァンデの反乱を舞台に、立場を異にする人々同士でドラマが織りなされ、そこでは戦場における非情な決断が余すことなく描かれる。フランス革命の理想と現実、ひいては人間の在り方を問う傑作歴史小説と言える。


9.5 オウィディウス『変身物語』<上・下>中村善也訳、岩波文庫

オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)

オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)

 意外にも読みやすい
 ローマの詩人オウィディウス(全43-後18)が残した名作。変身をモチーフとする物語が大小合わせて250含まれているが、それぞれの神話が別の神話に繋がっているので思ったより読みやすく驚いた。血なまぐさい話も多いが、許されぬ恋に燃え上がり悩む男女の心情もリアルで面白かった。


9.0 永井豪デビルマン』<全5巻>講談社漫画文庫(漫画)

新装版 デビルマン(1) (講談社漫画文庫)

新装版 デビルマン(1) (講談社漫画文庫)

 やれることをやり尽くした傑作
 1972年から1973年に連載された漫画で、これは本当に傑作である。漫画を面白くするためならば手段を選ばず、許される限りの表現を徹底的にやり尽くしたと言えるし、それが文庫本で5冊という絶妙な短さで終わっているのも凄い。先の読めない展開や、残酷なドラマに戦慄を覚えるのはもちろんだが、とくに私には溌剌としたヒロイン美樹がいとおしく、他に取り替えのきかない唯一無二のヒロインだと感じる。ただそれだけに、私だったら美樹をこうはしない…とも思ってしまうが。


9.0 宮本百合子『二つの庭』

 正義感の強い女性は面白い
 著者の自伝的3部作である伸子シリーズの第2部をなす小説で(第1部は『伸子』、第3部は『道標』)、1949年にかけて発表された。伸子は結婚生活の破綻から親友の素子(モデルは湯浅芳子)と暮らすが、距離が近くなることによりかえってお互いにすれ違いが生まれるところが興味深い。また、『伸子』からも相変わらず母親との確執は続いており、「どうして私たちのことを小説に書くんだ」「もっと分かりやすい小説を書け」と言われるところは胸が痛くなる。もちろん、その親子喧嘩すら小説にしている宮本の覚悟は凄い。その他、母親の言うことをききすぎる弟を心配したり、進歩的な学者と言われながら女性を差別している男に怒りを感じたり、左翼運動のつもりで金をせびりに家を訪ねてくる貧乏学生を叱ったりと非常に面白い。私はこういう素朴なフェミニスト、素直な目で社会に矛盾を感じてしまう正義感の強い女性が大好きである。


9.0 マーガレット・ミッチェル風と共に去りぬ』<全6巻>荒このみ訳、岩波文庫

 不撓不屈の女
 南北戦争を舞台にした大河小説で、1936年に刊行。利発でプライドの高い女主人公スカーレットが、「女の身で出過ぎた真似を…」と周囲に非難され対立したり、融和したりを繰り返しながらしながらも力強く前に進んでいく様には感動する。異性をめぐる愛憎劇もさることながら、戦争の悲惨な実態も生々しく描かれていて迫力がある。終盤のスカーレットとバトラーの退屈な結婚生活は冗長に感じたが、それでも映画ともども傑作である。


9.0 ヴィクトル・ユゴーレ・ミゼラブル』<全4巻>豊島与志雄訳、岩波文庫

レ・ミゼラブル〈1〉 (岩波文庫)

レ・ミゼラブル〈1〉 (岩波文庫)

 大河小説
 ユゴー1862年に刊行した長編大河小説で、「ああ無情」の題でも知られる。パンを盗んだくらいのことがここまで悲劇になるのか、と思ってしまうがそれは置いておいて、主人公ジャン・バルジャンを中心としたキャラクターが当時の社会情勢に翻弄されるさまは面白く、人間の醜いところと美しいところを描ききっている。ジャン・バルジャンが孤児の少女コゼットと交流するのも胸を打つが、個人的にマリユスという青年に実らぬ恋をするエポニーヌの勇気に感動した。その他、著者の七月革命への熱い思い入れも伝わってきて読み応えがある。


9.0 E.M.フォースター眺めのいい部屋』北條文緒訳、みすず書房

眺めのいい部屋 (E.M.フォースター著作集)

眺めのいい部屋 (E.M.フォースター著作集)

 フォースターの入門
 1908年に刊行された小説。若い男女ジョージとルーシーの愛が英国の階級社会に翻弄される様が描かれており、とくにルーシーが旧来の価値観を守ろうか脱皮しようかとジレンマに陥り悩む様には引き込まれる。ハッピーエンドであるのもよく、社会の階級や障壁を考え続けたフォースターの入門に格好の小説と言える。新井潤美の『不機嫌なメアリー・ポピンズ』(平凡社新書)では『眺めのいい部屋』が平易に解説されているので合わせて読みたい。1985年にはジェイムズ・アイヴォリーによって映画化された。


9.0 E.M.フォースター『インドへの道』瀬尾裕訳

インドへの道 (ちくま文庫)

インドへの道 (ちくま文庫)

 異文化間のドラマ
 1924年に発表された長編小説で、英国の植民地だった頃のインドで巻き起こる2カ国の人間同士の交流と不和が描かれた名作である。もちろん、白人による偏見や問題点も暴かれるが、フィールディングという近代的で無神論者の白人男は魅力的で、友達になりたくなる。また、インド人同士の間でもヒンドゥー教徒イスラームだったりして対立している所もちゃんと描かれており、偏見の問題が重層的に捉えられている。ただ、英国人旅行者ミス・クェステッドが、主要キャラであるわりに存在感が薄く、終盤ではまるで悪者のような扱いになっているのは不満だった。『インドへの道』は1984年に映画化されているが(デヴィッド・リーン監督)、こちらはミス・クェステッドの人間としての魅力が伝わってくるし、彼女がインド人のアジズという男から手紙を貰うという感動的なシーンも挿入されているので大傑作である。


9.0 イーディス・ウォートン『エイジ・オブ・イノセンス』大社淑子訳、新潮文庫

エイジ・オブ・イノセンス―汚れなき情事 (新潮文庫)

エイジ・オブ・イノセンス―汚れなき情事 (新潮文庫)

 息をのむ美しさ
 女性作家イーディス・ウォートンの長編小説で、1921年ピューリッツァー賞を受賞。1870年代のニューヨークの狭い階級社会が、自由な精神を身につけたエレンと出会ったことにより動揺するさまが描かれるが、著者の階級社会の偽善性を喝破する筆致は楽しい。また、主人公の男アーチャーは上流階級出身であり、結局はエレンと擦れ違ってしまうのだが、この悲劇的な顛末が息をのむ美しさで描かれている。ただ、その分生々しい肉欲的な情感はあまり表現されないので、何か一つエロスがほしいとも思える。1993年にスコセッシによって映画化。


9.0 ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』新庄哲夫訳、フジ出版社

ケイン号の叛乱 (1970年)

ケイン号の叛乱 (1970年)

 映画共に傑作
 映画『ケイン号の叛乱』(エドワード・ドミトリク監督、1954年)の原作小説で、1951年刊行。太平洋戦争により主人公ウィリーはオンボロの掃海駆逐艦ケイン号に派遣された。ところで乗組員のウィリーや副艦長マリク達は、神経症的な艦長クイーグの常軌を逸した命令にいつも悩まされていたが、太平洋上の嵐を前にして副艦長はついに艦長の精神が錯乱したと判断し、クイーグを解任し自らを艦長とする叛乱を起こした。これがのちに軍法会議にかけられる騒動になり、死刑か無罪か…という闘争になる。映画も小説も共に面白く傑作であるが、とくに小説ではウィリーとイタリア系の恋人メイ・ウィンとの家柄の差や人種の問題などが掘り下げられているし、また映画では一切出てこなかった日本軍との対決も描かれている。全編通して戦争の捉え方が現実的であり、軍人を卑しめずかつ美化もしない筆致で、歴史小説としても楽しめる。
 ただ、結局ウィリーが恋人と結ばれるかどうか分からないオチは家柄の問題を棚上げしていて物足りないので、その分ハリウッド映画の明確なハッピーエンドはいい結末だと思う。


9.0 円地文子『虹と修羅』講談社文芸文庫

虹と修羅 (講談社文芸文庫)

虹と修羅 (講談社文芸文庫)

 優れた私小説
 円地文子の自伝的3部作の第3作目(1作目は『朱を奪うもの』、2作目は『傷ある翼』)で、1968年刊行。乳房の手術や子宮がんの手術をしても好きな男とセックスをするなど、中年女性の生々しい性欲に興奮した。また、成長してきた自分の娘の美子との間に確執がおこり、ときには物を投げ合うよう喧嘩にも発展するなど、家庭の不和をありのままに描いており壮絶で面白かった。
 

8.5 コデルロス・ド・ラクロ『危険な関係』<上・下>伊吹武彦訳、岩波文庫

危険な関係〈上〉 (岩波文庫)

危険な関係〈上〉 (岩波文庫)

 スリルと官能
 ラクロ(1741-1803)の書簡体小説で、1782年に刊行。復讐するために手を組んだ男女が純粋な少女を誘惑していくが、18世紀にして心理描写が緻密で官能的であり驚いた。書簡だけで構成された小説なので読みづらさはあるが、それぞれのキャラクターの性格がしっかり書き分けられているので、スリリングなドラマをしっかり演出できていると思った。


8.5 宮本百合子『伸子』新潮文庫

伸子 (新潮文庫 み 1-1)

伸子 (新潮文庫 み 1-1)

 素朴かつ理性的
 著者の自伝的3部作である伸子シリーズの第1部をなし、1924~1926年にかけて発表された。自由な精神を持って成長してきた若い主人公伸子は、旧来の価値観を有する母などと喧嘩し対立する。自分を押し通して周囲の反対をよそに結婚したものの、失望感を味合わされ離婚に至る。伸子の素朴な心と、恋愛結婚における理想や現実を冷静に考察する理性とが絶妙にマッチしていて面白かった。


8.5 佐多稲子『素足の娘』新潮文庫

素足の娘 (新潮文庫 さ 4-2)

素足の娘 (新潮文庫 さ 4-2)

 少女の性を扱った名作
 1940年に刊行された小説で、少女時代に播磨相生で父親と暮らしていたときのことが描かれる。東京から来た娘だということで男達の視線を感じたり、また逆に自分が男のことを気にしたりと麗しい心情が描かれる。また、父親や男性労働者と暮らしていた相部屋で自分一人だけになり、ふと性的に興奮してきて自分の体を触ったり、野外で処女を喪失する顛末が書かれていたりと生々しい性も描かれていて面白かった。


8.5 瀬戸内晴美『美は乱調にあり』岩波現代文庫

 大杉栄と共に殺された伊藤野枝の伝記小説
 著者は現在の瀬戸内寂聴で、1966年に刊行された。甘粕事件で大杉栄と共に殺された、雑誌「青鞜」の最後の編集者伊藤野枝の伝記小説で、神近市子との傷害沙汰にまで発展する愛憎劇には目を瞠るものがある。また伊藤野枝だけでなく、大正時代の作家・アナーキスト平塚らいてうなどの女性たちの理想や挫折が記録されており、それぞれ力強く生きていたことが伝わってきて読み応えがある。今の瀬戸内寂聴はともかく(作家の政治思想と作品の面白さは別けて考える必要がある)、これは名著である。


8.5 石ノ森章太郎『千の目先生』双葉文庫(漫画)

 女キャラが生き生きとしている
 実は超能力を持つ女教師の千草(ちぐさ)が、宇宙人の侵略から地球を守るというSF漫画で、1968年に連載。女性達の造形が美しいのはもとより、女学生達も一人一人が生き生きとして引き込まれる。ただ、壮大なスケールの話になるのかと思ったら小さくまとまってしまった感じはある。


8.5 白土三平『サスケ』<全15巻>小学館文庫(漫画)

 面白いが死にまくる
 1961年から1966年にかけて連載。少年忍者サスケの成長を描いた漫画で、基本的には人間が容赦なく死んでいく殺伐とした世界観だが、女キャラがそれぞれ可愛かったり色気があったりしてそこは楽しめる。4巻に出てくる、サスケの命を狙うがサスケに助けられてしまう鬼姫なんかもいとおしい。ただ、終盤はキリスト教などの宗教がテーマになってくるのが共感できなかったのと、ラストが悲惨すぎるのは勘弁してと思った。


8.5 吾妻ひでお失踪日記イースト・プレス(漫画)

失踪日記

失踪日記

 ホームレス生活
 2005年に刊行された、吾妻ひでお私漫画鬱病とアル中に陥った吾妻は山で自殺しようとするが失敗し、そのまま野外生活を始めた。ホームレスとしてしばらく暮らしていたが、金に困り身分を偽って配管工として働き、また「東英夫」という名前で漫画を描いて雑誌にも載ったが誰にも吾妻だとは気付かれなかったというから面白い。酷い体験であるはずなのに清々しいポップな絵で表現されているのでどんどん読み進むことが出来る。ところで、吾妻が明らかな浮浪者の格好をしていたとき、車に乗った謎のオヤジに「乗ってけよ 送ってやるからよ」と声をかけられたというエピソードは意図が分からなくて怖い。
 ただ、吾妻に迷惑をかけられ続けている奥さんを思うと気の毒ではある。奥さんがどう思っているのか、彼女に迫るシーンがあるとよかった。


8.5 三島由紀夫「サド侯爵夫人」

(イメージ無し)
 エロくて良い
 マルキ・ド・サドの妻ルネを主人公にした戯曲で、1965年発表。登場する女性たちは品があって物静かなのに、彼女らがグロテスクで過激な性行為の思い出話を淡々と口にして描写していくのは面白く、ギャップがあって興奮した。「悪徳というものは、はじめからすべて備わっていて何一つ欠けたもののない、自分の領地なのでございますよ」と、そこで展開される悪徳論も興味深い。新潮文庫には「わが友ヒットラー」が併録されているが、「サド侯爵夫人」のほうが断トツで面白い。


8.5 小谷野敦『非望』幻冬舎

悲望 (幻冬舎文庫)

悲望 (幻冬舎文庫)

 小谷野の意地
 小谷野が東大院生時代に好きになった女性を追い回してしまったことが書かれている私小説で、2007年刊行。女性がカナダに留学したので自分も留学するなど、目を覆いたくなるような体験を余すことなく白状していて圧倒される。もちろん著者は自らの過去を客観視して反省した上で小説を書いているので、ストーカー論としても読めると思う。小谷野は人の作品に容赦のない比較文学者・批評家だが、ちゃんと自分でも小説を書いて世に提示しているというのは偉いことだし、しかもできれば隠したいような過去を小説にしているのだから小谷野の意地が感じられる。一方で併録された中編「なんとなく、リベラル」は、小谷野の文学論や政治論を織り交ぜたもので主人公を女性にするなど虚構性が強く、つまらなくはないが「非望」のインパクトに比べると箸休めみたいに感じてしまった。


8.0 二葉亭四迷浮雲新潮文庫

浮雲 (新潮文庫)

浮雲 (新潮文庫)

 冴えなくて面白い
 1887年から1889年にかけて発表された長編小説で、日本の近代小説の始まりにも位置づけられる。序盤の語り口こそ装飾的で鬱陶しいが、その文体は次第に洗練され自然になっていく。うまく世渡りが出来ず復職できず女にもモテない主人公・文三は面白く、勝ち気で頭の良い従妹お勢も魅力的である。冴えない人間の片思いは面白い、というのはどの時代も一緒である。


8.0 広瀬正『エロス』集英社文庫

 愛のすれ違い
 早世したSF作家広瀬正(1924-1972)が1971年に刊行した小説。「もしもあのとき…していたら」という仮定のもと、すれ違った二人の男女の愛が平行世界で提示されている。娯楽的なSFでありながら、愛の擦れ違いが静謐に語られていて胸を打つ。また、昭和初期や二・二六事件の時代背景がしっかり描き出されているのもリアリティがあって良い。ただ、オチのブラックな感じは好みではなかった。


8.0 大塚ひかり『いつの日か別の日かーみつばちの孤独』主婦の友社

いつの日か別の日か―みつばちの孤独

いつの日か別の日か―みつばちの孤独

 度胸を感じる
 大塚ひかりがデビューしたエッセイで、1988年に刊行。うんこがでないので恋人に背中をさすって貰ううちにセックスになった、恋人に過去の女の写真を出させて彼から過去の女を否定させる言葉を引きだすまで粘るといった、恋人と付き合っていた頃の思い出から、男と別れた後も諦められずに新しい女が住んでいるという下北を徘徊した(p98)ことなど、大塚の痛切な思いが恥ずかしいところも含めて吐露されていて度胸を感じた。「かなりのトシで独身で、しかもキレイな女がいたならば、“かげの男”が必ず彼女をたっぷりかわいがっていると思っていい」(p41)という提言など、大塚の洞察力が既に鋭いことも伺い知れる。
 ところで大塚はライター時代、編集長に命令され、男女混浴風呂で男の作家の背中を流したりしたというが(p173)、現代ではアウトだから驚いた。


8.0 司馬遼太郎空海の風景』<上・下>中公文庫

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

 客観的な筆致がいい
 空海を扱った歴史小説で、1975年刊行。まるで歴史学者のように資料を検証するスタイルで、事実は事実として書き出し、よく分からない所については作者が注釈をしながら想像を膨らませる。分からないことが多い古代の人物を、客観的な筆致を持って浮かび上がらせていて面白い。ただ、司馬は科学と宗教がどちらが本物かは分からず誰にも「回答を出す資格を持たされていない」(p109、上巻)と言うが、なぜ著者にはそんなことを言う資格があるのか分からない。科学と宗教では科学が勝ったのは事実である。


8.0 吾妻ひでお『アル中病棟 失踪日記2』イースト・プレス(漫画)

失踪日記2 アル中病棟

失踪日記2 アル中病棟

 アル中の怖さ
 漫画『失踪日記』の続編で、2013年刊行。アル中を直すために入院した時の闘病生活が描かれている。病院の方針でなぜかアル中患者は途中から精神疾患の人達と一緒に生活せねばいけなくなるが、便座にうんこが塗られるなどとても共同生活が出来なくなったという。物語としてのインパクトは『失踪日記』に比べると欠けるが、退院したと思ったらまた酒を飲んで死にそうになる患者が何人も居たりと、アル中の怖さは認識できる。これ以降吾妻は酒を一滴も飲めなくなったが、吾妻がまだ生きているということはちゃんと酒をやめているということだろう。


8.0 佐々木守小島剛夕『一休伝』<上・中・下>講談社(漫画)

 面白いが妻子を捨てるのは酷い
 1989年から1990年に刊行された漫画。天皇の私生児だったとされる一休の、偽善を拒否する生き様を力強く描いており、また彼に関係する女たちにも官能的な魅力があっていい。水・風・煙や、風に揺れる木々などの絵の迫力もある。ただ、一休は「あえて地獄に入るため」妻子を捨てるのだが、妻子にしてみたら堪ったものではないし、妻子を捨てる言い訳にしか聞こえない。


8.0 ポール・ギャリコ『七つの人形の物語』矢川澄子訳、王国社

七つの人形の恋物語 (海外ライブラリー)

七つの人形の恋物語 (海外ライブラリー)

 『リリー』の原作
 人形を通してでないと人に気持を伝えられない人形遣いの男コックと、金も仕事もなく死のうと思っていた若い女性ムーシュが織りなす屈折した愛が描かれており、ミュージカル映画の傑作『リリー』(1953年)の原作である。ムーシュの純粋な心が、女嫌いの捻くれたコックを変えていく様は感動的だが、しかし小説では男のDVや暴力が酷すぎて感情移入しにくいのが欠点だと思った。まずは映画を薦めたい。


7.5 円地文子『傷ある翼』新潮文庫

傷ある翼 (1964年) (新潮文庫)

傷ある翼 (1964年) (新潮文庫)

 女の生々しい情感
 円地文子の自伝的3部作の第2作目(1作目は『朱を奪うもの』、3作目は『虹と修羅』)で、1962年刊行。主人公滋子は愛していない男と結婚したので、普段から夫のことを嫌っているが、夫が職場で色恋沙汰を犯してしまい、滋子は社会的な地位を失いたくないので夫の味方をしてしまう。また、他の男に惹かれる女の生々しい情感などが描かれていて引き込まれた。ただ、第二次世界大戦が物語に効果的に絡んでいるとは思えなかった。小椋という男が満州人に撲殺されるが、主人公とそんなに接点があったわけでもないし感情を揺さぶられなかった。


7.5 安野モヨコ『監督不行届』祥伝社(漫画)

監督不行届 (FEEL COMICS)

監督不行届 (FEEL COMICS)

 庵野との結婚生活
 安野モヨコが夫・庵野秀明との結婚生活を漫画にしたもので、2005年刊行。オタク夫婦同士の変なノリやルールは小っ恥ずかしいが面白く、また夫の風呂嫌いなところや一度服を着たら着っぱなしになるところを突き放さず、ちょっとずつ改善させていく妻には愛を感じる。ただ、なぜか著者は自分を赤ちゃんの姿で描いているが、わざとそうしているとはいえデザインが好みではなかった。


7.5 P.L.トラヴァース『風にのってきたメアリー・ポピンズ』林容吉訳、岩波少年文庫

風にのってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫)

風にのってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫)

 読み応えがある
 1934年に刊行された児童小説で、メアリー・ポピンズの第1作。ナニー(乳母)のメアリー・ポピンズは不思議な力を持っていて、例えば明らかに空からやって来たのに、子供達に不思議がられると「そんな訳ないでしょう!」「ありえません!」と急にツンと叱ったりするなど面白いし、妙に色気がある。新井潤美が『不機嫌なメアリー・ポピンズ』(平凡社新書)で述べるように、英国のナニーという乳母のありかたや階級問題が作品に反映されており、児童文学だが読み応えがある。


7.5 三島由紀夫「熱帯樹」

(イメージ無し)
 女性蔑視的だが面白い
 1960年発表の戯曲。夫を殺そうと目論む妻・母子との近親相姦・兄妹との近親相姦など、ギリシア悲劇のテーマをうまく日本に翻案している。妻を悪く描きすぎるという女性蔑視はあるものの、ドラマとしては楽しめる。息子の勇が衣装箪笥を開けて母親の着物をひっぱりだし、匂いを嗅いで自慰をするシーンなどは背徳的なエロさがあり印象に残った。


7.0 P.L.トラヴァース『帰ってきたメアリー・ポピンズ』林容吉訳、岩波少年文庫

帰ってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫 53)

帰ってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫 53)

 幻想的だがリアリティもある
 『風にのってきたメアリー・ポピンズ』の第2作で、1935年刊行。子供の身に不思議なことは起こっても、今のは「夢だったかもしれない」という保留が付くなどリアリティがある。「なんだって永久につづくものは、ありません」というような何気ないメリー・ポピンズの大人な言葉には掴まれる。ただまあ、前作の方が面白かった。


7.0 『ソーントンワイルダー戯曲集3 結婚仲介人』水谷八也訳、新樹社

結婚仲介人 (ソーントン・ワイルダー戯曲集)

結婚仲介人 (ソーントン・ワイルダー戯曲集)

 生き生きと喋っている
 1954年に発表された戯曲。ト書きが少なく、キャラクターが生き生き喋っていて面白い。が、ファルス(笑劇)なのでプロットが練ってあるとは言い難い。主人公ドーリーがどうしてケチな男ホレスのことが好きなのかという心情が掘り下げられているともっと面白くなるが。


7.0 ホメロスイリアス』(上・中・下)呉茂一訳、岩波文庫

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

 戦闘しっぱなし
 紀元前8世紀中頃に書かれたといわれるホメロスの長編叙事詩。戦闘シーンや人間が殺される描写は生々しいが、いかんせん3巻ずっと戦闘をやりっぱなしなので飽きてしまう。ギリシアの古典は一読の価値があるが、私は『オデュッセイア』の方が面白かった。


7.0 小谷野敦『美人作家は二度死ぬ』論創社

美人作家は二度死ぬ

美人作家は二度死ぬ

 虚構小説の難しさ
 2009年に刊行された小説。「もし樋口一葉が夭折しなかったら」というアイデアは面白く、著者の比較文学者としての教養が発揮されていて説得力もある。が、主人公の女学生の魅力がイマイチ伝わってこない。男性目線にならないように、女性に配慮しているのは分かるが、生き生きしていないと思った。男が女を主人公に据える場合、漫画や映画に比べて文学だとより粗が見えやすいのかもしれない。


7.0 津本陽『弥陀の橋は―親鸞聖人伝』<上・下>読売新聞社

弥陀の橋は―親鸞聖人伝 (上) (文春文庫)

弥陀の橋は―親鸞聖人伝 (上) (文春文庫)

 上巻は面白い
 津本陽(1929-)が親鸞を描いた小説で、2002年に刊行された。親鸞が旧来の僧侶や仏教に偽善を感じて反発したり、流刑になってもしぶとく生きる様は面白い。時代背景も生々しく描かれており、鎌倉時代の飢饉では「生まれた子を祖父母が涙をふるい膝頭で圧し殺し、口減らしをすることもめずらしくなかった」(p383)というから怖い。ただ、後半は抽象的な仏教の思索が多くなり退屈した。著者は、「肉体が元素に帰ったのち、そこに宿っていた心が消耗した電池のように無に帰すると、どうしても思えない」(p327)と語るなど宗教的な人間だが、私は無宗教なので入り込めなかった。


7.0 ヴィクトル・ユゴーノートル=ダム・ド・パリ』<上・下>辻昶、松下和則訳、岩波文庫

ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)

ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)

 片思いは面白いが散漫
 1831年に刊行された小説で、『ノートルダムのせむし男』の題でも知られる。詩人のグレゴワール、女嫌いの司教補佐フロロ、そして醜い鐘番のカジモドが皆、同じエスメラルダというジプシー女を好きになるが、それぞれうまくいかず片思いなのが面白い。ただ、主人公が絞りきれず散漫になっている。また、エスメラルダが恋する男フェビュスは嫌なやつだし、結局彼女は絞首刑になるので後味が悪い。


6.5 井上靖天平の甍』新潮文庫

天平の甍 (新潮文庫)

天平の甍 (新潮文庫)

 鑑真の来朝
 1957年に刊行。鑑真の来朝を描いた歴史小説で、もちろんドラマになっていて読まされるし、何度渡航を失敗しても船を差し押さえられても挫けない鑑真には驚かされる。が、この本で描かれるのは男の僧と僧のつながりであり、女が全く出てこないホモソーシャル的な世界に私は共感しきれなかった。


6.5 立松和平『遠雷』河出文庫

遠雷 (河出文庫 132A)

遠雷 (河出文庫 132A)

 殺人犯のバックボーンがない
 1980年刊行。まあまあ面白いが、映画(根岸吉太郎監督、1981年)が小説を忠実に再現しているので映画を観れば充分、という気もする。あと映画でもそうなのだが、殺人を犯してしまう公次(主人公満夫の親友)のバックボーンがよく分からないので、殺人を犯されても感情移入できない。
 ところで、異性の陰毛を財布に入れたり、柱に貼ったりして商売繁盛を願うなど(p269-270)、田舎の性の認識が覗けるのは面白い。


6.5 福永武彦「廃市」

(イメージ無し)
 短編向きのテーマではないのでは
 映画『廃市』(大林宣彦監督、1983年)の原作短編小説。愛する心がすれ違う悲劇はヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』を思わせるが、扱っているテーマのわりに紙片が少なく物足りない。映画はこの短編を上手く膨らませたと言える。


6.5 ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ美女と野獣』藤原真実訳、白水社

美女と野獣[オリジナル版]

美女と野獣[オリジナル版]

 なかなか心情がリアル
 1756年刊行。王子はよぼよぼの老女の妖精にプロポーズされるが振ったところ、怒った妖精に野獣に変えられてしまうのだが、変身の経緯に女の情念が絡んでいて面白い。また、醜い姿の野獣になかなか心を許せないベルの心情はリアルで、容姿により格差が生まれてしまう現実を描いているようにも思える。ところで、野獣が王子に戻った後、ベルの身分も実は王女だったことが判明するのは都合が良すぎるし、後半はドラマがなくて残念だった。


6.0 井上ひさし「日本人のへそ」

 政治的には同意するが
 1969年に発表された戯曲で、1977年に映画化(須川栄三監督)。天皇制をホモソーシャルと絡めるなど、著者の政治的な認識には同意できるが、主人公の女性にイマイチ主体性がなく、また彼女が惚れた詐欺師の男の魅力もよく分からない。映画を見ればいい。


6.0 倉田百三親鸞』中公文庫BIBLIO

親鸞 (中公文庫BIBLIO)

親鸞 (中公文庫BIBLIO)

 読みやすいが終盤が蛇足
 倉田百三(1891-1943)が親鸞を描いた小説で、1940年に刊行された。読みやすく親鸞の入門にはいいが、親鸞と息子の善鸞が和解するのは創作だろう。ところで、親鸞が長い行脚を終えて京都に帰ってから、なぜか弥女という下女が主人公になり話が進むが、ここが面白くなかった。


6.0 マリヤ・トラップ『サウンド・オブ・ミュージック』中込純次訳、三笠書房

サウンド・オブ・ミュージック

サウンド・オブ・ミュージック

 言うほど激動の人生か?
 マリヤ・トラップが1949年に発表した自叙伝で、映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)の原作。トラップ一家が米国に渡りコンサートを開こうとした際、マリヤには「セックスアピールがないから人が集まらないのではないか」と言われたエピソードなどは面白いが、基本的には戦争から逃れて欧州から米国にやってきた平均的な移民の一例に過ぎないのではないか。この原作を巧みに脚色した映画をお勧めしたい。


6.0 江戸川乱歩『黒蜥蜴』創元推理文庫

黒蜥蜴 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

黒蜥蜴 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

 乱歩唯一の女賊もの
 1934年に発表された探偵小説。『黒蜥蜴』は江戸川乱歩の小説では唯一女賊もの(p246)というが、女盗賊・黒蜥蜴には色気があっていい。しかし、それぞれのトリックには無理があり白けてしまうので、現代の目から見て質の高いサスペンスとは言えないだろう。また、明智小五郎が自分の身代わりとして松公という男を見殺しにするシーンがあるのは探偵としていいのかと思う。


6.0 三島由紀夫『黒蜥蜴』祥伝社

黒蜥蜴―戯曲 (1969年)

黒蜥蜴―戯曲 (1969年)

 色気があるのはいい
 江戸川乱歩の小説『黒蜥蜴』の戯曲化で、1961年発表。黒蜥蜴が明智小五郎に恋愛感情のようなものをもつと、黒蜥蜴の部下の雨宮が嫉妬するのは面白い。ただ、サスペンスのアイデアや物語は乱歩より多少新しくなったというくらいで、原作を超えたとまでは思えなかった。


6.0 山田太一異人たちとの夏新潮文庫

異人たちとの夏 (新潮文庫)

異人たちとの夏 (新潮文庫)

 ホラー小説
 映画『異人たちとの夏』(大林宣彦監督、1988年)の原作小説で、1987年刊行。両親の霊との交流などつまらなくはないが、終盤の愛憎シーンでは映画の演出の方が優れていると思った。


5.5 ガストン・ルルーオペラ座の怪人三輪秀彦訳、創元推理文庫

 爆破テロ
 1909年に発表されたゴシック小説。意外とちゃんとしたミステリーで、砂が敷き詰めてある鏡張りの部屋に人間が閉じ込められるシーンは興味深いし、怪人が劇場の下に大量の火薬を仕掛けて爆破しようとするさまは凶悪テロの先取りにも思える。ただ文庫本で450ページもあって長く、そのわりにクリスティーヌなど女性キャラの心情が掘り下げられず不満が残る。


5.5 ウィリアム・メイクピース・サッカレーバリー・リンドン』角川文庫

 映画の方は傑作
 映画『バリー・リンドン』(キューブリック監督、1975年)の原作小説で、1844年刊行。成り上がりの主人公バリーの一人称小説で、死んだ兵士の肩章を味方がむしり取るなど生々しい戦争の描写は面白い(p117)が、自分より下の階級を蔑視する発言が多く入り込めなかった。また、サッカレー自身がギャンブル中毒だったためか(p513、訳者あとがき)、賭け事をするシーンが長くしつこかった。映画はこの小説の筋をうまく改編し、映像化したと言える。


5.0 バーナード・ショーピグマリオン』小田島恒志訳、光文社

 ハッピーエンドでいいのに
 1913年に刊行された戯曲で、映画『マイ・フェア・レディ』の原作。上流階級出身のヒギンズはマザコンで女嫌いの言語学者で、イライザは労働階級の花売りの娘だが、映画とは違い二人は結ばれない。ショー自身は「彼女〔イライザ〕にとって彼〔ヒギンズ〕はあまりにも神のごとき存在であり、到底つき合えるものではない」(263p)と言っているが、神と言われてもちょっと共感できない。しかもこの言い方だと、ヒギンズのような傲慢な上流階級を批判しているわけでもない。ヒギンズは上流階級でイライザは労働階級だが、二人が結婚して「大きな階級を超えた恋が実る」というラストでも充分階級問題を視野に入れた作品になるのだから、ハッピーエンドにしていいのではないか。映画『マイ・フェア・レディ』は傑作。


5.0 ショラム・アレイヘム『屋根の上のバイオリン弾き南川貞治訳、早川書房

屋根の上のバイオリン弾き (ハヤカワ文庫 NV 44)

屋根の上のバイオリン弾き (ハヤカワ文庫 NV 44)

 宗教色が強い
 映画『屋根の上のバイオリン弾き』の原作小説で、1894年発表。娘を嫁に出す父親の心境と、社会の近代化に直面する彼の不安が描かれているが、映画以上に父親の敬虔なユダヤ教徒ぶりが強調されるなど宗教色が強く共感しかねるところもある。


5.0 赤川次郎『ふたり』新潮文庫

ふたり (新潮文庫)

ふたり (新潮文庫)

 彼氏に魅力を感じない
 1989年に刊行された小説で、映画『ふたり』(大林宣彦監督、1991年)の原作。だが、小説では主人公・実加に哲夫という恋人がすんなりできてしまうので、少女のウジウジした心が表現されないし、しかも哲夫のバックボーンも提示されないのでこの男に魅力を感じなかった。映画の方が断然面白い。


5.0 シェイクスピア『新訳 ロミオとジュリエット河合祥一郎訳、角川文庫

新訳 ロミオとジュリエット (角川文庫)

新訳 ロミオとジュリエット (角川文庫)

 有名だが
 1597年に刊行された戯曲。しかし、ロミオもジュリエットも一目惚れで相思相愛になるだけで丁寧な恋愛描写は無いから、読んでいても二人の人間としての魅力が伝わってこない。また、二人が死ぬことで両家が仲直りする、というのも楽観的で腑に落ちなかった。


5.0 ロアルド・ダールチョコレート工場の秘密』1964年柳瀬尚紀訳、評論社

チョコレート工場の秘密 (ロアルド・ダールコレクション 2)

チョコレート工場の秘密 (ロアルド・ダールコレクション 2)

 冒頭は面白いが
 1972年に刊行された小説。冒頭の、チョコレートの当たりを引くために試行錯誤する人々を見るのは面白いが、工場主ワンカのバックグラウンドは描かれず、ミステリアスな魅力もない。子供を工場の跡継ぎにする理由も、「大人は、わたしの言うことを聞かない。学ぼうとしない。自分のやり方でやろうとする、わたしのやり方ではなく。だから、子供でなくちゃならんのです。わたしは、ものわかりのいいかわいい子がほしいのです」(p253)と子供を買いかぶりすぎていて共感できない。2005年の映画『チャーリーとチョコレート工場』に乗り越えられている。


5.0 ジーン・ウェブスターあしながおじさん』松本恵子訳、新潮文庫

あしながおじさん (新潮文庫)

あしながおじさん (新潮文庫)

 少女の視点は面白いが
 1912年に発表された児童文学。孤児の少女ジーンのみずみずしい感性と、社会の矛盾を突くするどい近代的な視点は面白い。貧しき者がこの世にあるのは我々をして常に慈善を行わしめんとする神の意志である、という聖書の言葉に対しても「これじゃあ、まるで貧乏人は役に立つ家畜同様ではございませんか!」と宗教を批判する姿勢はまともである。しかし、とくにドラマもなく退屈であることは事実である。あしながおじさんのバックボーンもなく人間性が浮かび上がってこないのも問題ではないか。


4.5 近藤聡乃『A子さんの恋人』<1~4巻(連載中)>エンターブレイン(漫画)

 男が描けていない
 けいことあいこのモテない女同士の奇妙な友情など女キャラは面白いが、男キャラは全て恋愛可能なモテ男やチャラ男として描かれており全然共感できない。男の人間性が表面的にしか捉えられていないので、その男達が惚れる主人公のA子の魅力もあまり伝わってこなかった。


4.5 三島由紀夫「十日の菊」

(イメージ無し)
 自殺の美化
 1961年発表の戯曲。政治家の妾になっている母親の裸を息子が目撃し、その裸に唾を吐きかけるなど目を瞠るシーンはあるが、いかんせん「自殺すること」を美化しているので高評価はしかねる。


4.0 シェイクスピア恋の骨折り損小田島雄志訳、白水uブックス

 女が気になる心は分かるが
 1595~96頃に発表された戯曲。勉学のために女を遠ざけようとしても女のことが気になる、という男心には共感するが、全体として何を言いたのかは分からない。男女の仲が結局どうなるのか不明瞭なのも物足りない。


4.0 シェイクスピア『じゃじゃ馬馴らし』松岡和子訳、ちくま文庫

じゃじゃ馬馴らし シェイクスピア全集20 (ちくま文庫)

じゃじゃ馬馴らし シェイクスピア全集20 (ちくま文庫)

 妻の「調教」
 1594年頃に発表された戯曲。夫(ペトルーチオ)が頭の良い妻(キャタリーナ)を「調教」する話で、前半のキャタリーナの生き生きした舌鋒は面白いが、夫は妻に食事を与えず眠らせないなどの措置を講じており魅力的だった舌鋒もなくなる。400年以上前の作品とはいえ大丈夫なのかと思ってしまう。


4.0 水上勉飢餓海峡新潮文庫

飢餓海峡 (上巻) (新潮文庫)

飢餓海峡 (上巻) (新潮文庫)

 長い
 1963年に刊行された推理小説で、700ページあるが長い。無実の人を2人殺している犬飼には同情できないし、刑事の人物像も平凡でバックボーンも詳しく描かれないので、ドラマや感動も感じなかった。唯一私が感情移入が出来た売春婦も中盤で死んでしまう。飢餓海峡は映画を観ればいいだろう。


4.0 フランク・ボーム『オズの魔法使い』幾島幸子訳、岩波少年文庫

オズの魔法使い (岩波少年文庫)

オズの魔法使い (岩波少年文庫)

 映画を見れば足りる
 1900年刊行の童話。オズという名の魔法使いが実は地上から気球で迷い込んできた男だった、というのは宗教と距離を置いているように読めるからいいが、基本的には忠実に再現された映画を見ればい足りるだろう。


4.0 三島由紀夫『朱雀家の滅亡』河出書房新社

朱雀家の滅亡

朱雀家の滅亡

 エウリピデスの翻案
 エウリピデスの戯曲「ヘラクレス」を日本の第二次世界大戦下に翻案した劇で、1967年に発表。まあ筋だけ見ればつまらなくないし、三島が読者に天皇主義や身分制を押しつけているとまでは言えない。しかし、近代的な考えをもつ女中おれいへの扱いが悪く、防空壕に逃げ込んだのに死んでしまうのは酷いと思った。


3.5 三島由紀夫命売りますちくま文庫

命売ります (ちくま文庫)

命売ります (ちくま文庫)

 女が官能的なのはいいが
 1968年刊行の小説。「静脈より動脈に噛みつきたい」という女など、官能的な女が出てくるので興奮できるが、主人公の羽仁男は基本的に「死にたい」と思っている人間なので感情移入は出来ない。感情が死んでいる羽仁男は女性にフラれても「何ともなかった」(p40)というが、私は何ともないことはない。また、庶民の生活が「ゴキブリの生活」(p205)と表現されるが、全体的にインテリが庶民を見下しているようなトーンで書かれていて腑に落ちなかった。


3.0 ロベール・トマ「八人の女」

現代フランス戯曲名作選―和田誠一翻訳集

現代フランス戯曲名作選―和田誠一翻訳集

 趣味が悪い
 映画『8人の女たち』(2002年)の原作で、1962年発表。8人の女達が1人の男をめぐって小競り合いをする話で、全体を通して女性嫌悪的というか、「女ってこんな嫌なところがあるんだよ」ということを言いたいために作品を作ったとしか思えない。ミステリーにはなっているが、ちょっと趣味が悪いと思う。 


3.0 吉川英治親鸞』<全3巻>、講談社

親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

親鸞(一) (吉川英治歴史時代文庫)

 長すぎる
 1938年から48年にかけて発表された親鸞の生涯を描いた小説だが、長すぎて退屈である。終盤に、DV夫が親鸞の教えに感動して反省する場面が出てくるが、酷いDVを振るわれていた妻が簡単に夫を許すのは腑に落ちないし、夫を責めたほうがいい。宗教の「許し」の限界である。親鸞の小説は津本陽『弥陀の橋は』を読めばいいだろう。


3.0 チャールズ・ディケンズ『オリヴァ・トゥイスト』<全2巻>北川悌二訳、三笠書房

オリヴァー・ツイスト (新潮文庫)

オリヴァー・ツイスト (新潮文庫)

 名作だとは思わない
 1837年から39年にかけて発表された小説。ただ、話の筋に矛盾や無理がある。スリに深入りしていないオリバーをスリ仲間がしつこく必死に捕まえようとするのはおかしい。オチも、オリバーの生れは結局良かったことが強調されるだけだし、とくに名作だとは思わなかった。


2.5 陳舜臣曼陀羅の人』<上・中・下>徳間文庫

 虚構が浮いている
 空海が留学生として唐に渡った時の記録をもとにした歴史小説で、1984年刊行。しかし、事実の記録に対して作者が想像したドラマが浮いている。全3巻というのも長く退屈で、司馬遼太郎の『空海の風景』を読んだ方がいい。


2.5 ジェームズ・バリ『ピーター・パン』厨川圭子訳、岩波少年文庫

ピーター・パン (岩波少年文庫)

ピーター・パン (岩波少年文庫)

 語り口は現代的だが
 元々戯曲として作ったものを1906年に小説として刊行。作者の語り口は現代的だが、ウェンディの弟たちが「イギリス王万歳!」と叫ぶ(272-273p)などディズニー映画とは違い身分制の肯定があり、またティンカーベルが爆死するので可哀想である。フックがピーター・パンの命を狙う理由も「ピーターのなまいきな性質のため」(240p)というだけなので弱い。
 ところでピーター・パンが読者に向かって「妖精を信じている子供は拍手をしてください」と呼びかけるシーンがあるが、黒澤明の『素晴らしき日曜日』(1947年)を思い出す演出であった。


2.0 モルナール・フェレンツ『リリオム』徳永康元訳、岩波文庫

リリオム (岩波文庫 赤 771-1)

リリオム (岩波文庫 赤 771-1)

 DVの肯定
 映画『回転木馬』(1956年)の原作戯曲で、1909年刊行。だが、映画以上に主人公の男が妻子の暴力を振るう。しかも、妻子が男にぶたれても「痛くない」ということが強調されるが(p162)、このDVを肯定したかのようなメッセージにはやはり変である。ちなみに作者のモルナール(1878-1952)はハンガリーのユヤダ系の作家(ハンガリーでは日本と同じく上が名字で下が名前)。


2.0 三島由紀夫「女は占領されない」

(イメージ無し)
 反米思想を代弁しているだけ
 1959年発表の戯曲。米軍に占領される日本を「女」に例えるだけの、三島の政治思想を代弁する作品にしか思えず退屈である。この劇では、日本の未来が米軍に全て委ねられているかのような大げさな筆致だが、そうすることで読者の反米感情を煽りたいだけだろう。「身分!身分なんて!アメリカにそんなものがありますか」(p44)と言う米国人のハリスンは良かった。


2.0 三島由紀夫「恋の帆影」

(イメージ無し)
 殺人の動機が不明
 1964年発表の戯曲。主人公のみゆきは、かつて男を湖に落として殺したことがあるというのが話の肝だが、抽象的な動機しかないので(男に愛の告白をされたのが許せなかったというだけ)、とくに共感できず入り込めなかった。


2.0 チャールズ・ディケンズ『クリスマス・カロル』村岡花子訳、新潮文庫

クリスマス・カロル (新潮文庫)

クリスマス・カロル (新潮文庫)

 単なるおとぎ話
 1843年刊行。金貸しの金持ちスクルージが改心することで町に平和が訪れるという内容だが、紙片が少ないので彼が唐突に心変わりした印象を受ける。また、そもそも金持ちが一人改心したくらいでは世の中が良くなるわけがないのであり、階級問題を射程に入れていないので単なるおとぎ話にとどまる。


2.0 ベルトルト・ブレヒト三文オペラ千田是也訳、岩波文庫

 全員嫌なやつ
 1928年に発表された著名な戯曲だが、登場人物が全員極端に嫌なやつなので人間を描いておらず感情移入が出来ない。世の中の悪を暴きたいという著者の左翼的なイデオロギーが濃すぎて面白くなかった。


2.0 メリメ『カルメン』 杉捷夫訳、岩波書店

カルメン (岩波文庫 赤 534-3)

カルメン (岩波文庫 赤 534-3)

 悪人への同情
 1845年発表。主人公のスペイン旅行者の男は盗賊や殺人犯に同情的であるので共感できないし、作中で扱われる情事による殺人にも関心が持てない。なぜ有名なのかよく分からない小説だと思った。


2.0 メーテルリンク『青い鳥』堀口大學訳、新潮文庫

青い鳥 (新潮文庫 メ-3-1)

青い鳥 (新潮文庫 メ-3-1)

 内向きな童話
 1908年発表の有名な童話だが、オズの魔法使い(1900年刊行)のように冒険しても何だかんだ「おうちが一番」という内向きな話。訳者の堀口はあとがきで、「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです」(238p)というが、貧乏な家庭やDV・虐待で苦しむ家庭の中から万人のあこがれる幸福が見つかるとは思えない。『青い鳥』を読んだだけではメーテルリンクノーベル賞を受賞できた理由は私にはちょっと分からない。


2.0 ロアルド・ダール『おばけ桃が行く』柳瀬尚紀訳、評論社

おばけ桃が行く (ロアルド・ダールコレクション 1)

おばけ桃が行く (ロアルド・ダールコレクション 1)

 ジャイアント・ピーチ』の原作
 1961年発表の童話で、映画『ジャイアント・ピーチ』(1996年)の原作。しかし原作では、蜘蛛の女が他の虫に嫌われていないなど、いまいち設定を生かせていない。映画の方が面白い。


1.5 ジェイムズ・ヒルトン『チップス先生、さようなら』白石朗訳、新潮文庫

チップス先生、さようなら(新潮文庫)

チップス先生、さようなら(新潮文庫)

 パブリック・スクールの美化
 1934年に発表された小説。女に興味の無いパブリック・スクールの教師チップスが主人公で、女にしか興味の無い私にはまず共感できないが、そのくせチップスは女に惚れられて結婚できるのだからムカついてしまう。チップスの妻子は戦争で死ぬが、どうやって死んだのかも分からないままで扱いが悪い。また、パブリック・スクールといえば虐めや体罰が横行していた体育会系の場所だが(新井潤美パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』に詳しい)、虐めで悩む子供も出てこず美化されて描かれていて嫌である。


1.5 山田宗樹嫌われ松子の一生幻冬舎

 リアリティがない
 2003年に刊行された小説。平凡で真面目な女教師・松子の身に次々と不幸な事件が舞起り、ソープ嬢に落ち、男を殺すに至る話だが、機械的なストーリー展開なので松子達キャラクターの心情にリアリティが感じられない。骨壺が「ことり」と鳴って死者の意志が示されるといったオカルト演出もあり、映画以上に馬鹿馬鹿しいと思った。


1.5 アニタ・ルース『紳士は金髪がお好き常盤新平訳、大和書房

紳士は金髪がお好き (1982年)

紳士は金髪がお好き (1982年)

 主人公が嘘くさい
 1925年に刊行された小説。作者のアニタ・ルースは黒髪女性だが、序文で彼女は「同じくらいのルックスでも自分より金髪の女の方が男に優遇されている」「私の方が教養もあるのに」と漏らすのは面白い。しかし小説自体はつまらなかった。主人公を金髪女にしていて、嘘くさいからである。作者と同じ黒髪の女を主人公に据えて、その女から見える世界を描写すればリアリティも出るし面白かったであろうに、失敗作である。


1.5 斉藤憐『上海バンスキング』而立書房

上海バンスキング

上海バンスキング

 ジャズが好きな人向け
 1980年刊行。戦時中に上海にやって来た日本人ミュージシャンらが主人公だが、深作欣二の映画同様、第二次世界大戦下の日本の植民地政策を何となくリベラルに批判しているだけのように思える。ジャズが好きな人には面白いのだろうか?


1.0 三島由紀夫「わが友ヒットラー

(イメージ無し)
 女性が出てこない
 1968年発表の戯曲。ヒトラーを親友だと信じていたのに裏切られ殺された軍人エルンスト・レームを讃える劇で、三島はこの劇でヒトラーを讃えているわけではない。レームは「人間の信頼だよ。友愛、同志愛、戦友愛、それらもろもろの気高い男らしい神々の特質だ。これなしには現実も崩壊する。従って政治も崩壊する」と言うが、この場合の「人間」は男性しか指さないわけで、いかにも古代ギリシアのようなホモソーシャルが目立つ。ヒトラーどうこうよりまず、私は女性を蔑視する姿勢に共感できない。


1.0 三島由紀夫『癩王のテラス』中公文庫

 君主制とオカルト
 1969年刊行の戯曲。カンボジアの慈悲深い王が主人公だが、とくに面白いところはない。ラストは王の「肉体」と「精神」が語り合うなどオカルトな展開になる。本当に慈悲深いなら身分制はなくした方が良いのではないか。


1.0 三島由紀夫『喜びの琴―附・美濃子』新潮社

 オカルトの肯定
 「喜びの琴」「美濃子」共に1964年に発表された戯曲。「喜びの琴」は警官や右翼・左翼活動家が出てくるが、未来のビジョンのない破壊衝動やテロ行為を讃えているので賛同できない。「美濃子」は愚連隊のリーダー豊が巫女の美濃子に惚れたことで改心するという話だが、神道を讃えているだけの宗教プロパガンダに思えた。二人が雷に打たれて死ぬと登場人物が「二人は今、神になった」と言うがそんな訳はなく、オカルトの類いだろう。
 

1.0 十返舎一九『現代語訳 東海道中膝栗毛』<上・下>、伊馬春部訳、岩波現代文庫

 何が面白いのか
 1802年刊行。弥次さん喜多さんという男二人が飲んでは女に惚れられるが、女の描き方が一辺倒で深みがなく、何が面白いのか全く分からない。弥治は妻が働いて得た金まで遊びに使い、服も食べ物もろくに与えないまま妻を死なせた(p164-165)というし酷い。訳者の後書きでは、この物語は金持ちの道楽息子の弥次が財産を使い果たし、同性愛の相手であった若衆・喜多と駆け落ちした話だというので、ホモ関係に興味の無い私にはそりゃあ理解できないと思った。


1.0 パトリック・デニス『メイムおばさん』上田公子訳、角川文庫

メイム叔母さん (1956年)

メイム叔母さん (1956年)

 なぜか売れた
 1955年刊行された小説。身寄りを無くした少年が変わり者の叔母に引き取られる話で、戦後米国でそこそこ売れたようだが面白くない。全体的に日本人の下男イトウを差別口調に描いているのも嫌である。引き取ったイギリスの戦争孤児達にイトウが苛められ、古い奴隷部屋に彼をつなぎ足を三カ所骨折させられた(p352)というが犯罪だろう。


0.5 サン=テグジュペリ星の王子さま内藤濯訳、岩波書店

星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

 私には分からなくていい
 1943年に発表された小説だが、女性キャラが全く出てこないので楽しくない。まるで人生における大事な登場人物は男だけだと言いたげである。また全体的に、大人より子供の方が良いという反動的な筆致で、どこに共感すれば良いのか私には分からなかった。
 ところで、サン=テグジュペリは「私のふるさとは、私の子供時代である」と言ったというし(p136、あとがき)、訳者も「〔この小説は〕かつての童心に生きている大人でなくては、歯が立ちようのないたぐいです」(p138)と言っているので、つまり裏を返すと童心に生きていない人はこの小説の良さを分からなくていいということである。


0.5 三島由紀夫「源氏供養」

(イメージ無し)
 気分が悪くなる
 1962年発表の戯曲。紫式部を思わせる「野添紫」という女性作家の霊が登場人物に批判されるだけの内容で、何が面白いのか全く分からない。武家社会に影響を受けた三島が公家文化の小説(源氏物語など)と相容れないのは分かるが、野添紫の霊がとくに反論も出来ないまま消えて、登場人物に「彼女の文学もこの程度だよ」と総括されるなどフェアではないし気分が悪くなる。